今、団地の芝生の中で、カサブランカが、咲いている。すでに亡くなった方が、絵葉書の先生で、その方が、絵を描く材料となる、花を育てていた。もう、その方は、いないが、毎年、綺麗なユリの花が、咲く。丁度近くに、蜂の巣が、あった。




なぜ着る物の事で心配するのですか。野の花がどのようにして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、つむぎもしません。
しかし、私はあなた方に言います。栄華を極めたソロモンさえ、この花の一つほどにもよそおっていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのようによそおってくださるなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか?
信仰の薄い人たちよ。ですから、何をたべようか、なにを飲もうか、何を着ようかと行って、心配しなくてよいのです。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうしれば、これらのものは、すべて、それにくわえで与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくて良いのです。明日のことは、明日が、心配します。苦労は、その日その日に十分あります。 聖書6章25から34節