えび燿子のひとりごと

日々のなにげない事柄を、いろんな角度でクローズアップして、ボソボソと「ひとりごと」を言っています。  

ホワイトハウス?

2010年03月14日 09時35分13秒 | 日記
近所に新しい家が建っているのですが、その中に不思議なお家があるのです。
いままで、囲ってあったのであまり気づかれなかったと思うのですが、囲いがなくなって初めてホワイトハウス登場!ということですね。
犬友だちに以前から聞いていたので、出来上がりが楽しみでしたよ♪

なんと、窓が殆どないのです…(-_-;)
小さな窓は右側後ろにいくつかありますが、南側には玄関だけです。
多分、中に吹き抜けの中庭があるとしか考えられません。
外気に触れないと建築上問題になるでしょうから。

それにしても南側に窓がない家って初めてなのでびっくりです(^_^;)

近所の噂も面白がって
「有名人が顔を見られたくないから?」
「オウムみたいな宗教がらみで、兵器をつくるとか?」
など、想像が膨らんでいるようです^m^

法律上違反でないなら、好きにしていいですよね。

でも、反対に目立っちゃいましたね(^_^;)
荷物はどこから入れるのでしょうか?(-_-;)

嬉しかったできごと(*^_^*)

2010年03月12日 15時04分20秒 | 日記
駅前のスーパーでのできごとです。
駐車場を使った場合は、2、000円のレシートがあると2時間が無料になるのですが、食料品売り場でレジを打ってもらったら1、970円
「これじゃ、30円足りないからダメですよね」
と言うと
「はぁ、今厳しくて、2、000円越えないとサービスできないのです…すみません」
「そうですよね、わかりました」
と素直にマイバッグに詰めていると、20代の女性が
「あのぅ~、よかったらこれ使ってください」
と、630円のレシートをくれたのです。
「え、いいんですか?助かります」
とお礼を言ったら、
「30円ですものね、お役に立ててよかったです」
とベビーカーを押しながら爽やかなそよ風のようにそこから去って行かれました。

後ろで、聞いておられたのでしょう。
ささやかかも知れませんが、嬉しかったですね(^^♪

いつか、私もそんな場面に出合ったら、同じことをして誰かにお返ししなくっちゃね(^^)v

どこのどなたかはわかりませんが、ありがとうございました\(^o^)/

思わずハグ

2010年03月11日 17時40分17秒 | 日記
買い物から帰って、車にある荷物を玄関へ移していた時に、向こうから自転車を押しながらこちらに来る背の高い女性がいる。
あの飛び降り自殺の女子中学生Tさんのお母さんだと気づいた時には、お互い駆け寄って自然にハグしていた。
「お会いしたかったです」
とTさんのお母さんから泣きながら言われて
「私もお会いしたかった…。大変だったのね…。辛かったね…」
涙が止まらない…。
それから、学校の対応について聞くと、信じられない言葉がつづく。
いじめのために大事な命が消えてしまったのに、学校は、生徒たちにそれについて何の説明もしないし命の大切さも伝えない。
受験の子もいるし、早く普通の生活に戻したいと言うばかり。
他の先生の対応も「ことなかれ」で、自分は関係ないという顔顔顔。

Tさんのお兄さんは、みかるの同級生H君。
H君は、小学校の時にはよく家に他の友だちと来てくれて、愛犬きららと遊んでくれていた。
臆病でなかなか子どもたちの中に入れないきららなのに、H君には甘えていたこともお母さんに伝えたら、お母さんは、
「みかるちゃんはHと会うと、いつもにこって笑ってくれるんだよって、Hがよく嬉しそうに言っていました」
と、やっと笑顔になって話してくれた。
あのころは、クラスの8割は家に遊びに来ていたけれど、5年生くらいになるとやはり男子は来なくなったのを思い出す。

Tさんのお母さんはオープンな人なので、家庭の事情(私も再婚だけれど、事情はいろいろある)などもみなが知っているし、そんな事情があるのに本当に仲の良い家族で、今度も、外に出て独立している上のお姉ちゃんが、心配してずっと一緒にいてくれたことも話してくれて、なんだかほっとした。

Tさんのお母さんは
「これからです、妥協しないで戦います」
と、あんなに辛い思いをしたのに、力強く宣言され
「いつでも話しにきてね」
と、わたしも応援していることを告げた。

学年学年でカラーが違って、私たちの学年は(みかるの学年)子どもたちもお母さんたちも、気持ちの良い人ばかりなので、きっと力強い味方になってくれます。

最後にお母さんが言われた一言は、

「死ぬ前に、誰かと言い争いをしていたとありましたが(新聞にもスキー合宿で喧嘩のようなことがあり大きな声を出したり泣いたりしていたと書いてあり)あの子は、家でもそんなに激しく感情を出す子ではないので、よっぽど辛いことか許せないことがあったのではないかと思っています」

もう遅いけれど残念なのは、Tさんともっと話しをする関係でいたかったということ…。
やさしいTさんは、きっとお母さんが心配するだろうと思い言えなかったいじめのことを、言ってくれるような近所のおばさんでいたかったということ。



「おもいやり」を軽くみないで  

2010年03月06日 22時26分17秒 | 日記
今、生きているということは、道端のガードレールの欄干を歩いているように、危なっかしく、それはまさに奇跡的なことかもしれないと思っている。
なぜかというと、昨年の暮れに、犬友だった近所の奥さんの、突然の交通事故死にあい、今年はつづけざまに友だちの旦那さまが亡くなるという悲報を受け、
つい最近にも、今年成人するわが娘が中学校まで同級生だった友だちの妹である、中学生の自殺という痛ましい死にまで見舞われているからだ。
昨日まで会話をしていた人の姿も声も感じることができなくなるという怖さは、想像もできないほどの、いままで経験したことのない、全く知らない感覚であり、いつものように正常な普通の考えすら持てなくなったりするのだ。
人はよく「寿命だ」とか「運命には逆らえない」などと、本当にはよくわかっていないのに、さもわかったようなことを言ってしまうのは、
自分自身をその言葉で無理やり納得させているからかもしれない。
ただ、病気や事故で亡くなってしまうのは、その欄干から思わず足を滑らしてしまったことだとも思えるけれど、自殺はそうではない。
自ら進んで落ちることを選んだのだから。
このところ1年間に3万人もの自殺者があるという。
これは、戦争でもこんな人数もの人が亡くなったりしないのに、自ら死を選ぶ人がこんなにいるということは異常だと世間へ向けて知らしめ、
対策は真剣に考えなければなければ大変なことに為りかねない。
杓子定規に「命を大切に」とか生ぬるい言葉では、何の効果もないようなことになっている。
先の中学生の死は、「いじめ」らしいのだが、そのクラスのいじめた仲間たちが、
「テレビ局にインタビュー受けた」
とか、はしゃいでいたという。
その学校に娘が通っているある母親からの話しを聞くと、それは彼女たちにとって、まるで他人事、
ドラマのフィクションでも見ているような感じにしか思っていないのかと、
自分の娘なら、ぶんなぐったと言ったその母親には、全く同感してしまう。
打たれ弱い子どもが増えたのか、いじめをしていてもそれをいじめとは認識していない子が多いのか、
子どもが小学生から塾などで忙しくて遊ぶ時間(コミュニケーション)がないからなのか、
先生も研修研修で忙し過ぎるので子どもとのふれあいがないのが悪いのか、
親が忙しすぎて子どもが寂しすぎるのか、いったいどこに解決の糸口を見つければいいのだろうか。
これもみな「おもいやり」だけで解決できるはずなのに、この言葉はありふれた言葉なので、
誰も
「ふ~ん」
としか思わないかもしれないのだが、相手の立場になる、相手の痛みを感じる、その「おもいやり」の心を大人も子どもも持つだけ、それだけなのにと思ってしまうのだ。

例えば、自分の意見とその人の意見が違うからといって、それを無視(スルー)するのはよくない。
それが高じればいじめに繋がると思う。
そうされて、その嫌なことをじっと我慢しなさいそれがおもいやりだと言っているわけではない。
もしその人と自分の意見が違うなと思った時には、きちんと自分の意見を言って議論して、お互いに納得するように努めることでコミュも成り立つ。

それも、自分を含めて自戒しながらの「おもいやり」なのだと…。