Kの理論 「華麗なるブレイクアウト」 Breakout Magnificent.

脱走・・・ただ道は一つ。いつも道に一人。万人は来ない。脱線し続けるサイボーグ社会からの脱出。

ジャスト・ロード・ワン  No.12

2013-09-23 | 小説








 
      
                            






                     




    )  百姓  Hyakusho


  自然界が「くびき数式」という語法で解説されていた。
  どうやら日没の瞬間は、その数式によると視界の彩度が「零(ゼロ)」になるという。
  自然が「くびき」を意識するという、語法の引用がいかにも生臭く感じられた。
「 これは、法衣の解釈でしようね!。自然科学の概念とは思えません・・・・・ 」
  キッパリと、修治は読後の感想を伝えた。
  そして30分後に、雨田博士の本棚にある本を「すべてチェックさせて下さい」と願い出た。
「 その読書感想文は、赤点です! 」
  とザックリ、仕返しされたからだ。
  人間の明日とはいかにも未明である。翌日から半年間ほど、毎日山荘に通うことになった。
  数万冊はある博士の蔵書の中に、その不可解な数式を解説したと思われる古い手引書が一冊含まれているという。仕分けてそれを見出すのに半年間を要したのは、不可解な数式とは、科学式なのか工学式なのか判別がし難い本だったからだ。つまり修治はこの本の内容が知りたくて半年間も山荘に通ったことになる。本の手引きは、既存の価値を維持しようとするものに反逆するものであった。
  すべてをチェックさせて下さいとは言ったが、全書という意味ではなく、一冊の全てをということだった。したがって博士は少し誤解をしていたと思う。博士はあのとき「二年でも三年でも貴男のお好きにどうぞ」と言ってくれた。そうだから一冊の本をかかえて、修治は書庫の中をあてどなく回り行き、歩きながらその本をようやく読了した。するといつしか修治はすっかり反逆の意識内へと手引きされていた。
  この一冊には、半年かけて修治がそうするだけの不可解な価値があった。
「 落日は、おぞましいものを棄却するために一度すべての色を零(れい)にする。結果、落日は乗法と除法による演算を廃棄した。同時に減法による演算も廃棄した。このとき落日は加法のみに注目し、その性質を黒とした。また等式によって黒の性質は無制限に変化することになる 」
  と本には、修治の記憶に残る特別な一行が、人の想像は神髄の理論をえて意味をもつように刻まれていた。
  そして、これを尸解仙(しかいせん)という無意識の力であることを初めて知った。仙人の言葉である。

                    


  日没のとき陽の消えて逝く海洋は漆黒となる。そして月が生まれ、海はにわかに仄かな青みを射してくる。
「 ああ、これが、美(チュ)らの青さなのか・・・・・!。あの本のいう、零点からの加法なのか・・・・・ 」
  琉球の海はこうして青い夜をはじめるのかと感じた。だがその海は、しだいにただならぬ様相をおびてきた。
  たとえばそれは汚物や廃棄物、体液や死体などがそうであるとともに、天理の法を破ろうとするもの、天上の良心を欺こうとするものも、神の御法度を破る人間によって創造されるものを、黙示録の様相として現した。
  夜の青さにそう語りかけられると、今お前がみつめる海の青は太平洋の表層色であって、到底お前には見えない深層色の青が真なる琉球の海であるというあたりから、まるで天上より修治は叱られているかのようであったのだ。
  しかし、そのうち、その表層や深層を琉球の神々が尚書令に律せられたときの事情を顧みるときは、などという史実疑考の何とも神さびた名調子に入ってくると、これは神に叱られている立場が、なんとも真逆に感化されて快楽に思われてきたのである。
  さらに曲亭馬琴の著名な「椿説弓張月」の才色によれば、といわれたあたりでは、あたかも未知なる才色を放つ曲亭馬琴が修治にも既知の昵懇の間柄に見えて、比江島修治は、ついついおおいに、琉球の海原へと身を乗り出すことになった。するともはや前人未踏の境地を曲亭馬琴と共有しているということに全く違和感などなかった。だから御嶽から望む青い夜の外洋は、しだいにただならぬ様相をおびてきたのだ。
「 ああ、あの波の上を滑るように、野口英世が、シェイクスピアが、そしてアンデルセンが、さらにスターリンが南へ南へと運ばれて行く。くるくると面々が何かを話題に上げながら、南へと運ばれながらも夜の青を美味そうに食べている。あれはおそらく死後の世界を生前の彼らが楽しく語り明かしているのではないか。その南とは、なるほど西方浄土なのだ・・・・・! 」
  出逢うこともない見ず知らずの4人が、どうしてか回転寿司のコンベヤーベルト上で、皿に座る寿司ネタのごとく修治の前を滑りながら、そして際限なくくるくると回り続けていた。寿司屋を訪れた客がみたその光景とは、そこに夥しい彼らの仕立てた名物の華葉果実がたわわにぶらさがるというふうなのだ。その博覧強記の味はいうまでもない。なにしろ彼らはこの地上で珍味名物を醸した面々なのである。
  そして修治は一皿の行列、この共通点に何か濃密な秘密が隠されていることに気がついた。
「 やはり・・・・・、農家には何か不可思議なものがある! 」
  どこか「百姓のいわく」というものがひそんでいるように見えた。
  比江島修治は以前から、少なくとも次の9人が農民に生まれたことにはなにがしかの因縁があるのだろうと思ってきた。
  眼に浮かぶ9人とは、謝国明(しゃこくめい)と、吉田 兼熈(よしだ かねひろ)と、呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)と、小西隆佐(こにしりゅうさ)と、紀伊国屋文左衛門と、野口英世と、そしてシェイクスピアの父ジョン・シェイクスピアと、あるいはアンデルセンと、さらにソ連の帝王スターリンの母ケテワン・ゲラーゼという面々である。
  こうした多くの昔話の主人公たちは、何らかのハンディキャップを背負っているものなのだ。





  おそらく9人に共通する人生なんてないのだろう。
  けれども、少なくともこの9人が百姓に生まれたことは、世の中に新しい職業が生まれるにあたって神々の遠大かつ広大な寝台が用意され、すでに天上の意思が書き割りになっていたにちがいない。
「 きっとこの9名の人間は、一人の貧しい百姓の少年や少女に窓辺の月が語りかけるところから始まるのだ。月は少年と少女に、これから自分が生きる物語を宵闇のなかに照らし出してみなさいと勧める。そこで少年と少女はトテツモナイ大きな話を窓辺に書きつけた 」
  青いタテガミの馬に跨る幽・キホーテの修治には、夜の深海の底にいて9人が結ばれて横一列に座る姿が泛かんできた。
「 ああ、これでは、まさにあの三猿ではないか。叡智の3つを握りしめながらも、さも秘匿するかのようだ。なぜ眼を伏せるのか、どうして耳を塞ぐのか、口までを閉ざすのか。君たちはいずれもが誇らしくあるべき勝者ではないのか・・・・・ 」
  9人はじつに消極的である。この世に無関心である。天上に響く鐘の音を聞いていると、この見ザル、聞かザル、言わザルの沈黙をまず突き崩すよう、目に見えない神の手が修治を導いているように感じた。
「 ここには何か大事な暗合や符牒が劇的に秘められているはずなのである 」
  日宋貿易に従事した謝国明は南宋の宗教文化を博多に輸入した。卜部氏の流れを汲む堂上家の家祖・吉田兼煕は、自宅の敷地を足利義満に譲り、吉田神社の社務となり公卿にまで昇った。呂宋助左衛門は堺の貿易商人として身を起し後にルソンからカンボジアに渡海する。小西隆佐は後に堺の豪商となり小西行長の父である。紀伊国屋文左衛門は紀州みかんや塩鮭で富を築き老中の阿部正武らに賄賂を贈り接近した。福島猪苗代に生まれた野口英世は医学者になり黄熱病や梅毒などの研究をする。ジョン・シェイクスピアは皮手袋商人として成功し8人の子供がいて劇作家シェイクスピアは3番目に生まれた。アンデルセンの父は貧しい小作人で、靴直しなどして生計を立てる。ソ連の指導者スターリンの父は靴職人、母ケテワン・ゲラーゼは農奴出身という貧しいグルジア系ロシア人の家系であった。
  これらいずれもの人物に関わるキーワードが百姓である。
  かって百姓とは、百(たくさん)の姓を持つ者たち、すなわち有姓階層全体を指して一括りに束ねられていた。
「 その百姓を、農民と同義とする考え方が日本人の中に浸透し始めたのは江戸時代であった・・・・・ 」
  9人の中からアンデルセン一人をみても、少年ハンスがどのように作家アンデルセンになっていったかという経緯(いきさつ)は、今日の登校拒否児童をかかえる親たちこそ知るべき話なのかもしれない。ハンスはろくろく学校に行かない落ちこぼれだったのだ。最初の貧民学校もやめてしまったし、次の学校も、さらに次の慈善学校も長続きせず、全て途中でやめている。引きこもり症状もあったらしい。そして父親がつくった人形に着せ替えをしていたのは近所の女の子たちではなく、少年のハンスだった。やがてその靴職人の父親もハンスが11歳のときに死に、残された母は文字すら読めなかった。だがそうした貧しさの寝台は、特異な素養をアンデルセンにだけ与えたのだ。
「 この9名は同じようにして、唯一の発見を果たした・・・・・。ところがどうだ・・・・・ 」
  あの世におけるこれらの9人の奇妙な物語には、何かが足りないか、どこかに弱点があるか、誰かに欠如を持ち去られたというプロットがひそんでいるようだ。さて、これらの物語はなぜわざわざ、こんなふうな「弱みとおぼしき姿」を露骨に見せているのだろうか。ここに「弱点の相転移」があるのではあるまいか。修治にはそう想定されるのだが、まさに琉球の神々もまた、曲亭馬琴の「椿説弓張月」を差し出してそのことに留意せよと仕向ける素振りだった。
「 何やら妖気を発した動かぬソロバンを前に、これは九連の妖猿の頭でも弾くようなものだ。それなら生身の修治のままでは一向に拉致がないではないか・・・・・ 」  
  そう感じた幽・キホーテは、9人の百姓の顔色のそれぞれを、ジロジロと見比べてみた。
「 どうやらこの9匹の猿には狸寝入りならぬ「猿寝入り」というものがあるらしく、おとなしく9匹一緒に皿の上で座っていても、人間のほうが眼に寝息をたてたとたんにむっくり起き上がり、日頃してみたかったことのすべてをやりとげるらしい。まず人の頭をポンと叩く、そして脳内をひっかきまわす、蓄えた知識のコードをめちやめちゃにする、しだいに常識の洋服をめためたにする。9匹はついに人間から伝授されたとおりに、意を決して人間の首ねっこにがぶりと噛みついてくる。その傷口からポタリポタリと血が滴り落ちるのだが、その地を9匹は転がそうとする。こっそりと穴の中に落とそうとする。穴の地下には9匹の猿知恵が懸命に働いていた・・・・・ 」
  幽・キホーテの見たそれは「百姓を創るファクトリー」であった。
  人間の生血で、次々と百姓の分身が生産されていた。







      



  たとえばギリシア神話には、テーセウスが大岩を持ち上げたときに発見したものの話が出てくる。テーセウスはそこに剣と黄金のサンダルを発見したのだ。大岩を持ち上げることができたのはテーセウスが成熟した年齢に達したことをあらわしている。そうだとしたら、そこに黄金のサンダルを発見できたのは、その成熟した力が他人に譲渡可能になったことを意味しているのである。
「 これとまったく同じ経緯が、動こうとはしないこの9人の物語にもあらわれているではないか・・・・・ 」
  あのシンデレラがガラスの靴を片方だけ失くさない限りは、彼女は幸せにはなれなかったのである。これは古代神話以来、そのような宿命を背負った物語のセオリーだったはずだ。このことが神話や伝説の真意を説くためのきわめて大きな鍵となっているのはその通りなのだが、琉球の神々がここで修治に言いたかったことは、現在の人間が過去の神話伝説の世界を読むにあたっては、近代や現代ではまったく逆の定礎をうけてしまった事情がそこには必ずひそんでいるのだということを、忘れるべきではないということなのだ。
「 そうだとすると、9人の事情とは、一体何なのか・・・・・ 」
  しかしそう考えようものなら、9人は矢も盾もたまらず「おい、その考えはダメなんだ。吐きだせ、吐きだせ」と叫ぶ始末なのである。
  百姓という言葉遣いは、日本において当初は中国と同じ天下万民を指す語であった。しかし、古代末期以降、多様な生業に従事する特定の身分の呼称となり、具体的には支配者層が在地社会において直接把握の対象とした社会階層が百姓とされた。この階層は現実には農業経営に従事する者のみならず、商業や手工業、漁業などの経営者も包括していた。だが、中世以降次第に百姓の本分を農とすべきとする、実態とは必ずしも符合しない農本主義的理念が浸透・普及し、明治時代以降は、一般的に農民の事を指すと理解されるようになった。百姓を農民の意味とした初見は、現在のところ9世紀末に編纂された『三代実録』という書物である。
「 つまりこれは日本最古の百姓進化論というべき一冊なのだ・・・・・ 」
  この一冊を眼に浮かばせたとき幽・キホーテは「新しい日本社会の魔」を想定して、三代実録のコスモロジーの図を一枚のペーパーの上に描き出すごとく、それを鉛筆で何度もたどりながら百姓が延々と記したであろう「新しい科学のシナリオ案」を琉球の海の上に披露した。それから弥生時代あたりから百姓という仕事意識が芽生えて、様々な職業意識へて転換された確率論の周辺を散策しながら、ついには日本神話の記憶の話に及んだのだが、日本人が最初にこの地上で成した職業が「百姓」あったことを琉球の海上に重ねて再確認した。
「 天孫のニニギノミコトは初穂の種をたずさえて降りたのだ・・・・・! 」
  想いがここに突き当たると、御嶽から眺める琉球の夜は、赤い赤い夕陽の落ちる一面のススキ原となっていた。
  それは農耕民族が萌えだそうする赤い原始の光景であった。



  日本の古代においては、律令制のもとで戸籍に「良」と分類された有姓階層全体、すなわち貴族、官人、公民、雑色人が百姓であり、これは天皇、及び「賎」とされた無姓のなどの、及び化外の民とされた蝦夷などを除外した概念であった。
  そうした百姓に属する民の主体であった公民は、平安時代初期までは古来の地方首長層の末裔である郡司層によって編成され、国衙(こくがは、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画)における国司の各国統治、徴税事務もこの郡司層を通じて形成されていた。しかし8世紀末以降、律令による編戸制、班田制による公民支配が次第に弛緩していくのと並行して郡司層による民の支配と編成の機構は崩壊し、新たに富豪と呼ばれる土着国司子弟、郡司、有力農民らが私出挙によって多くの公民を私的隷属関係の下に置く関係が成立していくことになる。そのため、国衙は国司四等官全員が郡司層を介して戸籍に登録された公民単位に徴税を行うのではなく、筆頭国司たる受領が富豪層を把握して彼らから徴税を行うようになった。
  そしてこうした変化は、9世紀末の宇多天皇から醍醐天皇にかけての国政改革で基準国図に登録された公田面積を富豪層に割り当て、この面積に応じて徴税する機構として結実する。
  これによって10世紀以降、律令国家は王朝国家(前期王朝国家)に変質を遂げた。
  また、ここで公田請作の単位として再編成された公田を名田、請作登録者を負名(ふみょう)と呼び、負名として編成された富豪を田堵(たと)と呼んだ。さらにこうして形成された田堵負名層がこの時代以降の百姓身分を形成する。そうなると百姓は、請作面積に応じた納税責任を負うが、移動居住の自由を有する自由民であった。彼らの下に編成された非自由民に下人、従者、所従らがいた。こうして律令国家においては戸籍に登録された全公民が国家に直接把握の対象となりそれがすなわち百姓であったのだ。だが、王朝国家においては国家が把握する必要を感じたのは民を組織編制して税を請け負う田堵負名層だけとなり、それがすなわち百姓となった。
「 これを言い換えれば、田堵負名層の下に編成された下人、従者、所従らは国家の関心の埒外となったとも言えよう。また、国家権力や領主権力が把握対象として関心を示す範囲の階層こそが百姓であるという事態は、現代を含む以後の歴史においても明確な国家の基本線となっていくことに注目してよい。そしてさらに、前期王朝国家において、田堵負名層は在庁官人として国衙の行政実務に協力する一方で、しばしば一国単位に結集して朝廷への上訴や受領襲撃といった反受領闘争を行ったが、彼らの鎮圧や調停を担う軍事担当の実務官人として武士という職業が誕生した。これも注目して顧みる必要があろう・・・・・ 」
  武士は戦闘を本分とする、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。かの沖縄戦線の惨状を映し出した幽・キホーテの眼には、戦争と紛争の源泉である武士の台頭が琉球の海にあることが痛切に感じられた。武士はその軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめた。また近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けたし、明治から昭和までをその戦闘精神が興国のための原動力として作用した。そしてその結実の果てが、かの敗戦であった。武門の闘争精神が、大日本帝国の軍人が持つべき倫理と接合して、軍人の倫理の骨格をかたちづくることになった。
  そして百姓は、江戸時代中後期の社会変動によって、百姓内部での貧富の差が拡大していくようになる(「農民層分解」)。高持から転落した百姓は水呑百姓や借家などと呼ばれるようなった。その一方で富を蓄積した百姓は、村方地主から豪農に成長した。また、村役人を勤める百姓を大前百姓、そのような役職に就かない百姓を小前百姓と呼ぶようになる。この実際の村落には多様な生業を持つ百姓が住んでいた。
  大工、鍛冶、木挽、屋根屋、左官、髪結い、畳屋、神職、僧侶、修験、医者、商人、漁民など、これらは水呑・借家あるいは百姓が営んだ職業であることが多かった。御嶽のノロとて同じことである。
  戦争がおこると、殺人がおこる。殺した者も、殺された者も百姓であった。
  百姓というその多様な伏流の姿は多彩な職業に従事した人間の生き方に見えてくる。だが、そのことを問題とする前に、中世社会における貨幣と流通がどのようになっていたかという話になれば、これは日本人が「富」というものをどのように考えたかという一大問題である。ここをつきすすんでいくと、贈与と互酬による社会のコンベンションが、貨幣によって駆逐されるのではなく、別のかたちに移行しながら、新たな職人世界というものを形成していったという経緯を解剖していくことになるのだ。そして、そこにクローズアップされてくるのが、天皇や神仏の直属の民の一群としての「神人」「寄人」「供御人」である。
  戦争という鉄砲の引き金の背景には、かくも百姓の複雑な歴史的動向の勢いがあった。戦中を戦った者も百姓であり、戦後に反戦を叫ぶ者もまた百姓なのだ。さらに沖縄の人々は皆百姓なのである。
  そう考える幽・キホーテの脳内では、現代人という一体の生体が、もはや動かざる遺伝子組み換えで改変された「百姓のトランスジェニック三猿」として存在し、内気な神秘主義と虚無の関係に始まるこの呪縛された新モデル生物とは、いつ変異原が投与され、どう突然変異を起こすのかにさえ無関心な生体膜で包まれたアエロモナス的感染爆弾であった。そして琉球の青い闇の中に、感染したこの重力の謎が残った。
  そして御嶽から覗く闇深い海上にはしだいに富士山が浮かんできた。
  地球がずるずると大陸の表面を移動させていることを考えると、未来的には一向に不可思議なことではない。しかしそういうこととは別にキホーテには富士山が想い描かれるべき根拠が以前から想定されていた。





「 あの音羽六(りく)号は、富士山を越えて、東京へと向かったのだ・・・・・! 」
  間もなく明けようとする朝の景色に雨田博士は、音羽六号の飛影を想い、そして阿部富造の影をそこに描き重ねたのだ。その眼にある光りとは、また日本の夜明け前でもあった。近代日本の払暁ふつぎょう、そして同時に陰陽寮はこの世間から消えた・・・!。幽・キホーテは再びそれらの動向を追うことにした。








                                      

                        
       



 沖縄本島






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