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(十) 氷輪 Hyorin
古代ジャパンの至高の「月の神」を『ツクヨミ』という。
古代オキナワは至高に「海の神」『アマミキヨ』をもつ。
そして頭上には顕色(しろ)の氷輪がある。
「 日本神話・・・・・、これほどに戦闘と葛藤にひそむ知と知識の行方を高遠に謳(うた)ったものは、琉球には見当たらない 」
斎場御嶽から離れつつ比江島修治は眼に抱き合わせた月光にそう考えた。
ツクヨミはスサノウに「 闘いなさい、アマテラスは平静になれる 」と不思議なことを言っていたからだ。久高島のイザイホーは、後継者の不足のために1978年に行われた後、1990年、2002年は行われていない。イザイホーは、12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性がナンチュという地位になるための通過儀礼として行われる。これにより一人前の女性として認められ、家族を加護する神的な力を得るとされる。
「 富造は午の骨を拾ったが、琉球の2014年はどうなるのであろうか・・・・・! 」
久高島における放擲(ほうてき)とは人智のすべてをアマミキヨに捧げることだが、顕色(しろ)く現れた氷輪と別れながらそう思う修治は那覇市内へと向かいながら、もう幽・キホーテの影を消していた。
そして丸彦も京都へと消えた。
「 久高島は海の彼方の異界ニライカナイにつながる聖地なのだ・・・・・ 」
そこは遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界なのである。またそれは琉球にとって豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。琉球では死後7代して死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰されており、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあった。道々にそう考える修治は、ふと祇園精舎に泛かぶ月の色彩を想い描いていた。
イザイホーを思えば不思議なもので秋の夜空に冬の氷輪がある。
そしてその冬月は、京都でも琉球と同じ氷輪の月となる。
円(まる)いその冬の月に照らされると、阿部秋子は胃のあたりに鈍い痛みが走るのを感じた。
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「 氷輪がこの地を透かすと、百年に一度下りてくる天女がいる・・・・・ 」
瓜生山(うりゅうやま)にはそんな言い伝えが昔からあるのだ。その天女は星を数えるという。それはカタルシスの仮身なのだ。
それにしても百年一度とは、よほど運好く生きなければ見られる景色ではない。
その天女の衣を身にまとうカタルシスは、巨大な石舞台がすり減るくらいに、長い長い時間をかけてこの世で起きた悲劇と未来で起きる悲劇とを演じた。そして舞い終えると、また長い時間をかけて弔いの無量寿経を唱えるのであった。
この世に何かを思いをめぐらす修行者は、皆、このカタルシスの石舞台を観つゞけることになる。そして視た者だけが浄化され修行を終えて山を下る。山の頂には小さな祠(ほこら)があるが、瓜生山とはそんな山なのである。
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北米のアマーストから帰国した阿部秋子の一日はつねに時間で縛られていた。
「 失感情症やなんて・・・・・、阿呆(あほ)なこと言いはるもんや・・・・・」
と、気がへこみ、指につまんだ錠剤を呑み込めないまゝでいた。
そんな晴れない気分でいる秋子は、誤診とも思える病状がそう度々あっては困るのだと、コップを握りしめながら泛かんでくる鬼頭次郎の赤鼻のとんがりを、さも五月蠅(うるさい)とばかりにしかめた眉先でピンと窓の外に弾き飛ばした。
「 これ・・・・・、テクノストレスいうやつや。しばらくパソコンいじるの、やめときや! 」
と、チョボ髭をパッサリと剃り落した医師はいう。
カルテをながめながらそう軽口を叩くと、さらさらと軽く処方箋を書き終えたその指さきで、小娘とばかりに秋子のおでこをピンと弾いては、さらに赤い小鼻をくすっと斜(はす)にひねり曲げて意地悪く笑った。
じつに小憎らしい態度で診察を終えた鬼頭次郎の顔を思い出すと、無性に腹が立つ。癪(しゃく)に障るから、いつか仕返しをしようと思うその次郎とは、烏丸(からすま)アガルに医院を構えて、少し癪なので認めたくはないが、京都ではなかなか評判の良い秋子の伯父であった。
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「 そういうたかて、仕方(しょう)ないことや、とは、ほんに阿呆かいな・・・・・ 」
次郎の診断に不満な秋子は、刺し違えてやる、といわぬばかりにポンと口に錠剤を放り込んだ。
家事をこなしながらの合間に、秋子は日替わりランチのようなメール原稿を、毎日、五通りは品揃えして工面する。そうしてそれらを、午前3時から午後4時までの間に五つのアドレスへと時差をみはからって送信しなければならなかった。この作業を毎日、秋子は滞りなく終えることになる。これは留学から帰国後にそう決めたのだ。
「 いじるの、やめときや言われても、そんなん出来へん・・・・・ 」
これはアマーストから帰国後に立ち上げた秋子の密かなプロジェクトなのだ。
毎日、世界中にメールの電子鳩六号を飛ばした。
そうして日毎パソコンの電源を落とし終えた秋子はいつもきまって一冊の表紙の面を指さきでなぞりながら、この後に課せられた夜支度の手順を、しばらくは手ざわりの中に泛かべるのであった。
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それは手垢にまみれた随分古い表紙の庭で「 百匹の蟻 」が行進する思い出深い手作り本である。
「 カタルシスか・・・・・! 」
診療の間合いに、医者の次郎がさりげなく語った一言が、秋の耳奥でさゝやくようだ。転ぶようにコロコロと聞こえてくると、このときモロー教授の顔も重なり妙な障りを感じた。そうした気障りな連想には、瓜生山の小さな祠が見えてくる。
「 アリストテレスなら・・・・・、あれはミメーシスやったなぁ~。そして左がプラトン、右がアリストテレス、手前に寝転んではったのがディオゲネスやった・・・・・ 」
秋子はラファエロが描いた「 アテナイの学堂 」を思い起こして泛べた。
直筆ではないが高校生のころ夏季に訪れた、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館に展示された小さな複製画を一度だけ観たことがある。その中央に師のプラトン、右脇に青い衣に身を包んだアリストテレスが立っていた。
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「 あの本・・・・・、何ィ記(しる)しはった本なんやろか・・・・・ 」
秋子はアリストテレスの左手にあったと思う、大きな本の内容の彼方が興味深く思い起こされた。ラファエロなら本を開いた内容を眼に刻みつけていたはずだ。人物像に超人的清明さと優雅さを与えられる、ラファエロとはそんな画家である。
「 ビュシスいうんは、うち、あると思うわ。せやけど、ディオゲネスのキャベツかて・・・・・ 」
自己の自然(本性)を実現することが全ての存在者の使命であり、そして人間の自然(本性)とは理性(ロゴス)に従う活動であるとアリストテレスはいう。しかし秋子には壊れた樽の中で暮らしていたというディオゲネスが最高だと賛美したキャベツと、風変わりな野良犬のギリシャ哲人の方が、秋子の心の中に住み続けていて欲しいような気がするのだ。
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「 彼となら一緒にキャベツを川で洗って食べてみたくなる・・・・・ 」
幼いころの秋子はアンデルセンの絵本の城で遊んでいた。さらに小学生になるとファーブルの昆虫記で野原を歩き、中学生では観察範囲をさらに拡げて東山から比叡山を越え、琵琶湖周辺にまで小さな友達を訪ねては記念写真を楽しんだ。
現代社会は、幼い子供でも読書テクノストレスから失感情症を引き起こす時代である。しかし秋子にとって夜は、痛みを伴うからこそ、他に代えようもない大切な時間であった。悲しみや苦悩というものは、浅いようで深い、深いようで浅い、なまなましくも儚い姿でしか普段は現れてこないものである。だが一度でも現れてその舞台を杳(よう)として知れない奇妙と観ると、秋子はしだいに暗い闇の淵へとまねき寄せられた。
歓迎するのではなく、秋子にはそこに深く眼差す時間が課せられている。
愚かさ、弱さ、卑しさ、残酷さなど、もろもろが泛かび上がると、秋子はしだいに暗い闇の淵へとまねき寄せられて、今という時代のいびつを銀幕のごとく体全体で映し出してくる。砂粒ひとつ落ちてない石畳を歩き、箒目(ほうきめ)で波の紋様を掃き入れた裏庭を一回りし、手抜かりの無いことを確かめた秋子は、さも来客でも訪ねてきたような仕種で初々しく門前に立つと、す~っと一息呑み込んでから、小袖の袂たもとに入れた青白い友禅染の巾着(きんちゃく)袋をそっと取り出した。
「 これで〆や・・・・・! 」
とつぶやき、おもむろに結びを解くと、門の左右それぞれにお鎮めの塩を丁重に盛りつけた。
日毎このように繰り返しながら秋子の一日は暮れるのである。
こうして真昼間の忌みを祓い真新しい夜を出迎えることが阿部家代ゝの習わしであった。しかし秋子はそのたびに魔屈(まくつ)にでも踏み込むような怖れと嫌悪(けんお)を感じた。一通りの儀式を終えてみると、澱(よど)んだ空気にただよう自らの匂いに、みずからがむせ返るのである。秋子のこれは陰陽(おんみょう)や巫女(みこ)の拘わりと似ていた。忌み事に拘わる媒介者は、ときとして封じ祓うべき忌みを自らに背負いきせられる。こうなると厄介であるから、阿部家の代ゝが鎮めの塩の盛りつけを終えると、しばらくは月の明かりの下にみずからを晒(さら)して清め、背負いきせようとする怨霊を鎮めた。
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秋子もこうして月より言霊ことだまが降ろされてくるまでを待ち、身の清めを授かるのである。
このとき秋子の顔は言霊を降らす月を見上げさせられることになる。
この言霊をうける間の心の怖がりが最も胃を痛ませるときであった。
「 冬の月には歯切れの良さがある 」
という、数日前の新聞がこんなコラムの見出しを載せていた。
西行の本名が佐藤義清(のりきよ)という文字を拾い、いかにも有触(ありふ)れた名であったなと再確認できたことの面白さから、興味深く秋子がていねいに目を通し終えてみると、文面にはコラムニストの月見観が淡々と述べられていた。
某大学教授は西行を気隋に語りかけようとする。しかし書き手に生活臭のないというか実態がない。その筆で西行の名をたゞ楯に述べて連ねたとして、その矛先やつまるところ、机の上で西行の名をペン先につゝいては空想の花をいじり散らし陶酔の形骸(けいがい)をのみ嗅がされる、秋子にとってじつに屁(へ)のような記事であった。
「 モノにィは、肉体、幽体、霊体とあるんや。先生、ほんに、どこ見て書きはったんやろか。霊は憑つけてみんと分からへん 」
見上げて月を愛でるという観念を持たないで育った秋子には、コラムが文字を連ねてもたらそうとしている月見観という日本人の美意識への誘(いざな)いが、どうにもこの世から遠くはなれた不自然で不条理な悲しいものに感じられたのである。
「 月は人の勝手で見るもやあらへん。愛でるのが模範やなんて、ほんにおかしなこと書かはるわ。人に月を慰めるだけの力はないわ 」
こう秋子が感じるように、阿部家の代ゝに身のしのぎ方は変われども、天より強いられて夜を迎えねばならない習わしが、宿命として受け継がれ、阿部家の平安を今日につなぎ留めていたのである。無論、その平安は山端集落の平穏を念じた。
「 西行さんやかて、歯切れ良いとは感じはらんやろ。そないなこと、思いもしはらしまへんわ。畏(こわ)いから月の淵におりはったんや 」
きさらぎの月が玉のごとく宙(そら)に凛として座るから、西行が譬たとえて「 願はくは花の下にて春死なむ その如月きさらぎの望月のころ 」と、詠んだのではないのだ。死期を悟った西行にとって重要であったことは「 如月の望月のころ 」という、釈迦の命日に自身の崩れを符合させることであった。西行のサクラとは幽霊な使徒なのである。
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人は息をする幽霊なのだ、と阿部家では八瀬衆にこう指南する。
幽体の儚(はかな)さを知る西行は霊体となった釈迦の命日をみずからの死の際に曳きつれてきて、山桜の花の幽けさにたゞ埋もれることを願いながら辞世とした。西行という人は、出家後も長く煩悩に苦しんでおり、迷いや心の弱さを素直に歌に込めているのであるから、漂泊の人であり、いわゆる聖人ではなかった。幽体を手探るそんな月と花をこよなく愛して歌を認(したた)めたこの西行の終焉の地、南河内の弘川寺(ひろかわでら)の裏山の丘に、秋子は何度か訪れたことがある。
弘川寺は役小角(えんのおづ)の行者が開き、空海も修行をしたし、阿部家とは秋子の先祖が何度も生死を繰り返している間に結ばれた他生(たしょう)の縁が少なからずあった。弘川寺もそうであるが、さらに吉野あたりは、御所谷に暮らす竹原五郎とは益々もって縁が深い。五郎の出た竹原の在は奈良十津川である。その竹原家は後醍醐天皇の代に南朝に加勢した一族としての因みをもつ。竹原の一族は皇子護良親王(もりよししんのう)や河内の楠木正成(くすのきまさしげ)らに役小角の霊験をもって手助けした。そうした血筋が後醍醐天皇に従ってやがて京都に移り棲むようになった。竹原五郎とはそうした流れに連なる小さな一つの末裔である。その五郎はまたいつしか阿部家にも出入りするようになっていた。
阿部家は山の仕事で人を繋ぎ止めている。五郎には彼でないと出来ない山の技術があった。その一つが岩塩の探索である。そして採取と精製である。秋子が使う清めの塩も五郎がせっせと密かな場所より運んでくる。またその塩は、山端集落の命を支えていた。さらには宮廷の命も支えていた。しかし岩塩だけは五郎にしか判らぬ採掘場があったのだ。
日本は岩塩や塩湖などの塩資源に恵まれていない。また四方を海に囲まれているのに、気候が高湿多雨なので天日製塩にも適さない。このため、日本では、昔から、海水から鹹水(かんすい・濃い塩水)をとる採鹹(さいかん)と、鹹水(かんすい)を煮つめて塩の結晶をつくる煎熬(せんごう)という、二つの工程から成る製塩法が行われてきた。
そして江戸時代以降、入浜式塩田と呼ばれる日本独特の製塩法が盛んに行われた。つまり日本では岩塩は採れないことが定説となっている。しかし竹原五郎は少量ではあるが岩塩の採掘を密かに行ってきた。それは未だそうした竹原の血筋が京都とは縁がないころ、皇子と阿部家は塩によって深く結ばれていた。
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後醍醐天皇の皇子である護良親王は6歳のころ、尊雲法親王として、天台宗三門跡の一つである梶井門跡三千院に入る。さらに2度にわたり天台座主となる。そんな三千院の皇子に阿部家は塩で仕えていた。そしてその塩の多くを阿部家が地頭となり村衆を束ねては若狭から運んだ。その若狭モノより、手短な比良山系の岩塩を竹原の血筋が探索し、阿部家に供給してくれるようになるのはそれ以後のことである。
五郎はそれを継ぎ、滞りなく阿部家へと届けてくれている。竹原五郎が塩を届けてくれる度に、秋子には匂われる芳しい花があることを覚えた。潮の満ち引きは人の生死と密接である。花はその潮の香りをさせていた。
「 紅色五弁の花、ほんにうつくしゅう咲いてはったなぁ~・・・・・ 」
と、秋子のいう花は、桜の花が散り終えるころに咲く海棠(かいどう)である。
弘川寺の本坊には樹齢三百五十年余の海棠がある。秋子がそれを好んで訪れた四月半ばごろは、じつに花信は按配よく、この海棠の花が見ごろを向かえていた。それは、桜の痕(あと)を鎮めるかに咲く花であった。
「 うちが花ァ選ぶんやしたら、そら~桜ァより海棠の花やわ。西行はんにもあの花の方がお似合いや思う。賢(かしこ)い花やさかいに、きさらぎの望月のころ、と願いはっても、結局間に合わんと一日遅れやして、願いも叶わんと亡(のう)なったお人や。せやから、遅れて咲きはるあの海棠や思うけどなぁ~・・・・・ 」
と、秋子がこんなふうにつぶやくには秋子なりの理由があった。
たしかに弘川寺は古刹には違いないが、もし西行がこの寺で終焉とならなかったら、後世にこれほど弘川寺の名は広まらなかったであろう。元は、この寺とは無縁の男であった西行である。身近に悟った終焉を、あえて無縁の地と選んだ二年間であったからだ。桜の下を望みながら果てた西行の、その桜の後に海棠は西行の死を弔うかに咲いている。
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阿部秋子は祖父富造のたっての願いもあって国學院神道文化学部に進学した。
さる事情が家庭にあって二回生で自主退学したのであるが、今、阿部家には養母の和歌子と二人暮らしであった。留学中、その和歌子が一人阿部の家を守ってくれた。
つまり秋子は少なからずとも国学院に育まれた憂国の乙女であった。そんな秋子が学生であったころに訪ね、弘川寺でみて西行に似つかわしいと思った海棠がそろそろ咲き誇ろうとする月夜が、狸谷の阿部家を照らし出していた。
正しくはきさらずの月とは言えないが、月の趣はそれに似て、地上の梢の下で秋子はいつもこの高い氷輪を見上げさせられてきたのだ。その氷輪の下にある秋子の鳩舎では、音羽六号がグ~クル、グ~クルと鳴いている。
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「 なして弘川寺なんや。出家しはるお人は、身軽うてえゝなぁ~・・・・・。なして縁ある吉野や高野山やのうて無縁な寺、選ばはったんや。お人がご縁、断ち切らはるなんて、ほんにそれこそ、えらい殺生なことやないか・・・・・。馬や牛、魚ァ殺すンが殺生やとしたら、ほしたら自分の命ィ殺しはるの、大殺生やないか・・・・・ 」
秋子は急に眼尻を細くつるし、眼の色を晃ひからせた。
これは気を強くしようとして高揚するとき秋子がいつもみせる癖のようなものでもあるが、そうして氷輪を見上げさせられる度にしだいに無言となる秋子には、遁世(とんせい)の身の許されようが恨めしく思えた。
「 隠遁しはるお人やらに、狸谷の森はよう守り通せへん。人は死を掴まえてこそ生に逃れるものや。その死は手放したらあかん! 」
その眼には、さやかに冷めて星の従う月がある。月のめぐりは、春、夏、秋月と、見上げさせられてきた。だが冬の月は、それら他の月とはあきらかに異なるのだ。今、秋子の頭上にある月は、頚城(くびき)が結び、責められて見上げさせられる月でしかなかった。
秋子の眼だけがそうされるのではない。春咲く花の命までも月は責める。甘美の欠片さえ抱かせることのない此(こ)の冬月を、秋子は毎年冬の間、幾度も幾度も見上げさせられてきた。比叡山のさらなる上に冴えともるこの冬の月には、狸谷に暮らす秋子をそうさせしめるだけの記憶の粒子を空に溶かしてはぐらかすような不思議な力が込められていた。
それは空から落ちる白い涙が秋子のもので、足跡のない雪の上へと落ちると、記憶の中でその無音の足音を聞かされるかの不思議な足場に立つ力である。聞かされると、帰る居場所を忘れてしまうほどの秋子がそこにいた。
そんな冬の狸谷の暮らしには、秋子が首を擡(もたげ)たくなるほどの非情さがあった。
それは阿部家の代々が千年という十世紀にも及ぶ狸谷での営みを継承し続けてきた重みと比例する。さらにそうした道程は、奈良に都の造られる以前から阿部家の血の流れには連綿とある。またそれは、代々が苦心した痕跡と対峙せねばならぬ立場へと、25歳の小娘が一歩踏み入れようとする試練でもあった。
やがて80歳になろうとする養母和歌子は、その秋子の脇にいて見届けようとしていた。
屹立(きつりつ)と凍えるほど照らされてみると、血の温もりを奪われる人や獣は、どことも知れぬ闇を果てしなく落ちて、これを耐え忍ぶことになるのだ。比叡山の西麓、陽の射(い)さすことの遅い洛北の山端(やまはな)の、冬の間の暮らしの辛抱はことさらである。
芹生(せりょう)の里がまた酷くそうであるように、秋子と和歌子が暮らす狸谷もまた同等の寒冷の地であった。だが代々の阿部家がその苛酷な頚城を尊ぶようにして今日までを継いでいる。
「 もう清明(せいめい)やいうのに・・・・・あゝ、冷やっこいなぁ~ 」
啓蟄(けいちつ)が過ぎて早一ヶ月も経つというのだが、颪(おろし)に晒さらされる狸谷は、まだ冬籠りの最中のように人肌を震撼とさせていた。標高差800メートルの延暦寺ではきっと銀世界である。しかも真夜中のお山は魔界のごとく凍えたであろう。この日、そう感じつゝ奈良方面へと出かけた秋子は、八大神社の森付近からためらうような仕種をみせて振り返ると、しばしじっと瓜生山の方をながめた。
「 あれは、やはり気のせいやなかった。やはり泣き声やったんや・・・・・ 」
その二日後の午後、あどけない仔猿の杏子(ももこ)が行き倒れて死んでいた。群れをはなれ、親とはぐれ、山を彷徨(さまよい)ながら苦しい身体からだをひっぱって、見覚えのある阿部家の裏庭にある餌箱までたどり着きながらも、ついに息絶えたようだ。
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「 うちの気ィ遣い足りへんよってから、ほんにごめんなァ~・・・・・ 」
冬場はこんなこともあろうかと、切れ目なくサツマイモ等を補充しているのだが、折悪く、このときばかりは、たしかに餌箱は空であった。野生は餌漬けぬほどの施しを守ることが人の責務なのだが、苦心が足りなければ冬場の命は一粒の糧でそれを絶つ。秋子の気配りが不足した。秋子が杏子の死を手放したのだ。
「 あのとき、うち、あそこから引き返すことしィへんやったさかいに・・・・・。うち、あのときなら、杏子の死をまだ掴めてたんや 」
八大神社から瓜生山の方を振り返るとき、秋子は耳に障るものを確かに感じた。
潮騒のうねりのような感じの中、人がさゝやくに似た音に曳かれるような妙な気が確かにしたのだ。
もしやそれが「 雁(かり)の文ふみ 」であったとしたら、手にむすべない我指の不甲斐なさが秋子にはとても堪(こた)えた。雁の文を感じ損ねて手から落とすようでは、未だ秋子の修行が足らぬのに等しい。杏子の刺殺体に愕然とした。右の片耳が欠けていたから、あの杏子だと秋子には明らかに判る。まだ死後硬直はなく仄かな温もりを感じとれたが、蟻が山なりに群がり、ブンブンと蠅が托鉢を叩くごとく残り血にでも集(たか)るかに杏子の上を飛び回っていた。
唖然とし、何と惨(むご)たらしい晒されようか。蟻、蠅が集たかるそこに雀蜂(スズメバチ)までが参戦し、杏子の丸く見開らいた眼球をねらい、半開きの口をめがけ何度も侵入を試みていた。山に生き、山で死すモノの掟(おきて)には、まことに凄(すさまじ)き宿命がある。人や獣らより虫達の方がはるかに生命力に長けているではないか。人や獣が感じ取れない啓蟄という節目を敏感に捉え、女の秋子が羨(うらや)むような生命を、見事にうごめかせながら生きる機会を狙っている。
杏子の息絶えた日は、前日とは一変を転じて小春日となっていた。どうやらこの日、天は虫達に力添えしたようだ。そう思えると秋子は少し足がよろけた。命は小さくともそこに陰陽の差配がある。
「 うちが人やいうんなら、もうちょっと長(たけ)とらなあかんなぁ~・・・・・ 」
これは二日ほど家を留守にした迂闊(うかつ)な秋子が、みなくてはならなかった然るべき光景であった。山の死が一つ消えると、秋子は死を一つ増やすことになる。
摂理とはいえ、留守をしたことを悔やむ秋子は、いてもたってもいられずに箒(ほうき)で虫たちを追っ払うと、死体(なきがら)をそっと裏山の草むらに運び、二度と掘り起こされぬよう涙ぐむ手でしっかり葬りながら秋子だけが判る杏子の小さな墓をこしらえた。
「 そうや、あの花や。あれしかあらへん・・・・・ 」
翌朝、未明そうそうに起き出して朝餉(あさげ)の下ごしらえを終えた秋子は、闇に覆われて暗がりにある杏子の墓の鎮まりをあらためて確かめると、弔いに手向けたいと思う叡山すみれの花を採りに出かけた。
この花は他のどの花よりも聖なる叡山に似つかわしい花なのだ。だがそれは杏子への償いではなかった。比叡山に生きるモノへの畏敬(いけい)を表そうとしたのだ。これが杏子の死にも似つかわしいと思うと、秋子は逸るようにして瓜生山の頂きをめざした。エイザンスミレは、葉が特徴で大きく菊のように裂けて、雪解けのころに淡紅色の花を咲かす山野草である。その葉の形は、ノジスミレやタチツボスミレ、スミレサイシン、スミレ等とはあきらかに異なるのだ。比叡山に生える山野草のことなら、秋子はあらゆるルートについて熟知していた。
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「 あそこ辺りや。違いあらへん。きっと咲いてはる・・・・・ 」
この季節なら陽当たりのよい琵琶湖側の東なのだから、と秋子はにんまりと笑みを泛べ、なごり雪のある滑りそうな細い山路を慎重に踏んで、西塔から不動谷辺りに目星をつけていた奥山へと分け入った。
三塔十六谷三千坊の比叡山は谷が深く杉や檜ひのきが生い茂る鬱蒼とした聖なる京の北嶺である。
「 あゝ、せや、六時の声明(しょうみょう)や。ほんに夢のようや・・・・・」
鹿によって樹皮がめくれた木々の森の闇間をくゞり、根本中堂の近くまでくると、あさぼらけの淡い光に抱かれて石段を上がる秋子は、声明にくるまれて波濤にでも身を浚さらわれるかの別世界を感じた。
規則正しく耳奥に並ぶ声の大小が変化することで、大師の画像の濃淡が再現されてくる。人の人生のあらゆるイメージが声明により還元されて、受け手である秋子の心や網膜上に天界の像を結ぶのである。
階段を上がり終えて根本中堂をみつめる秋子は青い水玉が顔面いっぱいに広がっていた。
「 六時いうは、最澄はんの、お目覚めなんやかもしれへん・・・・・ 」
朝のお勤めの妙法蓮華経如来神力品第二十一〈作如是言南無釈迦牟尼佛南無釈迦牟尼佛〉の読経にしばし耳を傾けたが、秋子はそのまゝ丹(あか)い文殊楼の前を横切ると、もう何の迷いもなく不動谷へとするすると降りた。
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そこからまた杣(そま)道を踏んでたんたんと、もたて山の方へと上がる。この山の平たい野原には紀貫之(きのつらゆき)の墓がある。こゝからなら朝陽にきらめく琵琶湖の風景がくっきりと泛びあがることも知っているのだが、たゞ杏子への花を求める秋子は躊躇(ためらい)もなく墓の後ろに回り込むと、そこからさらに藪奥へとすっと押し入った。
こうして秋子がまた阿部家の裏山に戻ったのは午前9時ごろである。
「 この世の日々は短くして、死後の黄泉の年月は長いのやそうや。それが天命なんやそうや 」
杏子の墓前に今朝あらためてきて手を合わせる秋子は、かって叔父の清文から聴かされた九想の詩をおもい泛べながら、杏子が安らかに瞑(ねむ)れるように呪文をそっとつぶやいた。亡くなって高野山にいる清文さんはかつて、「 比叡山でいう(さる)とは、阿部家に伝わる古文書に曰いわく、有尾のものは『猿』、無尾のものを『猴』と記し、尾の有無のみで区分しているのだから、無尾の人生とは、端的に言えば(けもの心をどう遠くに鎮めるか)ということだ 」と言っていたのだ。そう聞かされている眼で杏子の尾を想い起こしてみると、尾が有るようで無いようで、どちらとも区別し難い仔サルなのである。清文は子猿については何も触れてない。仕方ない、猿とすることにした。
清文とは養母和歌子の義理の弟であった。和歌子からそう聞かされていた。
しかしそれは清文が他界するまでの話であった。真相は幼い秋子には密かに伏せられてきた。清文は出家を祖父富造に勘当されて高野山へと上がった。清文とは出家後の名、本名は阿部清四郎といゝ祖父富造の四男である。その清四郎のことを、秋子が実父であることを聞かされたのは四年前、20歳のときであった。
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幼いころに伯父と思って親しんだ清文さんが、十数年後に、じつは実父でそれを今まで伏せていたのだと養母和歌子に詫びられて明かされたとき、秋子はそんな和歌子を素直に許すことができた。他界後に、しかも祖父阿部富造の遺言としてそれが告白されたからだ。その遺言を、秋子はすべてを過去形で物語る他人事としての単なる紙切れぐらいに思おうとした。本名を阿部清四郎だと確認はしたが、それは本人よって捨てられた名でしかない。望んで捨てた名を子が大切に抱くのも妙なモノに思われたのだ。もしも父であれば、父というものは、自身の信念を貫くそんな男であって欲しかった。養母和歌子にしても祖父富造の遺言を預かり、祖父の存命中は固く口止めされていた。その和歌子を責めることは筋違いではないか。そう冷静に思えると、秋子はじっにあっさりとしていた。
動揺を案じ続けた養母和歌子が不思議がるほどに、それほどじっにあっさりとしていた。裏切りによる悲しみや動揺よりむしろ逆に、もしそこに何かを偲び挿むのだとすれば、それはたゞ一つ、ぼんやりとした結び目の見えない少しの空白を覚えたことであろうか。何よりもまた、和歌子とは二十ほど歳下の、その清文は秋子の胸にじつに数多くの薫陶を遺してくれていた。幼いころに触れた心根の優しかった清文ならば、出家して高野山に上がっても何の不思議さはない。人として生きられずとも僧となれば生きられる。少し日が経つと、清四郎より先に清文の方に照らすことで感じられる実父の像(かたち)が思いの他快く面白いとも思えた。
「 アキ・・・・・、この蟻なッ、ほらよう見てな。このぎょうさんな行列、これお弔いしてはるとこや。どこに向かいはるか解るかアキ。あっち御堂あるやろ。御堂の下、お墓なんや。そのお墓なッ、あそこに入口の穴ァあるんや。ほんにお山の蟻さんは、偉いなぁ~・・・・・。よう学問してはる蟻さんたちや・・・・・ 」
と、嬉しそうに語る、その笑顔のまゝにいる清文が鮮明に泛かぶ。そうした顔が清四郎などとは思いたくもない。秋子は、清文が語りかける少年のような眼差しと笑みが大好きであった。父か兄が幼子に語り伝える童話のように、清文は優しさを湛えて、あるときは滑稽にジャン・アンリ・ファーブルの世界とロマン・ロランの世界とを噛砕いて真剣に面白く話してくれた。
あゝ、あんな難解な二人の関係を、あゝも興味をそゝらして解り易く教えてくれたのか、と今更ながら秋子が思い描くその天才の姿は、すでに10年前にこの世から亡くなっている。清文は比叡山でみた蟻の話を「 百匹の蟻 」と題して絵本を創ってくれた。その本を読み聞かせながら、その度に清文は表紙に蟻を一匹づつ描き足してくれ、そして百匹目を描き切る日に蜜蜂の弔いをする蟻の大行進が終わった。
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「 きっと・・・・・、そのとき、じつは実父が死んでいたのだ・・・・・ 」
てっきり清文伯父さんは延暦寺の若いお坊さんだと思っていた。
あるときその姿を突然見なくなったが、和歌子は伯父さんが高野山に移られたと語った。幼いころの秋子には明らかな宗派の違いなど解るはずもない。比叡山の僧が、高野山の僧に移り代わることは余程のことだ。そして勘当された身の上の亡きがらは、その父の富造より、さらに勘当されて高野山へと葬られた。それが山端を捨てゝ生きようとした嫡男への阿部家が裁く定規(じょうぎ)であったのだ。
「 ああ、憂国の蜜蜂さん達よ。ほらほらどうして君たちは、そんなに楽しく飛べるのかい。ブンブン笑顔で飛べるのかい・・・・・ 」
と、野山を歩きながら昆虫や他の生物をみつけては語り聞かせる清文の「 ああ、憂国のOOさんよ 」で始まる定形の口調が独特のまゝ耳奥にある。対象として扱って面白い昆虫が、身の回の比良の山々には数限りなくあったから、清文はその生物の研究に人生の大半を注ぎ込もうとした。清文はそんな野山の達人であった。幼いころより清文の背の上で秋子は共に野山を歩いていた。あるいは延暦寺の僧の生活を二人で怖々と覗きみた。阿部家の定規から外れた男だが、清文とはそんな静謐(せいひつ)な男であった。
「 出家しはって勘当され、死にはって、次ィお墓まで勘当やなんて 」
そう思えると、しみじみと切ない話になる。しかし、それはそれ清四郎は継がねばならぬと請われた頚城(くびき)から逃避したといえる。裏山の崖のくぼみで、今年もまた秋子は冬の終わりを感じた。裏庭から仰ぐように見上げると、柱状の高い崖の頂きには猿復岩(さるまたいわ)という二つ瘤の奇岩がある。その奇岩の両端に、注連縄(しめなわ)を渡した山水の落とし口がある。比叡山の雪解け水がこの猿復岩をくゞり、岩肌の凹凸でこぼこをつたいはじめると、崖の中程にあるくぼみの岩垣は、いつしか石清水を湛える小さな池となる。
群れをはなれた野生猿はこの池に、するりと崖の上から伸びさがる葛の根をつたって降りてきた。
あの杏子(ももこ)も上手にするすると降りていた。それは仔猿一匹が身を洗う盥(たらい)ほどの岩垣で、夏の盛りに涼をとる山猿の、股開きに尻をひたし逆立ちで面つらを洗う、秋子がみかけて呆あきれるほどの、天衣無縫の霊怪な夏安居げあんごは、いさゝか滑稽である。呆れたついでに、密かに待ちうけて撮り、その記念写真の数枚はアルバムにある。
秋子は、その写真を、雨田博士を弔う棺(ひつぎ)へと入れた。
「 あゝ、八瀬の博士、亡くなりはって、もう三回忌やわ・・・・・ 」
それらはすべて山端に訪れる春の姿なのだ。藪柑子(やぶこうじ)の赤い実が落ちて水ぬるむころに、くぼみの淵よりあふれしたたる清らかな水辺には、毎年決まって瓜生山から鼠(ねずみ)もめんの小さな客人(まらうど)がやってきた。石清水に心惹かれてやって来る、この客人の澄みやかな奇瑞の声が聴こえると、阿部家の裏庭では秋子の育てる笹ゆりが、新しい花芽のさやを小さく細く孕(はら)ませる春が訪れるのである。
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「 ああ、六部ろくぶさんや・・・・・、来はったんや。ほして、皆ァ来はったんやわ・・・・・ 」
と、丸く愛くるしい顔をして秋子は今年もつぶやいた。
「 六部さん、来はりましたか。おこしやす・・・・・ 」
とまた、秋子はお迎えの挨拶でもしたくなる。阿部家の春は、まずこの来客に始まるのだ。
そんな奇瑞の客は、黄鶺鴒(きせきれい)である。
澄みやかな声でチチチッ チチチッとさえずり、トントンと尾羽を上下させる奇瑞の客である。
合わせて博士から譲り受けた音羽六号もクル―クル―と鳴いた。
雨田博士の声に似せて「焔の帆・ほのほのほ」と、鼠もめんの六部(ろくべ)が、あゝ、今年もまたチチン チチンと鳴いている。
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比叡山延暦寺(坂本方面より)