Kの理論 「華麗なるブレイクアウト」 Breakout Magnificent.

脱走・・・ただ道は一つ。いつも道に一人。万人は来ない。脱線し続けるサイボーグ社会からの脱出。

ジャスト・ロード・ワン  No.3

2013-09-04 | 小説








 

      
                            






                     




    )  血の川  Chinokawa


  る~ちゅ~くゝは、四周を蔚藍(あお)い美(ちゅ)らの海に囲まれた浦安(うらやす)の国である。
  鞘豆(さやまめ)ほどの孤島に、住古、浦安の気は紫煙となって涌わきあがっていた。 ここに祝女(のろ)と称する霊者の座する御嶽(うたき)がある。 その御嶽とは、祝女の他に、未だ容易に人を近づけない男人禁制の聖地であった。
  阿部家十二代・阿部清之介(あべのせいのすけ)は、この御嶽うたきの青空にかゝる五色の虹を密かにのぞきみた。
  比江島修治はそんな古い先祖話を妻沙樹子から聞いていた。
「 御嶽に祝女が座ると、天地安らかに虹は産まれ、あたりは美(ちゅ)らの海となるのだ!。それはすでに二百年前の光景、陰陽寮博士の末裔にあたる阿部富造は、その虹の話を父秋一郎から幾たびか聞かされた・・・・・ 」と。
  帝国の戦前、富造青年は、この琉球國(る~ちゅ~くく)を頻繁(ひんぱん)に訪れていたのだ。
「 沖縄(おきなわ)とは琉球語(うちな~)に由来するのだが、当時、阿部富造の関心はこの古い琉球國の営みにあった・・・・・ 」
  その琉球(る~ちゅ~)は女神の国。古来より祖霊崇拝、おなり神信仰を基礎とする固有の宗教がある。首里(すい)には聞得大君御殿(きこえおおきみうどぅん)、首里殿内(しゅりどぅんち)、真壁殿内(まかべどぅんち)、儀保殿内(ぎぼどぅんち)の一本社三末社があった。聞得大君御殿は首里汀志良次(てぃしらじ)にある。これは琉球各地にある祝女殿内(ぬんどぅんち)と呼ばれる末社を支配した。この聞得大君(キコエオオキミ)は、琉球國の高級神女三十三君の頂点に君臨する最高神女で、その地位は国王の次に位置し、前・元王妃など王族女性から選ばれて任に就いた。聞得大君は御殿の神体「御スジ」、「御火鉢」、「金之美御スジ」の三御前に仕える。そして国家安泰、海路安全、五穀豊穣を祈願する。
  陰陽寮博士を継ぐ富造は、こうした琉球神道を密かに調査していた。







「 安浦の気は、紫煙のごとく、いまもって、あえかに揺れて天弓(てんきゅう)を張ることはあるのか! 」
  バゲージクレームで手荷物を引き取ると、比江島修治はまず那覇空港の外に出た。
  そして何よりも最初に琉球の青空をジッとみ上げた。
  比江島修治は、この沖縄の大空にいて、東京という世界最大のメガシティーが創り上げた常識の正面を切りたかった。
  その常識の正面とは何か。有能な科学者であれ政治家であれ、常識の誤算や誤謬は、第1に人の行動を自分が知っているインセンティブでしか理解しないことに現れ、第2に個人と集団の動きを一緒くたにしてしまい、第3に出来事を歴史から学ぼうとはしなくなることで、人間がこれを実在させている。皮肉にもそういうふうになるということが常識の正面にある。
 つまりは、多くの常識に「合理」があると思いこむのは、とてつもなく危険なのである。常識の正面にその危険性があった。
  空は翡翠(ひすい)のごとく透けている。修治はそこに秋一郎と富造の親子影を泛かばせた。こゝは「青い煙(けぶり)の国」と、阿部家伝にいう畏(おそれ)あがめる美称でもあるからだ。しかし修治の想定においては、それらはすでに新しく塗られ今や形骸(けいがい)とみた。それはそうだろう。核爆弾の投下という渾身絶大な発想はアメリカ人の想像力の核心をなしている。沖縄は被爆地ではないが、しかし全ては一連としてそこに回帰して連なってくる。沖縄とは有事一番、いつでも核発射体制下の現状にある。
「 ワイヤットとビリーは、金をタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭)の行われるニューオリンズを目指して旅に出た 」
  これはアメリカ映画「イージー・ライダー(Easy Rider)1969年公開」の場面だ。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーによるアメリカン・ニューシネマの代表作である。第42回アカデミー賞で助演男優賞と脚本賞にノミネートされた。
  しかしこうした大戦後のアメリカン・カラーだって、もともとは黒人が見せた矜持から生まれたと言うべきなのである。琉球人のアニミスティックな文化の中心で大事にされていた「イトゥトゥ」という価値感覚とこれは同じだ。アメリカは戦勝国だからこれを引き出せた。
「 登場するバイクは、1965年型ハーレー・ダビッドソンでエンジンはパンヘッドと呼ばれるタイプ、排気量は1200ccである。リアはリジットでサスペンションが無い。ワイアットが乗っているチョッパーは、前輪ブレーキが装備されていない。そして演出の小道具として登場していたマリファナ、これは本物を使用していた。・・・たゞ、それだけのこと・・・・・ 」 
  アメリカでは、それだけのこと。だが日本では、それだけでは終わらない。映画内だけの事件では済まなかった。70年の安保闘争の最中に公開されたこの映画の本質は、大津波のごとく日本の青年層に到達した。
「 ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、摩訶不思議な開戦となり、終戦のない摩訶不思議な大戦となった・・・ 」
  この戦争はアメリカを盟主とする資本主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営との対立(冷戦)を背景とした「代理戦争」であった。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムをアメリカ合衆国の傀儡国家と規定し、ベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとする。
  ベトナム戦争をめぐっては、世界各国で大規模な反戦運動が発生し社会に大きな影響を与えた。1973年のパリ協定を経てリチャード・ニクソン大統領は派遣したアメリカ軍を撤退させた。だが、その後も北ベトナム(南ベトナム解放民族戦線)と、南ベトナムとの戦闘は続き、1975年4月30日のサイゴン陥落によって一応ベトナム戦争は終戦したとする。
  アメリカは、ジョージ・ケナンらが提唱する、冷戦下における共産主義の東南アジアでの台頭(ドミノ理論)を恐れ、フランスの傀儡政権だったベトナム国を17度線の南に存続させ、これでベトナムは朝鮮半島やドイツと同様、分断国家となった。
「 この時代にアメリカから世界に台頭して見せたイージー・ライダーとは、背景に重要な本質を持つ・・・・・ 」







  つまりこれはクレオールなのだ。戦後、日本も沖縄も、このクレオール化(混交現象社会)に染められた。またこれは次世代へと隔世遺伝する。これが21世紀の日本なのだ。沖縄は、そうした国内最初のクレオール教化の標的とされる。あるいはお手本の殉教者化にされた。そうしてクレオール的に白人と混合化された沖縄は、差別と極貧を縫うように、ひどく貪欲にされたのだ。これを映像としていうのなら、あの学生運動の世間や権力に対する苛立つ反感のあらわし方を、彼らが沖縄に見せたときだった。挿入された音楽は全米2位となったステッペンウルフの「Born To Be Wild(ワイルドで行こう)」、バーズやジミ・ヘンドリックスの楽曲などを用いたが、当時、日本の若者はキャプテン・アメリカ流のこの曲で心身を混合流動としてスイングさせた。
  映画のあら筋は、メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(キャプテン・アメリカ)とビリーは、金をフルカスタムされたハーレー・ダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからニューオリンズ目指して旅に出る。途中、農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って、彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける2人。しかし旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを咎められ留置場に入れられる。しかし、そこで2人は弁護士ハンセンと出会い、意気投合する。そして、ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にニューオリンズに向けての旅を続ける。だが「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する。
「 アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ。個人の自由についてはいくらでもしゃべるが、自由な奴を見るのは怖いんだ・・・・・ 」
  と、ジャック・ニコルソン演じるアル中のドロップ・アウト弁護士は、映画の中でこう言っている。20世紀のこのセリフ、まさに21世紀初めのアメリカにぴったりの言葉だ。さらにこの映画の製作には、正式なカメラマンとして、当時その才能を認められようとしていたラズロ・コバックスが参加した。ラズロ・コバックスは、ハンガリーから政治亡命してきたカメラマン。それも、ハンガリーの民主化を収めるためにソ連が軍隊を侵攻させたハンガリー動乱を記録フィルムに残すため命がけで撮影を敢行し、それを国外に持ち出した人物である。そのためか、2台のバイクがさっそうと走る姿も実はかなり計算されている。「古いぶどう酒は古い革袋に、新しいぶどう酒は新しい革袋に」そう言ったのはイエス・キリストだが、神は新しい映画のために新しい男(ラズロ・コバックス)を用意した。
  映画のラスト・シーンは、それまでのアメリカ映画にみられた既成のインパクトではなかった。どうにも「説明できない静かな怒り」を日本の若者の心に植え付けた。そして、その「静かな怒り」は未だ沖縄の心の中に潜みながら続いている。そうでなければ、こうして今、比江島修治が沖縄の青空に重ねながら古いアメリカ映画など映すはずがない。そして修治は、この映画が世界的に大ヒットしなかったならば、日本復帰後も、なお前線基地機能を担い続ける沖縄の歪(いびつ)さは生まれていないような気が改めてした。
  映画の主人公は保守的な風土の土地、南部へと深く入って行く。しかし、そんな彼らに対する偏見に満ちた周りの目は次第に厳しさをまして行く。そしてついに彼らの旅は悲劇的な結末を迎えた。まさにこの主人公が未だ開放されない「沖縄」なのである。
  戦前までの沖縄は、日本の中においても特性のある「琉球として日本の亜種」を保ち続けていた。これを打ち砕くかに亜種の存在を消滅させようとするものは、戦後の日本政府が執り続けてきた「亜種への無理解」という、まことに野蛮な未開の文化意識だったのだ。亜種であり続けることの価値が東京には分からないままにきた。したがって現在の東京が、アジアの亜種として蘇ることは永遠にない。国際化を進化させようとする時代に、亜種であることは、亜種として見られることは、最低限必須の品格アイテムとなる。亜種として認められることが次世代の牽引力であり、次世代を開く国力なのだ。そうでなければ日本国そのもが無国籍となる。




「 どうせ旦那が旅に出るのなら、ボケとツッコミよろしく、奔放なノリでロール交換しながらの丁々発止が、修治自体のリテラルテイストを軽快にしてくれるのではないかと思うわ。過去の時間は、その当時の口調のまま(プチサマリー)してはくれないけれど、実際のテイストは現物本を手にとってもらうしかないわね。女の私でも内心では、過去形の寸鉄が肌を刺して心地よくて、いまだ沖縄はリアリティーだから、きっと修治には、現代の踏み堪え現象がいろいろ参考にななると思うの。公判中の最終弁論が控えてなければ、私は旦那にくっ付いて行きたいほどよ。だけどオスプレイのプロペラは欧州の風車より強靭よ!。与論島の南海岸にでも旦那が分解されて流れつかないといいね・・・ 」
  と、真剣に冗談を語る沙樹子とは、なるほど関西の京都育ちらしくある女性で、その余計な一言が旅立つ修治を楽しいパロディ-として送り出してくれていた。そんな沙樹子はまた「 あなたの旅は、きっと脱力するほどベタな構図だと思うけど、むしろそれが意外なほど楽しくさせる旅になるのかもね 」と、何とも奥深い笑みを湛えていた。この言葉が、現在はまったく面影もない琉球を虹色に染めながら脳内散歩でもさせてくれるようで、機上にいて修治は時間を持て余すこともなく、現世を離脱して過去に急ぐ空想に癒された。
「 それにしても、グレート・ダイバージェンスなどという語り草は、いささか西洋人のインチキくさい詭弁じゃないか・・・・・ 」
  地球上に人間という動物はこれまで累計1,060億人ほど誕生した。現在その6%が地球上に生活する。そしてそのうちの60%がアジアに住み、多くがとても貧困で寿命が短い。1京6,000兆円相当の富が存在するが、この大部分が西暦1800年以降に生み出され、そしてその2/3を欧米人が保有する。現代の経済学者は、これをグレート・ダイバージェンス(大いなる格差)と呼ぶ。しかし修治には、これが正解だとは思えないのだ。歴史には莫大な詭弁がある。詭弁を錬金術で施し金色の言葉を産み落としてきた。
「 たしかに西暦2000年の時点で、イギリス人はインド人の10倍の富を持ち、アメリカ人は中国人の20倍の富を持つ 。しかし西暦1500年頃はその逆で、インド人や中国人の方が欧州人よりも遥かに裕福であったはずだ。彼らは西暦1800年で線引きして、その前後での経済格差を(グレート)だという。これはたゞ、彼ら西洋が起こした産業革命を自慢しているだけではないか。陶酔して鼻高々にグレートとは、それこそが岡目八目だ。陶酔のうぬぼれが、いつまで続くことやら・・・・・ 」
  帝国主義が欧米諸国を強くしたと考える学者もいるが、これなど大間違いで相当な阿呆である。帝国主義であれば、それこそ中国やイスラム圏の国々の方がよほど歴史がある。また、地理的な条件や、資源の有無と考える学者もいるが、それも全くもって関係ない。東ドイツはトラバントを開発した一方で、西ドイツはベンツを開発した。朝鮮半島の違いは今更言うまでもない。このような下らない歴史的な実験や考察がなされる前から、すべての答えを述べている人物がいた。
「 それは「国富論」の著者、アダム・スミスである。彼は国が富むためには、6つの条件が必ず必要であると説いた 」
  その一つ目は「競争」なのだ。ロンドンには会社の原型となる組織が多数存在したが、中国には皇帝と官僚の支配が中心であった。
  二つ目は「科学的な革命」だ。西洋にはニュートンなどの天才による科学的な大発見があり、またそれを応用する学者がいた。ベンジャミン・ロビンは、ニュートン物理学を応用し正確な砲術を開発したが、東洋ではこのような進歩は見られなかった。
  三つ目は「財産権」なのだ。個人が土地や財産を保有することを認めるかどうかで、北アメリカは南アメリカと戦争をして、北アメリカが勝利した。一方で南米ではコンキスタドールの末裔しか土地の所有が認められていなかった。
  四つ目は「医学」だ。19世紀以降、西洋医学は発展し、人間の寿命を飛躍的に延ばした。セネガルでは20世紀初頭に公衆衛生を高める施策を行い、平均寿命が20歳も伸びた。
  五つ目は「消費者集団」なのだ。産業革命が起きても、製品を買う集団がいなくては発展しない。西洋以外では日本で初めて消費者集団が誕生し、自分の買いたい物を買うという欲求が満たされた。
  最後の六つ目は「労働の倫理」だ。マックス・ヴェーバーはプロテスタントに特有のものと誤解をしていたが(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)、労働が報われる制度があれば、どこにでも労働倫理は生まれる。平均的な韓国人はドイツ人よりも1,000時間多く働いている。おおまかにして、この六つの条件を満たして世界の経済格差は生まれたのだ。
「 それを産業革命期のみを基準として、以後の格差をグレート呼ばわりするのは、学者さん達、チョイと烏滸(おこ)がましいのではないか 」
  日本は岡目八目という囲碁に手習って蓄えた仕分け能力がある。これは戦略の嗜みでもある。西欧本位に見境もなく述べたその西洋と東洋のグレート・ダイバージェンスとやらは、今日、かつてないスピードで縮小へ向かっているのだ。例えばアイホーン(iPhone)は米国人がつくったものだが、iPhoneに使われている特許は日本が24万件保有し、世界第二位のアメリカの15万件を圧倒する。中国はまだ数万件しかないが、それでもドイツよりは多い。何よりも東洋が急速に西洋との差を埋めてきている理由は、スミス国富論のいう6つのキラーアプリがオープンソースであることが大きい。まるでスマホでアプリをダウンロードするかのごとく、東洋の国々はお手軽に国富論の6つの条件を組み込み、1500年頃から付けられた差を埋めてしまおうとしていることだ。
「 2000年時点から東西の格差は再び転向し始めた。東の逆転劇がやがて上演となる・・・・・ 」
  2000年時点で中国人より20倍豊かであったアメリカ人は、現在では5倍、中国が世界一のGDPとなる2016年には2.5倍まで縮小する予定である。そこにきて差を埋められた西洋が今後どのような道を歩むのかは、未だ未来に人間の歴史がないため誰にも分からない。神のみぞ知るということは、西洋の財政規律と労働倫理はすでに弱体化しているが、その他のすべてのアプリが動かなくなる程の致命的な欠陥となるかどうかは人間である比江島修治には断言はできない。
「 ただ、一つ言えることは、沖縄の人々は、毛唐のあざ笑うグレート・ダイバージェンスが終焉する時代に生きている、ということである 」
  那覇空港から国際通りへと向かい小さなモビルスーツに武装したライトグレーの、琉球本来の風土色を見失った歯がゆさを感じさせる、ゆいレールに揺らされつつ修治は、間も無く訪れる東西間格差の終焉による逆転期に、沖縄が本来の希望あふれる社会と縁が深まり、蘇る琉球のそこで日本の戦後を終わらせてくれることを胸に温めながら、妻沙樹子が連なる安倍家の先祖達が眺めたであろう琉球の空と海の青さに、代々が伝えてきた豊かに湧き立つ五色の虹のことを静かに想っていた。






「 あゝ、これが漫湖(まんこ)なのだ・・・・・ 」
  流れないマングローブの赤泥(あかどろ)の干川(ほしかわ)を、ゆいレールに揺らされつゝ左右の車窓にみた。
  それは粘着質の流体による貧乏アトラクション河川。修治はながめていて、このまま土に埋もれて息絶えるかと思った。乾いたマングローブの日向くさいところに顔を寄せたりしたくなる。流れない泥の上に「うちな~カンプー」の女人が坐っているように見えたりもする。しかしこの光景には強く見つめると逆に、現代の沖縄意識がおぞましすぎて、傍観者でいると罰でも当てられるように虫酸が走る。修治はその琉球と沖縄との一体映像が混合的で、クレオール化されたカット割りとモンタージュの巧さとの美妙なアメリカらしさに、あらためて舌を巻くほどの焦がし尽くされた風土をみせつけられた。
「 やはりこれは、僕も一傍観者に過ぎぬのかも知れぬ・・・・・ 」
  私には戦時の素養がないからなのかもしれないけど、自分にとってさほど興味がない琉球人の人生に、なぜこれほどその哀しさに詳しくならなきゃならないんだという嫌な鏡に映し出された思いが、空中の砂を掴むごとくする。固く掴もうとしていたのだが、修治の砂はサラサラと落ちた。干し川の赤泥には、想像以上に、日本の本土決戦の流血に加え、さらにベトナム戦線の流血までもが練りこまれていたのだ。
  こうして修治は壺川(つぼがわ)駅で降りた。

  唐船(とうしん)ドーイさんてーまん
  いっさん走(は)えーならんしやユーイヤナ
  若狭町村(わかさまちむら)ぬサー瀬名波しなほぬタンメー
  ハイヤ センスル ユイヤナ (イヤッサッサッサ)

  壺川駅には「唐船(とうしん)ド―イ」の唄がある。復員後に富造はこの唄をよく口荒くちすさんでいた。
「 まもなく壺川、壺川駅に到着します・・・・・ 」
  修治は、たゞ、この到着予告チャイムを聴くためにだけ駅のホームへと降りてみた。
  これは琉球民謡の代表的なカチャーシー、三線(さんしん)の速弾き曲、エイサーではトリの定番で祝い歌の一つである。
  唐船ドーイは、琉球王朝時代に中国からの交易船(船が来たぞ~!)と歓喜する表情に溢れる。富造のみた青空には未だこの唐船ド―イの長閑のどかな風景があった。
  しかし、ウォルマートやナイキやマイクロソフトが亜流のアメリカをむしゃむしゃ食べ始めたことは、いつのまにか新しいアメリカ文化が琉球の光景を無分別にぶんどったことをあらわしている。
  ヒップホップのバギーパンツとナイキのシューズは沖縄風コモディティの凱歌となり、マルチウィンドウとマウスのあいだのPCインターフェースは、その後の電子商品が市場と世間を独占することの予告だったのである。こうなってくると、沖縄は21世紀アメリカ資本主義の最も気軽な自由主義の地域なのであり、最も商業的・戦略的な相互扶助的お友達だということになる。そして沖縄の人はすでにその市場と商品の係数になっていった。さらに、これはおよそ日本政府に何事の準備もできない茶番のようなものだった。さらにさらに、永田町と霞ヶ関はそういうことはいっこうに居留守にしたかったのである。日本の政府や官僚の居留守能力は世界的に高レベルなのだ。
 修治には、唐船ドーイの哀愁が、赤声で喚(わめ)きつつ日本のドアを叩き続ける呼び鈴に聞こえた。










                                      

                        
       



 イージー・ライダー(原題:Easy Rider)1969年公開のアメリカ映画。






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