えび燿子のひとりごと

日々のなにげない事柄を、いろんな角度でクローズアップして、ボソボソと「ひとりごと」を言っています。  

きらら、さようならなんて言えない(;▽;)

2013年03月27日 23時22分11秒 | 日記

初七日がすんで、やっと書けそうです。

そういえば、ずっと前に、家の娘が22歳~23歳になる頃には、きららはもう寿命の歳になるのかななどと言っていたような…。
そう、家の一人娘も今年23歳になるのですね。
とうとうその日が訪れたのです。
それも突然に。
歩けなくても、寝たっきりでもいいから生きていてくれればいいと安易に思っていたのに、そううまくは行きませんでした。
娘を車で駅まで送って、家に帰るときららのか弱い声が
「く~ん」
「ん?おしっこかな?すぐ行くよ」
ときららのベッドに行くと、優しい目で私をじっと見たまま、動かなくなってしまったのです。
泣きながら病院へ電話をして様子を伝えると、先生は休み時間なのに
「すぐ連れてきてください」
と言ってくださって、無我夢中で運転していきましたが、すでに事は切れていました。
その後はどんな会話をしたのかも思い出せませんが、葬儀のことやその後しなければならないことなどを、しっかりやっていたのには、自分ながらびっくりしています。
きららの最後はきちんとやらなければと言う気持ちからだったのでしょう。
それにしても、きららは死ぬ前に、私が帰ってくるのを待っていてくれたのですね。
良かった、私だけでも最後のきららの可愛い表情をみることができて。
あの時、きららは、先日ブログにも書いた山田太一さんの言う「エンドルフィン(脳内麻薬)」に満たされて、圧倒的な幸福感を感じていたのでしょうね。
そう信じたいです。
19日は、山田さんの講演会が渋谷で行われていたのです。
恐れながら勝手に不思議な縁(えにし)も感じてしまいます。
きららへのエッセイも読んでもらっていたし、昔山田さんも柴犬を飼われていたそうだし。
(山田さんごめんなさい)

5月から、旦那は遠いところに3年ほど転勤(単身赴任)になります。
この状態では3年もは生ききれないだろうから、旦那は最後のきららの姿を見ることができないと思っていました。
それが、その前に逝ったのですよ。
旦那が会社から帰ってから冷たいきららを見て、娘の前では初めての号泣でした。
今までの思い出がどーっと堰を切ったように出てきたのでしょうね。
みんなで思いっきり泣きました。

娘の卒業と、社会人へと旅立つ姿も確認してから逝ったのです。
私たち家族にはもったいないほど、よくできた犬でした。

きらら、私たちはこの14年9ヶ月、本当にしあわせな日々でした。
散歩も楽しかったし、甘えん坊だったし、照れ屋だったよね。

もう、きららって呼んでも、あの優しい目で応えてくれないのね。
さようならなんてまだ言えない、また会いたいよ。


若い頃の動画
反映まで少し時間がかかるかもしれません。  

  ↓

若き日のきらら