えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

明日、浪漫亭で 10話終

2020-07-16 22:35:00 | 書き物
- 10話 -
ほぼ定時に仕事を終えて、外に出た。
12月半ばに前にいた支店の事務部門に戻ってからの平穏な日々。
クリスマスもあっという間に過ぎてしまって、今日30日で仕事終わり。
今日は、近くなった浪漫亭で彼と待ち合わせだ。
あの後、初めて彼と会うのだ。


あの時の記事は…
結果的に出てしまった。
それでも、彼の事務所が粘ってくれて極力私の情報を抑えてくれたみたい。
と、言うよりも彼が事務所にかなり食い下がってくれたと…
これは、高橋さんが教えてくれた。
ただ、それと引き換えに一般人の彼女がいると公表することになったけれど。
待ち合わせの時に撮られた、後ろ姿の少しボケた写真も公開された。
SNSなんかで色々噂されたけど、悪意のあるものは少なかったらしい。
それでも、私は上司に報告した。
外から漏れたら嫌だったから。
結果、用心のため異動になったという訳。
結局、事務所から会うなと言われることも無かった。
だから今日、近くなった浪漫亭で待ち合わせになったのだ。
もう彼とのことは隠すこともないから、まゆみちゃんにさんざん弄られてしまった。
『ラブラブですね』なんて言われて…
ラブラブ…
正直、私はどこかで彼のことを信じてきれて無かったような気がする。
彼は事務所には逆らえないかもしれないって、ほんのちょっぴりだけど思ってたから。
だって、どう考えても大事な仕事が優先されるはずだもの。
それってラブラブだって言えるの?
私の気持ちはずっと、グダグダしてた。
ヤキモチ焼いたり、迷ってみたり。
そんな私のことを、全力で護ってくれた。
それが申し訳なくて…
今日会うのも、いいのかなって思ってしまってる。
会いたい気持ちは嘘じゃない。
でも、胸に残る申し訳なさが私をもやもやとさせるのだ。
もやもやの元はもう一つ。
また、三原さんと同じ職場になったこと。
彼とのことを知ってるくせに、時々意地悪なことを言って弄られる。
「いつも側にいてくれる彼氏の方が、美海には合ってるんじゃない?」
「つらくなったら、俺に言ったらいいよ」
弄っているのか、本気なのか…
「あぁー…もう、しっかりしろ、私」
声に出して右手で頬をパチンと叩いた。
もうあの信号渡ったら浪漫亭じゃない。
…陽介さん、もう来てるかな。
顔を見たら…声を聞けたら。
そして2人で笑いあえたら、こんなもやもやは吹き飛ぶような気がする。



10月期のドラマも終わり、CMの撮影も無いということで、今年は早めに休みになった。
そんな訳で、仕事納めの美海と久々に浪漫亭で待ち合わせしてる。
時間があったから、早々に着いてしまった。
久々というか…週刊誌に突撃されたあの晩以来?
あの時は、美海を守るために必死だった。
三浦さんの時みたいに、一般人である美海の情報がダダ漏れになるのは絶対に避けたかった。
結局、三浦さんは例の彼女と別れたらしいからな…
事務所は所属してる人間を護る気はあるけど、その相手の面倒まではなかなか見てくれない。
今回は、なぜかチーフマネージャーが俺の話を聞いてくれ、週刊誌側と交渉してくれたのだ。
『どうしても護りたい子なんだな?』と聞かれた。
『彼女有りだと公表したら、女性ファンは多少なりとも減るぞ』とも。
それでもいいと言ったから、美海の情報はあのボケ気味の後ろ姿だけになった。
美海は、上司には報告したらしいけど…
ブレイクと言われもてはやされて、自分も変わらなきゃその変化について行けなかった。
変わると言っても、簡単にすっと変われるわけじゃない。
そんな中で美海に対する気持ちだけは、変わらなく胸の中にあり続けたんだ。
その気持ちと美海がいてくれたら。
俳優と言う厳しい世界を生きられると思えた。
美海も、そう思ってくれていたら嬉しいんだけどな。
俺の気持ちを押し付けたくはない。
ただ自然とそうなってくれたら…
もうすぐ待ち合わせの時間だ。
あの階段を、美海が登って来る。


久しぶりに登る浪漫亭の2階への階段。
いつもの席に向かったら、頬杖をついてこちらを見てる彼がいた。
「陽介さん、おまた…」
「美海、、」
手首を引かれ、彼の隣の席にストンと座る。
手を取られて見合ったら、目の前に彼の笑顔があった。
目を細めてきゅっと上がったくちびる。
「待ってた。会いたかったよ」
あぁ、もう。
こんな短い言葉で、もやもやが消えて行く。
あなたが言ってくれた言葉が、私の胸をドキドキで埋めてしまう。
狡い。
狡いよ…
私、色んなこと考えすぎてどんな顔していいのか、分からなくなってたのに。
「何か言いたそうな顔…」
両手で頬を挟んで、きゅっとまっすぐ顔を向けられる。
「だって…狡いんだもの」
「え?狡い?何が?」
「そんな風に、何も無かったみたいに笑ってるから…私、どんな顔したらいいんだろうって、ずっともやもやしてた」
「美海は考え過ぎ」
挟んでる頬を手のひらでぺしぺしとはたいて、頬から手を離した。
そして、その手が私の両手を包むと、彼の温かい温度が伝わって来る。
「そりゃ、色んなことがあったよ。こんなに会えないのかって位、会えない時も。今だってまあなかなか会えてないけどね。でも、ほら、見て」
見て…?
彼が振り向いたのは、カウンター席。
「美海があそこで待ち合わせしてた時から今まで、美海を好きな気持ちはずっと俺の胸の中にあるよ。それはこれからも変わらないから」
少し照れて、はにかんだ彼の笑顔。
思い出した。
三原さんと都の、見たくないものを見てヤケで飲み過ぎた私を助けてくれたこと。
お礼を言いに言った時、向かい合わせて座った彼は、こんなふうに笑ってくれた。
私は、憧れてた人の笑顔を見て、ただただきゅんとしてた。
「だからさ、この間のことを絶対拗らせたくなかった。ずっと美海といたいから」
「そんなふうに思っていてくれて、嬉しい…なのに私、陽介さんにもどうにも出来ないんじゃないかって…」
「ストップ。もう、あれこれ言わなくていいよ。美海がこれからも俺といてくれれば、それでいいんだ」
「うん…」
2人並んだまま、濃いコーヒーをゆっくり飲んだ。
なんかベンチシートみたいって笑ってしまったけど。
拗らせたくなかったって、言うほど簡単じゃなかったはずなのに、ぐらぐらと揺れる私を受け止めてくれた。
2人の初めての場所、この浪漫亭のこの席で。


「じゃ、そろそろ行こうか」
まったりした空気を、唐突に彼が変えた。
立ち上がった彼が私の手をを引く。
顔を見るといたずらっ子みたいに笑ってる。
「ちょっと待って。どこに行くの?ご飯食べに?」
「そう、ご飯食べに。とりあえず行こう」
外に出て、前の通りを駅とは反対側に歩く。
あれ?
こっちに行くと噴水のある広場に出るけど…
近くにお店なんてあったかな?
広場を抜けてから彼が立ち止まったのは、レンガの塀で囲まれた敷地に、背の高い木がたくさん植えられた一角。
上を見上げると、この街には珍しい高層マンションだった。
「ここって…まさかマンションの下にお店があるの?」
「いや、実はこの間ここに引っ越したんだ」
また歩き出しながら言われて、面食らった。
「え、、どうしたの、急に?引っ越したいなんて言ってた?」
「いや、考えてなかったよ。でも、事務所からも近いここにマンションが出来るって聞いて、この辺に住むのも悪くないかもって気になったんだ」
ロビーのゲートの先のエレベーターに乗って、降りたら地上はずいぶん下…
「ここだよ」
彼について入った部屋。
廊下の奥は眺めのいいリビングだった。
ガラスの向こうに見える夜空は、灯りに彩られてキラキラしてる。
「そこのソファに座ってて」
言われるままソファに座ると、手際良く運ばれてくる鍋と食材。
「ねえ、陽介さんが作ってくれるの?」
「まあね」
ちょっと得意気な声。
こんな彼、初めて見たかもしれない。
ローテーブルの上には寄せ鍋とちょっとしたお惣菜の小鉢。
これを私のために用意してくれたんだ…
お鍋のせいだけじゃなく、頬に熱が灯る。
「よし、これでOK」
彼が座ると、2人でビールのグラスを合わせた。
初めての彼の部屋、彼が作ってくれたお鍋。
久しぶりに会うのは相変わらず同じだけど、今夜は今までと違う夜になるかもしれない。
そう思ったらまた、胸の中が煩くなる。

彼がすると言ってくれたけど、食事の後片付けは私がした。
真新しいキッチン、やっぱりいいな。
どこもかしこも綺麗。
お鍋だったし、そこまで多くなかった洗い物。
きゅっと水を止めてリビングを見ると、彼が窓際に立って手招きをしてる。
そう言えば、さっきまで窓の外を見てた。
リビングの窓は一面の大きな窓だから、夜の街がよく見えるって言って。


「美海、こっちおいで」
彼に近づくと、肩に手を置いて私を窓際に押した。
されるがままに大きな窓の前に立ったら、ふわりと彼の腕に包まれた。
背中に、彼のぬくもり。
「ほら、あそこ見て?ここから浪漫亭が見える」
「ほんとだ…」
こんな風に、彼に抱きしめられるのは初めてではないけど…
今だに慣れない。
落ち着いてた胸の音が、また煩く鳴り出してしまった。
「こうして見るとけっこう古いんだな」
彼の声が、耳の後ろから響く。
…やっぱり、彼の声が好き。
そんなことが浮かんだら、ドキドキと鳴る胸の奥がきゅっとなった。
「私、あのお店が無かったら、陽介さんと出会えなかった」
私を包んでる彼の指に触れる。
「…うん。そうだな…それに、美海を好きにならなかったら、浪漫亭でエッセイをグダグダ書いてる、燻った俳優のままだったかも。そうしたら、こんなとこには住めなかったな」
「そんなこと…私がいなくてもちゃんと今の陽介さんになってたでしょ」
「美海がそう言ってくれるのはありがたいけどね。美海への気持ちで、俺は芝居のやる気が出たんだ。だから」
だから、って言った後私を見つめる目は、お芝居のラブシーンの時よりずっと色っぽくて。
思わず俯いたら、彼が右手を伸ばしてトン、とスイッチを押した。
ゆっくりと目の前のカーテンが閉まるのを見て、彼を見上げた。
「もっともっと、美海のこと知りたい。まだまだ知らないところいっぱいあるから。だから…ここから先は、カーテンは閉めないとね」
頭の後ろに彼の手のひらがまわり、彼の顔が目の前になった。
「誰も見てないとは思うけど」
目を閉じる時、揺れるカーテンの隙間から一瞬月が見えた。
今夜はどんな夜になるだろう。
夜が明けたら、綺麗な月が見てたって彼に伝えなくちゃ。
































明日、浪漫亭で 9話

2020-07-15 21:38:00 | 書き物
- 9話 -
仕事が終わって、従業員用の出口から外にでた。
ひんやりした風が首筋を撫でて、襟元を寄せる。
彼とあの個室の店で逢った時は、まだ少し暑さが残っていたのに、もう11月も終わり。
そろそろ、冬の気配を感じ始める頃だ。
あれからは、前よりもマメに連絡をくれるようになった。
無理して連絡して欲しい訳じゃなかったけど、声が聞けたり今何をしてるか教えてくれるのは嬉しい。
今日は、ドラマの撮休日だから会わないかとメッセージが来たのは夕べ。
10月から始まったドラマの撮影で、ずっと会えないでいたから、会えるのはあれ以来だった。
あの時はまだ夏の装いで、今はもう冬の服。
前に好きだと言ってくれたカットソーワンピース。
落ち着いたワインカラーも似合うって言ってくれた。
覚えていてくれるかな…
久しぶりに彼と会えると思うと、更に足取りが軽くなる。
けど…
気になってることがある。
一昨日に写真週刊誌に出た、彼の先輩の写真。
芸能人じゃない、一般のお相手とのツーショット。
不倫でもなんでもない、付き合ってる2人の画像なら気にしないでいいのかなって思ってたのに。
事務所が対応に追われてるって、スマホのニュースアプリで見た。
俳優さんに彼女がいたらダメなの?
もしかして…
いけない、こんな後ろ向きじゃ。
私これから、彼と会えるんだよ。
こんなこと考えられないくらい、嬉しいんだから。
その嬉しさに、ポツッと黒い染みが付いたまま、待ち合わせ場所に急ぐ。

待ち合わせは、オフィス街にあるチェーン店のコーヒーショップ。
そんな、人目のある所でいいの?って聞いたけど、大丈夫大丈夫と笑ってた。
さすがに食事するお店は、ドラマで共演してる俳優さんに教えてもらったとか…
なんだか不思議。
彼は俳優仲間の噂話なんてしないし、私もそんなこと興味はないもの。
だから、たまによく知ってる俳優さんの名前が、彼の口から出てくると驚いてしまう。
それは、先輩だったり仲のいい共演者だったりするのだけど。
待ち合わせのお店に近づいたら、通りに向いてる席にキャップを目深に被った彼が見えた。
ちょうど顔を上げた時に目が合うと、肘をついて耳の横で掌をひらひらと振ってる。
その瞬間、目の端にチカッと眩しい光が見えた…気がした。
え…なに、今の?
キョロキョロと周りを見渡したけれど、何も無かったみたいに、さっきと同じ景色が見えるだけ。
不思議に思いながら、コーヒーショップに近づくと入り口から彼が出て来た。
こげ茶のブルゾンに黒のカットソーとスキニーパンツ。
…また、痩せたみたい。
ドラマの撮影がハードなんだろうな。
パッと私の手を取って、ニコッと笑顔になった彼に胸の奥がきゅっとなった。
手を繋いだまま、歩きながら思い出してた。
さっきのは、なんだったんだろう…


久々に会えた彼女の手をぎゅっと握ると、照れた顔で微笑んだ。
今のドラマの役は気に入っているけど…今日撮休になって良かった。
でないと、年末まで会えないところだったんだから。
俳優仲間に聞いた店は、意外にも繁華街の通りから一本入った場所にあった。
人の多い繁華街の中にも、結構隠れ家的なお店はあるんだな。
こじんまりしたドアを開けると、低く音楽が鳴ってる。
案内されたのは、カーテンで仕切られたテーブル席だった。
「隠れ家イタリアンだって」
受け売りだけどね、と彼女に告げる。
他の客がいない所では、人の目を気にしなくて済むから気が楽だ。
久しぶりなせいだからか、彼女が甘えた笑顔になってるのが可愛かった。
「何飲む?アルコールは何でもあるみたいだよ」
リストにずらりと並ぶ高級ワイン。
「たまになんだから、飲みたいのを飲もう」
2人ともそんなに強くないから、ボトルを開ける頃には頬がほんのり赤く染まった。
「ちょっと酔ったかも」
そう言う彼女の手を取りながら、考えていた。
ついこの間、事務所の先輩の三浦さんが写真週刊誌に撮られた。
付き合ってる一般の女性と、2人でマンションから出てくる所を張られたんだ。
今、事務所が対応に追われてるけど…
高橋くんから今朝聞いた話では、相手の女性のプライバシーがネットで晒されてるらしい。
三浦さんへのストーカーまがいの追っかけの仕業って噂もある。
この話、彼女にした方がいいのかしない方がいいのか。
するとしても、どこまでしたらいいんだろう。
ヘタに全部話すと、彼女が怯えてしまうかもしれない。
どうしよう…

美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで彼に少し甘えて。
彼と会う時はいつも時間が空いている。
だからか、余計ドキドキしてしまう。
別れる頃にやっと慣れてくる。
今日も、彼は優しかった。
色んな話をし合って笑った。
彼は私の知らない世界で生きてる。
エッセイを書いてる彼は、話していても楽しい。
ただ…
何か言いたそうなのに、言ってくれないように感じて。
彼の先輩のことで何かあるのかな。
気にしてくれてるなら、聞きたい。
どんなことでも。
でも、そろそろ帰る時間だ。
結局、話してくれないの?
「美海」
声を掛けられてハッとした。
立ち上がった彼が、私の手を引っ張った。
「こっち、おいで」
カーテンの反対側、壁際に置かれた大きな観葉植物の横で、引いた勢いで抱き寄せられた。
胸の音が煩い。
初めて触れたわけじゃないのに…
見上げると、すぐに目の前に彼の瞳。
珍しく強く手を引かれたのに、触れる唇は優しかった。
啄むように何度か触れた後、顔を少し離してじっと見つめてきた。
「美海に言っておきたいことがあるんだ」
「言っておきたいこと…?」
「美海も知ってると思うけど…三浦さんが週刊誌に載ったこと」
「知っては、いるけど…」
「そんなこと、自分の身には起きて欲しくないけど」
何を、言おうとしてるの?
もし、撮られてしまったら2人はどうなるの…
思わず彼の腕をぎゅっと掴んだ。
「もし撮られることがあっても、美海のことは絶対守るから…週刊誌のネタにされるようなことにはしないから」
「陽介さん…でも、事務所の人が」
「事務所にどう言われても、俺はそのつもりだから…ね、気にしないで欲しいんだ。
気になってるのは分かってるけど。俺を信じてて」
「ん…分かった。ありがとう」
事務所にどう言われてもって…
そんな風に言ってくれるなんて。
私、もしかして彼は事務所には逆らえないかもって思ってた?
不安になってたのって、彼を信じきれて無かったから?
それって、、、
「そろそろ、帰ろうか」
短いキスを唇に落として、彼が私の手を引いた。
「あのっごめんなさい、私」
思わず口をついて出た言葉。
「そんな風に言って貰えるなんて…だって、私…」
元カレにのこのこついて行ったのだって、覚えてるはずなのに。
壁に背を向けて、彼の手を握ったまま。
動けない私に彼が向き直った。
「美海がヤキモチ焼いたり、不安になったりするのって…俺のこと想ってくれてるからだって、分かってるよ。ちょっと能天気かもしれないけどね」
言いながら、くしゃっと笑った彼を見たら泣きそうになった。
「ほら、もう行こう」
空いてる手が伸びて、目尻に溜まった滴をぬぐってくれてから、カーテンを開けた。



彼が会計を済ませた後、手を繋いだまま店を出た。
2人で笑いながら喋っていて、周りには全く注意を払って無かった。
普通に店を訪れたカップルのように、私たちは店を出たのだ。
店の人に頼んでタクシーを呼んで貰っていたから、それに乗って帰るつもりだった。
2人でタクシーに乗るのは初めてだったから、嬉しくて。
なのに。
明らかにフラッシュだと分かるまぶしい光。
暗がりにいた、2人の男。
1人は大きなカメラを手にしていた。
至近距離ではないけれど、待ち構えて撮られたのだ。
まさか…
待ち合わせの前に感じた光ってこれなの?
呆然とカメラを見たら、彼が私の前に立って言った。
「あのタクシーに乗って帰るんだ」
緊迫した表情。
それを見たら、今私たちがどんな状況になっているか私にも分かった。
運の良いことに、タクシーは私たちのすぐ近くに停まっていてくれた。
飛び込むように乗り込んだら、すぐに走り出した。
後部座席で振り返ると、彼が2人の男と何かを話してるのが見えた。
1人で大丈夫なの?
高橋さんに連絡しなくても、いいのかな…
迷った末、高橋さんにメッセージを入れた。
ありがとうございますとだけの返事。
その夜は、気になってしようがなくて、悶々として眠れなかった。



「本当にごめん。俺、油断してた」
いつもの車の後部座席で、はーっとため息をつく。
「高橋くんが来てくれて、ほんと助かったわ」
「それは、彼女さんに感謝した方がいいと思いますよ」
「そっか…そうだな」
美海と一緒にいるときに、アポもなく取材させてくれなんて。
事務所で対応するから、記事は出さないでくれと念を押したし、一般人の彼女の写真を撮るなとも言っておいたけど…
一応雑誌の名前を聞いて名刺を貰ったから、明日チーフマネージャーに言っておかないと。
…俺はともかく、美海を追いかけまわされたくない。
「やっぱり、当分会うなとか言われちゃうもの?」
ポケットからスマホを取り出して、眺めながらそんなことを口にした。
三浦さんは彼女と会えなくなって、破局とか書かれたんだよな…
破局のきっかけは、あること無いこと書かれたことなのに。
「それは…どうでしょうね」
「そもそも彼女と会っててたことが、スキャンダルになるのか?」
「まあ、イメージを壊すようなお相手だと、なるかもしれませんね。でも、小川さんならそんな心配はないと思いますけど…」
「そうだよな?」
「それでも…チーフマネージャー次第でしょうね」
「そうか…」
自宅に着いたら、もう24時をまわっていた。
今夜は美海には連絡出来ないな。
メッセージだけ、入れておこう。



朝起きたら、彼からメッセージが入ってた。


心配しないで、美海のことちゃんと守るから。
また、連絡する。


大丈夫なのかな。
私を守ろうとして、事務所とトラブルになったりしないの?
…でも、いくら心配しても私に出来ることは何もない。
三浦さんの時みたいに、私のことも書かれちゃうの?
あの時、私だったら耐えられないと思ってた。
その上、陽介さんとも会えなくなるとか…
分からない。
こんな時どうなるかなんて、私には分からない。
不安な気持ちを持て余して、また布団に潜り込んだ。
























明日、浪漫亭で 8話

2020-07-13 20:36:00 | 書き物
- 8話 -
ボックス席に座ってる美海を見た途端、俺は固まってしまった。
おまけに向かいに座ってるのは、元カレのアイツ…
「あれ?あの、もしかして俳優の…?美海って…」
そりゃ、ポカンとするよな。
元カノの名前を呼ぶ芸能人て。
彼は、美海と俺の顔を何回か見て、やおら立ち上がった。
俺の横に来てから、美海に声を掛けた。
「何があったのかは知らないけど、ちゃんと話をした方がいいと思うよ。俺と一緒にいて後悔するよりね。でも、俺でいいなら話を聞くから」
軽く頭を下げてから行ってしまった彼を見て、今度は俺がポカンとしてしまった。
なんだ。
いったい、何があったんだ。
「陽介さん」
ハッと振り向くと、目の前に美海が立ってる。
会えて嬉しい笑顔じゃなくて、目尻に滴を溜めて唇をきゅっと結んで。
「あの人が誰だってこと…知ってるんでしょう」
「…うん、知ってるよ」
「ごめんなさい、私…来ちゃったの。ここに誘われて」
「急に?会いたいって言われたの?」
「待ってるって…」
「美海も…会いたかったの?」
「違う…でもっ」
みるみる溢れだした涙。
細くて小さな手のひらで顔を覆ってるのが、痛々しくてやりきれない。
「美海、とりあえず座ろう。ほら」
美海を座らせ、俺は向かいの席に座った。
俯いた美海は、小さな声で呟いた。
「私…見ていられなかったの。あなたのドラマなのに…ごめんなさい」
「あれは、芝居なんだよ。だからもう…」
「岩田さんは、陽介さんのことが好きなの」
「え?それは、芝居だから…」
「そうじゃなくて。あの個室のお店で会ったとき。私、見てて分かった」
「あの時…」
「お芝居でも、恋人同士でずっと一緒だったんでしょ?岩田さんに見つめられてお芝居してると思ったら、見ていられなかった」
「美海…」
「忙しくて話すことも出来なくて…私から連絡したらいけない気がして…それで」
そこまで言うと、小さなタオルをぎゅっと握りしめてから、ポロポロと滴が頬を伝った。
「寂しくて…撮影が終わっても陽介さんに会うのが、怖くて…」
「もう、いいよ、それ以上言わなくても」
美海が初めて本音を言ってる。
今まで、我慢して言わなかったことを。
俺は、何をしていたんだろう?
疲れたとか役を引きずってるとか、自分のことばかり考えてた。
美海から連絡も来ないし、なんて…
自分の恋人が、テレビ画面の中で他の女性に愛を囁く。
演技だって分かってても、割り切れないのは当たり前だ。
それが普通だ。
そんなこと、想像がついた筈なのに。
手を伸ばしてタオルを握り締めた美海の手を包んだ。
俯いた顔が上がり、目尻の滴がまた一粒落ちる。
「美海、俺は…」
「私…陽介さんのファンのままでいれば良かったのかな。そしたら、ドラマも楽しんでいられたのに。こんな…欲張りにならなかったのに」
「そんなこと…本気で言ってるの」
「やっぱり、岩田さんみたいな同じお仕事の人の方が…いいのかも…」
「美海!何言ってるんだ。俺はそんなこと一言も言ってないよ」
いけない。
思わず、強い口調になってしまった。
「美海…」
宥めようとした俺の手をすり抜け、美海が立ち上がった。
「今日は帰ります。ごめんなさい」
小走りで階段を降りていく後ろ姿。
まさか、こうなると思わなくて呆然とした。
どうしよう…
どうしたらいい?
このまま帰したら…
また会う時間が取れなくて、美海との距離が開いて。
美海は、完全に俺から離れようとするかもしれない。
…そうだ。
もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
ポケットからスマホを引っ張り出して、急いで通話履歴をタップした。



カフェの階段を駆け降りて外へ出たら、また涙が溢れて来た。
三原さんに会っている所を見られたら、我慢してた言葉が全部、零れてしまった。
あれはお芝居、彼の仕事…
分かってるって思い込ませた。
でも、映像を見てしまったらもやもやが止まらなくて。
彼の仕事も理解出来ない私は、恋人だなんて言えない…
きっと陽介さんも呆れてる。
こんな…
「小川さん?小川さんですよね!」
え?…私のこと、誰かが呼んでる?
誰?
駅に向かう歩道の途中で立ち止まって、周りを見渡した。
歩道沿いに駐車してる、見覚えのあるワンボックスカーが見えた。
その前に立ってるのは、
「高橋さん…」
足が止まってしまって立ちつくす私の前に、陽介さんのマネージャーさんの高橋さんが来てくれた。
「大丈夫ですか?今、田中から電話があって。小川さんがここを通るからって…」
「陽介さんが…」
あんなこと言ったのに、心配してくれてるの?
バッグからタオルを取り出して、目尻を拭った。
これから電車に乗るのに、こんな顔してちゃダメ。
心配してくれるのは嬉しいけど、今日はもう…
「小川さん、ここで田中が追いつくまで待っていてください」
「…でも、私、、」
「小川さん」
私の横にいた高橋さんが、正面に立った。
「ありがたいことに、田中も色々仕事を頂くようになって…。それに気持ちがなかなか追いつかないんです。でも、小川さんのことは、そうなる前からずっと見てたんですよ」
「ずっと、ですか…」
「そうです。だから、トークショーでまた会えて、すごく喜んでたんです」
「あの時は…びっくりしました…」
びっくりして、ドキドキしながら2人きりで会ったんだ。
あの頃はまだ、ドラマで共演する女優さんを見ても、何にも感じなかった。
どうして…
「小川さん、もうすぐ田中も来ますから。もう1度話してみて下さい。田中の気持ちを聞いてやって欲しいんです」
どうしよう。
自分から逃げて来たくせに、今更ぐらぐらしてる。
たぶん今、彼から離れたらもう2度と会えないかもしれない。
それでもいいの?
「美海!」
彼の声が聞こえたと思ったら、右の手のひらを握る暖かい手。
振り返ると困り顔で息を切らした彼がいた。
「良かった、追いついて」
「…ごめんなさい…」
「美海が謝ることなんてないよ。ね、ちょっと付き合って欲しい場所があるんだ」
そう言うと、腕を引かれて駐車している車に導かれ、スライドドアが開く。
「乗って」
こんな、有無を言わせない言い方…初めて聞いた。
何も言えないまま私も乗り込んだ。

走り出して30分くらいで車が止まった。
外に出たら、見覚えのある入り口。
初めて2人きりで食事をした、あのお店だった。
「入ろう」
そう言って私の手を取るから、慌てて離した。
「まだ、外なのにダメ」
「そんなこと、気にしなくていいから」
ぐっと握られた手を、引っ張られる。
どうしたの。
前に、個室の外では手は繋げないって言ってたのに…
個室に案内されるまで、手は繋いだまま。
その間、他のお客さんも通ったのに…



テーブルに料理が並べられ、ビールの瓶やグラスをきれいに並べた後、お店の人は出て行った。
ここは、呼ばないと食器を下げに来ない。
だから、暫くは2人きり…
黙っている彼をチラッと見る。
そうしたら、同じタイミングで彼も私を見た。
少し痩せた頬、そのせいなのかじっと見られると以前よりも大きく見える瞳。
耐えられなくて俯いたら、彼の声が響いた。
「美海」
顔を上げると、彼が立ち上がってる。
「陽介さん、どうし…」
言い終わる前に無言で彼が私の横に座った。
肩を抱いて引き寄せられたら、腕の中におさまる。
彼の胸から速い鼓動が伝わる。
「不安にさせてごめん」
頭の上から、低い声が響いた。
「悪いのは私なのに…なんで謝るの」
鼻の奥がツンとする。
久しぶりの彼の温もりが切なくて、じわっと目尻が潤んだ。
「美海は悪くないよ…恋人でもなんでもない相手と、あんな芝居が出来るなんて…割り切れなくて当たり前だ」
「私…あなたとあのカフェで会った頃は、そんなこと無かったの。誰と共演したって気にならなかった。でも、今は…私、欲張りになってしまった」
「美海」
見上げると、彼の手が髪を撫でてから頬を包む。
「ここで俺が受け止めて貰えるかって聞いたら、なんて言ったか覚えてる?」
「私でいいならって…。あの時、緊張してしまってすごくドキドキして。ほんとに私でいいのかなって思ったから」
「美海はさ、あの時はたぶんまだ少し尻込みしてたと思うんだ。でも…」
そう言って、私の横髪に触れた。
「芝居でも他の女の子が恋人として俺を見るのが嫌だって…見ていられないって言ってくれた。それが、嬉しかった。妬いてくれたんだなって…もしかして会えない間にもっと好きになってくれたのかなって、思ったから。…違う?」
彼にそう言われて、俯いてる顔を上げた。彼の仕事を受け入れられない私を、責めないでいてくれる。
その上で、こんな事まで言ってくれるなんて。
重苦しかった胸が、少しだけ軽くなった気がする。
だから、言わなきゃ。
素直に今の気持ちを。




俯いてた彼女が、顔を上げて俺をじっと見つめてる。
さっきまでの揺れてる瞳じゃなくて、はっきりと意思を持った目。
「カフェで助けて貰った時より、2年ぶりに逢えた時より、一緒に月を見たあの夜より、あなたを好きになってたの。だから、誰か他の人を見てるあなたを見るのは、苦しかった…」
目尻に溜まった滴をぬぐって、もう一度彼女を抱き寄せた。
「美海、聞いてくれる?」
顔を上げた彼女の瞳から、また一滴流れていく。
まっすぐ俺を見てる彼女に、言った。
「仕事が忙しくても、逢う時間は作れるし連絡することだって出来る。少しの時間でもいいから、逢えるときに逢おう。普通の恋人たちみたいに。だから、俺のことを信じて。仕事を引きずるようなことはしないって約束するから」
「うん…信じる。私も、言いたいことは我慢しない…ようにする」


この店で漸く、俺の気持ちが届いたと思ってたけど、ちゃんと始まったのは今なのかもしれないな。
だからまだ、これからなんだ。
お腹空いたと言いながら、お箸に手を伸ばす彼女が愛おしい。
今まで人目を気にしてたけど、これからは…好きな時に好きな場所で、彼女と会いたい。


彼は、普通に街中で待ち合わせして、逢おうって言ってるみたい。
そんなこと、出来るのかな…
結局、こんな風に個室でデートなんてことに、なりそうな気がする。
それでも。
彼の気持ちは信じてる。
私のために約束してくれたことは嬉しい。
時間がかかったけど、今日が彼との本当の始まりなのかもしれない…
顔を見合わせてお喋りして、ご飯を食べるなんて久しぶりで楽しい。






























明日、浪漫亭で 7話

2020-07-12 22:31:00 | 書き物
- 7話 -
あれから、ちょうど1年たった。
去年と同じ3月の終わり。
4月から始まる朝ドラの番宣が、今テレビ画面に映ってる。
主演の岩田ゆり子さんと、相手役の田中陽介さん。
ドラマ開始が近づいたら、2人がセットのように雑誌やテレビ番組に出るようになった。
ヒロインが田舎に引っ越して同級生になって、色々なことがありながらも、ヒロインが夢を叶える手助けをする。
そんな相手役だそうだ。
朝ドラらしい設定。
1人部屋で見ていると、胸の奥がジリジリしておかしくなってしまいそうなのに、何で私はこの2人を見ているの?
時々、目を合わせて微笑み合う2人。
何回目かの共演で、コンビファンもいるって聞いた。
…コンビ、なんだ。
岩田さんが彼を見る目。
目が好きって言ってる。
私にはそう見える。
その目を見て、何も感じない訳無いじゃない。
目を逸らして、リモコンを手に取った。
テレビを消したら、聞こえて来るのはすぐ近くの幹線道路を走る、車の音だけになった。
心配しないでなんて。
あんなの見てしまったら、無理よ。
すぐにでも彼から安心出来る言葉を聞きたいのに、出来ない。
これから、1番忙しくなるんだってこの間言ってたばかりだもの。
この間…つい数日前に電話で話した。
元気だよ、美海は元気?風邪引いてない?って…私のことすごく気にしてくれた。
何故かって。
去年の年末、インフルエンザに罹って寝込んだから。
高熱が出て咳が止まらなくて。肺炎にまでなってしまった。
仕事は2週間休んで、私にしては大事だった。
…その2週間が、ちょうどドラマ終わりの彼のお休みと被ったのだ。
電話があった時、咳き込みながら会えないと伝えた。
私の体がつらいのはもちろんだけど、彼にインフルエンザをうつしたら、大変なことになってしまう。
私の部屋に来ようか、と言い出した彼を宥めて朝ドラが終わったらと、約束した年末。
それからしばらく、連絡は来なかった。
私のを気遣ってくれてるんだなって、分かってはいたけど…
ずっと、会えてなくて声も聞けなくて。
次に話したのは2月に入った頃。
番宣に出るから見てね、これからもっと忙しくなるから、電話は出来ないかも…
分かってたけど、番宣はいつも岩田さんと一緒。
陽介さんが岩田さんを見る目を見たくなくて、全部見ることが出来ない。
どうして…ファンの時には全然平気だったのに。
今だって、共演してる女優さんだって頭では分かってるのに。
それから1ヶ月たったこの間、久々に話した。
「もう撮影はしてるんでしょう?陽介さんこそ、ちゃんと眠れてる?」
私の体調を気遣ってくれる彼に伝えた。
「疲れて、すぐに眠りたいときや余裕のない時は無理しないで寝てね」
「ありがとう。そりゃちょっとは疲れてるけど…美海の声聞いたら元気になったよ」
去年、あの洋館の部屋で会った後から、彼は私を美海と呼ぶようになった。
私の気持ちを、しっかり彼に伝えられたからかな…
少しこそばゆいけれど、嬉しい。
「でも、撮影が佳境に入ったらなかなか連絡は出来ないかもしれない。メールはなるべくするからね」
「ありがとう。でも、無理はしないで」
言っていた通り、それから2回くらい電話で話したけれど、もっぱらメール。
それも、だんだん減って来てる。
もう、夏の盛りは過ぎて8月も終わる。



もうすぐ9月。
なのにまだ日差しはきつくて、仕事終わりに外に出るともわっとした風に煽られた。
流れた横髪を耳に掛けて、駅へと急ぐ。
彼の出演している朝ドラも、あと約1ヶ月で終わる。
撮影自体は、もう少しで終わるだろうけど。
もう少しの我慢で、会える…かもしれない。
けれど、毎日見ているドラマの中で、彼が他の女性の恋人になるのを見るのが、もう限界になって来ていて。
私は彼の恋人のはずなのに、仕事だって割り切れないなんて。
こんなんで彼と付き合って行けるの?
ふと、浪漫亭を思い出した。
あのお店に通ってる頃の彼のままだったら。
こんな気持ちにならずに済んだのかな…
…いけない。
なんでこんなこと。
頭を振り、赤信号で立ち止まる。
すると、すぐ後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「美海?」
え?
私の名前を呼び捨てって…
「三原さん」
私の横に立ったその人は、前の支店で一緒だった、元カレ。
彼が今同じ店舗にいる都に心変わりをして、私たちは別れたのだ。
支店勤務の筈の三原さんが、なんでここに?
「今、仕事帰り?」
「そう、ですけど…」
なんでまた美海って呼ぶの。
あんなことしておいて、声をかけるの。
「ちょっと用事があって、こっちに来たんだ。良かったら、駅前でご飯でも食べないか」
なんで?
サラッとそんなことが言えるの?
あの時、都とのことを知って耐えられなくて、私から別れたいって告げた。
全部知ってるって言ったら、ごめん、すまないって謝って来たけど、言い訳はしなかった。
別れたいって言ったくせに、引き止められなくてがっかりして…
胸の奥に沈んだ重りは、なかなか浮いてくれなかった。

私が責めるような目をしてたのか、彼は少し俯いた。
「美海とは、あんな別れ方をしてしまったから、ちゃんと謝りたいって…話したいと思ってたんだ」
「謝るの?三原さんが私に?」
ダメだ。
もう忘れたつもりの感情が、埋めた筈の心の底から吹き出してしまう。
帰った方がいい。
そう思ったのに…
今、私は心の中のどこかで三原さんに縋りたいと思ってる。
陽介さんからの連絡が、途切れがちだから?
会えなくて寂しい気持ちを、三原さんが埋めてくれるかもしれないから?
私の気持ちを裏切った人。
なのに、私を見つめる目は以前と同じ瞳に見えた。
「お願いだから…話をさせてくれないか」
その言葉にそれ以上返せる言葉が無くて、抗えなかった。




ドラマの撮影も終盤になった。
これなら、予定通りの日にクランクアップになるだろう。
終わったら、少しまとまった休みが取れる。
その後は…秋ドラマに主役級での出演が決まっていた。
出演作が途切れないことは、本当に感謝してる。
時間があってエッセイやブログに精を出して頃は、こうなるなんて思ってもいなかった。
だけど…
あの頃のままだったら、もっと彼女と会えてただろう。
そして、色んな顔の彼女を知ることが出来た。
今はどうだ。
撮影や宣伝や好きだったはずのエッセイにも疲れてる。
たった数行でも送ればいいものを、メッセージですら彼女に送れない。
しかも、間が開くとだんだん億劫になって来る。
彼女からは何も来ないし、そう頻繁に連絡するのはウザいかもしれない…
そんなことを考えているうち、もうこんな季節。
あと2週間ほどで撮影が終わる。
ゆり子ちゃんとは、芝居を重ねれば重ねるほど、馴染んでいってやりやすかった。
恋人同士の役は前にもやったけれど、今回は長く一緒にいたから。
時々…本当に時々だけど、ゆり子ちゃんと付き合っていたらと考えてしまう。
番宣に出るのは2人きりが多かった。
そんなときは、芝居の時と同じ気持ちでゆり子ちゃんを見ている自分がいた。
長い時間、恋人同士の役でいるからだろうか。
実は、そんな気持ちを持て余しているせいで、美海に連絡するのを躊躇ってしまうのだ。
俳優にはよくある感覚だと思う。
たぶん、撮影が終われば薄れていくはず。今までだってそうだったんだから。
撮影が終われば切り替わるさ。
そうしたら、1番に美海に逢いに行こう。


後5日ほどで9月が終わる、金曜日。
数日前、朝ドラヒロインがバトンタッチというニュースが流れた。
画面には、次の朝ドラのヒロインの綺麗な女優さんが、岩田さんに花束を渡してる。
もう、すべて終わったのかな。
…陽介さんからは、何の連絡もないけれど。
三原さんに会った夜。
食事をしながら、ただ話をした。
都とは、いっとき結婚話が出る位盛り上がったけど、都から離れて行ったらしい。
離れたって…
不思議だった。
酷いことをされて許せなかった人なのに。
今目の前にいる人は、変わらず魅力的だ。
笑顔を浮かべる瞳は、嘘が無さそうに見えてドキッとする。
私には、陽介さんがいるのに…
宥めるみたいに胸に手を当てた。
あの時は傷ついたし顔も見たくなかった。
好きだったから…
好きだったからつらかったんだ。
久しぶりに会って、それを思い出した。
それは、陽介さんのことばかり考えるようになってたから。
私はまだ、三原さんのことを好きなの?
…いいえ、違う。
だって、今思い浮かべるのは陽介さんのことばかり。
ただ、少し揺れてしまうんだけ。
陽介さんに会いたい。
今、陽介さんがいたらどんなにいいだろう。





ロッカーで、帰り支度をしてる時にメッセージが入った。
三原さんだ…
「また、食事でもどう?仕事終わりにあのカフェで待ってる」
なんでまた?
この間別れる時、またねって言われたからまたは無いって言ったのに。
でも、無いって言ったはずなのに、気持ちは揺れる。
しかも場所が浪漫亭だなんて。
陽介さんからはまだ連絡が無い。
会いたくても会えない…
どこかぽっかり空いた場所を埋めたくて、
私は浪漫亭に向かっていた。
しばらくぶりの駅、変わらずにどっしりと構えてる浪漫亭。
少し手前で立ち止まって眺めると、浪漫亭の先、噴水のある公園の方向に建築中のマンションが見える。
この街も変わらないようでいて、変わっているんだな…
カウベルを鳴らして店に入り、2階に上がって見渡すと、まさかの1番奥のボックス席に三原さんがいた。
陽介さんの好きな席…
初めて2人でちゃんと喋った場所。
「三原さん」
「あ、思ってたより早かったね。あっちからなのに」
ヘンな気分だ。
前に三原さんと待ち合わせしてたのは、カウンター席。
こうしてボックス席で向かい合ったことがあるのは、陽介さんだけなんだ。
…なんでここに、陽介さんがいないの。
なんで私は、ここに来たの。
「立ってないで座ったら」
そう言われて座ったけれど、なんだか落ち着かない。
「コーヒーでも飲む?」
「…はい」
付き合ってた時の三原さんと、なんとなく雰囲気が違う気がする。
どうしてなんだろう。
コーヒーを注文したお店の人が行ってから、聞きたかったこと聞いた。
「どうして私を誘うの?この間、または無いって言ったのに」
「誘いたいから誘ったじゃダメなの?」
「そんなんじゃ…モヤモヤするだけだわ」
「ほんの3年前なのに、美海は大人の女性になったね。あの頃は、一緒にいても笑顔は見せてくれるけど、いつも自信なさげに見えたよ。言いたいことがあっても、飲みこんでしまって俺に言ってくれなかったな」
「そんなこと…聞いたことに答えてない」
「美海が変わったのは、誰か他の男の為なのかって感じたからだと言ったら納得する?」
「…他の男?」
「そう、俺じゃない男。そう感じたら、なんだかすごく妬けたんだ。だから、知りたくて。美海の中に今、誰かいるのか」
「どうして?私と三原さんはとっくに別れたでしょう。私に誰かいたって、もう関係ない…」
そうだ。
もう、関係ないんだ。
陽介さんは、会える時間がなかなか取れない仕事だって、分かってたはず。
なのに、会えない間のことを一人でもやもやして…
私、何してるんだろう。
今更三原さんに会ってるなんて。
「関係なくも無いかもしれないよ」
「え?」
真面目な顔でじっと見られて、思わず目を逸らした。
「目を逸らさないで、こっちを見てよ」
少し強い口調にハッとして三原さんを見返した。
「よそ見をして美海に見限られて、後から後悔したんだ。でも、異動して顔を合わせる機会もないから、どうにも出来なくて…」
じっと見つめられると、何も言えなくなる。
前もそうだった。
でも、今は…
「私…私、今彼がいるの。だからそんな話は聞きたくない」
ここに来なければ良かった。
…違う。
三原さんが私にあんなこと言うから…
「彼氏がいる割には、この間浮かない顔して歩いてよね」
テーブルの上に組んだ手に、三原さんの手が伸びて軽く触れたから、ビックリして引っ込めた。
「浮かない顔なんて…疲れてただけ。私、、、やっぱり、帰ります」
立ち上がりかけたら、階段の辺りから靴音が聞こえた。
「コーヒーそろそろくるし、もう少しいてよ。そのくらい、いいでしょ」
「でも…」
言い淀んで立ち尽くしていたら、靴音が止まった。
あれ?
コーヒーの香りがない…
顔を上げたら、さっきからずっと想い浮かべてた人がいた。
「あれ?美海?」
驚いて固まってる…
なんてタイミングなの。






















明日、浪漫亭で 6話

2020-07-11 17:28:00 | 書き物
- 6話 -
家に着いたら、気が抜けてしまってソファに座り込んだ。
明日は休みだから、急いで寝なくてもいい。
それより、色んなことがあり過ぎて眠れないかも。
…とにかく、お風呂で温まろう。
ゆっくりと立ち上がったら、はずみでスマホがソファから落ちた。
掴んだ手に着信の振動が伝わる。
「…もしもし?」
陽介さんのちょっと抑えた声が聞こえて来た。
「美海ちゃん?無事着いた?」
「さっき着きました…あの」
「ん?」
「ご馳走さまでした。私、ちゃんと言えなくて…ごめんなさい」
「そんなこと、気にしないでいいよ。ちゃんと気持ちは伝わったから。あの、俺の気持ちも伝わったかな」
「はい。ドキドキしたけど…嬉しかった」
電話なのに、まるで隣にいるみたいに感じる、陽介さんの声。
さっき囁かれた言葉を思い出して、頬が熱くなる。
「好きだよ」
まだ耳に残ってる。
そうだ、何を不安になってるんだろう。
ちゃんと気持ちを言葉にしてくれたのに。
私…陽介さんに会えてこんなに気持ちが昂ってる。
会う前よりずっと。
逢いたい。
また、逢いたい。
「次に逢えるの、楽しみにしてます」
「うん、俺も。楽しみにして撮影がんばるよ」
私も好きですって伝えたかった。
でも、恥ずかしくて言えなかった。
次に逢うときは、きっと…



「田中さん!」
ポン、と背中を叩かれて思わず振り向く。
いつも落ち着いてるゆり子ちゃんが、こんな酔ってるのは珍しいな…
「さっきの彼女さんに電話ですか?田中さん、マメなのね」
ニコニコしてるけど、頬が赤くてちよっと体がぐらぐらしてる?
「ゆり子ちゃん、ずいぶん飲んだの?さっきより酔ってない?」
「そんな酔って見えます?」
「いや、それが酔ってるって言うんじゃないの?珍しいよね、そんな…」
「私にだって、飲みたくなる時もありますよ…もうー田中さん、今日の飲み会来てくれないからー」
あれ?なんか絡み始めた。
もう帰ろう。
「ごめん、ごめん。俺もう帰るけど、ゆり子ちゃんもほどほどにね」
「はーい」
手をひらひらさせて柱により掛かってる彼女を見て心配になったけど、同席してる共演者がいるんだし…
明日から撮影は、大詰めだからな。
タクシーに乗ってからは、さっきの美海ちゃんの声を思い出していた。
とっさにストレートな言葉を告げてしまった。
美海ちゃんといると、なぜだか高校生みたいなことをしてしまう。
びっくりした後、恥ずかしがってたのが可愛かったな。
思い出すとつい、頬が緩む。
女性関係のことは、チーフマネージャーから気をつけろとさんざん言われてる。
用心しないといけないことは分かってるけど、美海ちゃんとのことは大切にしたいんだ。
撮影が終わったら、数日休みがある。
その時にまた美海ちゃんに逢いたい。
今度は部屋でのんびりしたい。


撮影は詰まったスケジュールの中で、ギリギリではあったけど、滞りなく終わった。
オールアップです!と声が掛かり、一人一人花束が渡される。
主演の俺は最後で、皆が一際大きな拍手をくれた。
3日後。
最終回の放送があった日に、打ち上げが行われた。
ドラマ制作のテレビ局がよく使う店を借り切ったのだ。
都心の繁華街にあるようには見えない、周りにどっしりして塀があるイタリアンの店。
だから、張り込んだ芸能記者からは見づらくなっているのだ。
まあでも、ドラマの打ち上げなだけで、撮られちゃ困ることなんてないけどな。
そこでの1次会は皆大人しく、和やかに終わった。
この間の飲み会で酔っ払ってたゆり子ちゃんも、今日はいつもの落ち着いた彼女。
でも…すっかり撮影が終わったのに、どこか寂しそうに見える。
二次会のカフェのパーティールームでも、ぽつんと座っていたから気になっていた。
話しかけようかと思っても、色んな人から声を掛けられあちこちで挨拶して。
気付いたらお開きの声。
マネージャーが車をまわしてくれるというから、カフェの入り口前の広いスペースで待つことにした。
結局、ゆり子ちゃんと話は出来なかったな…
今回、すごく相性のいい芝居が出来たから、お礼を言いたかったのに。
そんなことを考えていると、「田中さん」と名前を呼ばれた。
「ゆり子ちゃん」
振り向くと、ゆり子ちゃんが立っていた。
「田中さん、3ヶ月間ありがとうございました」
にっこり笑ってはいるけど、顔色が悪いな…
「こちらこそありがとう。ゆり子ちゃんと芝居が出来てすごく楽しかったよ」
俺を見上げてた顔が、ばっと笑顔になる。
でも、口を開こうとした瞬間に目を瞑って、足元がぐらついた。
「えっ…ちょっと、大丈夫?」
俺に縋り付くみたいにつかまってるから、酔ってるんだと思った。
だから、彼女の両手を取って立たせようとしたけど…
「あっ」
支えきれなくて危うく倒れ込むのを、ギリギリで抱きとめる。
「…ごめんなさい」
俺の腕を掴み、ようやくしっかりと立ち上がった彼女。
やっぱり、さっき様子を見れば良かった。
「誰か、マネージャーさん呼んで下さい」
ちゃんと立ってはいるけど、よろよろしながらも俺の腕に掴まる彼女を見た。
顔色が白くなってるじゃないか。
「ごめんなさい…ずっと眠れなくて、体調が悪かったんですけど、クランクアップまでは大丈夫だったのに…撮影が終わって気が抜けちゃったのかも」
「いいよ、何も言わなくて。気持ち悪くない?」
「田中さん!すみません!」
彼女のマネージャーが走って来るのが見えた。
その時、彼女が俺の腕をさらにぎゅうっと掴んだ。
驚いて見ると、俺をじっと見つめる瞳が溢れそうなほど潤んでいた。
「久しぶりにお仕事出来て嬉しかったの。だから、終わってしまうのがすごく寂しい…」
「ゆり子ちゃん、ありがとう。俺も寂し…」
「私…田中さんに言いたいことが…」
被さるように言葉を投げる彼女を、思わず二度見した。
俺の腕を掴んだまま、瞬きをするとぽたっと落ちた滴。
どうしたんだ、いきなり、こんな…
駆けつけたマネージャーが、引き剥がすように彼女を連れて行き、バタバタとタクシーに乗せた。
それから俺に丁寧に挨拶をして帰って行った。
呆然としていると、高橋くんの声が聞こえた。
「田中さん、車まわしました。乗って下さい」
車の中でゆり子ちゃんのあの言葉を思い出していた。
いけない…
もう、過ぎたことなんだから気にしていてもしょうがない。
たぶん、疲れていたんだ。
ゆり子ちゃんとは、また別の何かの仕事で会える。
その時にでも何だったのか聞けばいい。
切り替えて、美海ちゃんのことを考えよう。
今日帰ったら連絡しようか。
一応この辺りでって伝えておいたから、大丈夫かな。
2日後の金曜日。
そうだ、部屋の掃除をしっかりしておかないと。




久しぶりの田中さんからの電話。
彼の声で美海ちゃん、と呼ばれて嬉しくてくすぐったくて。
声を聞いただけなのに、繋いだ手の温もりや…耳元で声を聞いた時の跳ねた胸を思い出してた。
「話したいことはいっぱいあるけど…顔を見ながら話したいんだ。
今日はもう遅いから、これでね。
金曜日楽しみにしてるから」
「私も…」
切った後、ちょっと後悔した。
また好きって言えなかった。
前の…彼とは強引さに押されて、私の気持ちがついて来たら彼が心変わりしちゃった…
なし崩しじゃなくて、好きになったってこと。
小さなことかもしれないけれど、ちゃんと伝えなくちゃ。



金曜日は朝から雨だった。
3月も終わりだけれど、今日の雨は冷たい…
でも、夜には会えると思うとお天気なんて気にならない。
雨の割にはお客様がたてこんで、バタバタしてしまった午前中。
お昼は交替のため、14時になったらロッカーに向かった。
裏にまわると、入れ替わりで店舗に向かう都がいた。
「お疲れさま」
そう言ってすれ違うのはいつものことだけど…
「お疲れさま、ねえ、見た?」
珍しく都が話しかけて来た。
思わず立ち止まって都の顔を見る。
「見たって、何を?」
「やだ、知らないの?雑誌コーナー行ってないんだ」
なんだかちょっとバカにされてる?
何?雑誌コーナーに何かあるっていうの?
数歩近づいて私の腕をなだめるみたいに軽く叩く。
「田中陽介さん。共演した女優さんが彼女だったみたいね。私、てっきりあなたと何かあるのかと…残念だったわね」
都の背中を立ったままボーッと見ていた。
何が起こったの?
雑誌?
芸能ニュース?
ロッカー室でもどかしくバッグからスマホを取り出す。
ニュースサイトを見たら、スクロールする必要もなかった。
トップ画面に暗めの画像。
キャプションには、『打ち上げで盛り上がった2人』とか『抱き合い見つめ合う』とか…
画像には、確かにお互いに手をまわしあって見つめ合ってる…ように見えた。
あの時。
あのお店で見た岩田さんを思い出した。
固まって目が泳いでいたら、新着メッセージに気がついた。
陽介さんからだ…
『ごめん、たぶん芸能ニュースを見たと思う。悪いけど場所を変えていいかな。
仕事終わったら迎えに行くから待ってて』
指定された場所は、店舗の裏口のすぐ近く。
陽介さんを疑いたくない。
でも…
あの綺麗な人に見つめられて告白されたら?
そんなネガティブなことばかり考えて、午後の仕事をこなした。



従業員出口から出て数歩歩くと、スーツ姿の男の人が近づいて来た。
「小川さん、お久しぶりです。お迎えにあがりました」
「お久しぶりです…わざわざ、ありがとうございます」
私の職場で会った以来の、マネージャーの高橋さん。
にこやかな顔からは、どんな気持ちかなんて読めない。
でも…もしかしたら、今日みたいな日に陽介さんと私が会うことを、快く思っていないかもしれない…
少し離れた所に、黒いバンが停まっていた。
スライドドアを高橋さんが開けてくれると、後部座席には陽介さんがいた。
「乗って下さい」
言われるまま乗り込むと、陽介さんが私の手を取る。
隣に座ったら、黒いバンは静かに滑り出した。
私の手をぎゅっと握ったままの陽介さんを見上げる。
すると、「落ち着いて話せる場所に行くから…」
と、小さく呟いた。
私は何も言えなくて、陽介さんの肩に頭を乗せた。



しばらく走ったから、たぶん都心からは離れた場所。
車が停まって外に出ると、お城みたいな大きな邸宅の車寄せだった。
ドアマンがいるから、ホテルなのかな…
陽介さんの後ろについて入ると、2階の個室に案内された。
重いドアを開けると、広いリビング。
重厚な臙脂色のソファ、焦げ茶のテーブル。
奥に木目のドアがある。
ここは、客室みたい。
陽介さんに手を引かれ、2人がけのソファに座った。
クラシックだけれどシンプルな茶器で紅茶がサービスされて、ドアが閉まるとしん、と静かになった。
「美海ちゃん」
私の名前を呼ぶ彼の声。
数週間ぶりなのに、もっともっと長い時間みたいだった。
「写真、見た?」
「写真…?」
「週刊誌の…」
陽介さんと岩田さんが、抱き合って…
見つめ合ってる。
ように、見える写真。
思い出したら、鼻の奥がツンとする。
「見ました」
「その時のこと、聞いてくれる?」
「はい」
陽介さんが、両手で私の手を包んだ。
ここまで来る間、ずっと気持ちは揺れていた…





彼女は、俺の目をちゃんと見ながら話を聞いてくれた。
ゆり子ちゃん(そう名前を呼んだ時少し身動ぎしたけれど)が、撮影の後半体調が悪かったこと。
打ち上げではなかなか話せなくて、最後の最後にお疲れさまと言い合えたこと。
ただ、その時に倒れそうになって助け起こしたこと…
全部本当のことだ。
週刊誌にはちょうどいい所を切り取られただけ。
だけど…ゆり子ちゃんの様子がおかしかったことは、美海ちゃんに言う必要は無いだろう。
「あんな写真見ちゃったら、嫌な気持ちになるんじゃないかって…誤解しちゃうんじゃないかって、それが気になって」
つい、語尾が小さくなってしまったら、彼女が俺の手をぎゅうっと握り返して来た。
「写真を見た時は、どうしていいか分からなかったけど…きっと、陽介さんがちゃんと話してくれるって信じてたから」
俯いてる頬が赤く染まってる。
もう、そんな顔見せられたら…
両手で彼女の頬を包む。
少し持ち上げた彼女の顔。
ゆっくり瞼を閉じるのを見てから、唇に触れた。
ゆっくりと顔を離してから、彼女を腕の中に閉じ込めた。
「美海ちゃんのこと、事務所に話したんだ」
「え…」
俺のシャツの背中を掴んでた彼女が、顔を上げた。
「今騒がれてるし、スケジュールも立て込んでるから、しばらく会わない方がいいんじゃないかって言われた」
「そう…ですか…」
また彼女を引き寄せて、腕の中に閉じ込める。
「でも…スケジュールが落ち着いたら、気をつければ好きにしていいって」
「ほんとうに…?好きにしていいの?」
「ほんとだよ」
彼女の腕を両手で掴んで、少し体を離して顔を見た。
潤んだ目が俺を見つめていた。
ほんとは、好きにしていいってことになるまで、だいぶ粘ったんだけど。
事務所的には今は彼女のことは、表に出して欲しくなさそうだった。
俺だって、彼女を変に晒すようなことはしたくない。
だから、慎重に行動するなら好きにしていいと。
でも、映画の撮影中は我慢して下さい、と真顔の高橋くんに釘を刺されたのだ。
「この後、映画の撮影が入ってる。それが終わったら秋から始まるドラマが決まってるんだ」
「そんな先まで…」
「秋からのドラマが終われば年末になるから、その頃にはきっと時間があると思うんだ。だから…」
「次に会えるのは、年末…?」
「ごめん、俺の仕事の都合でばかりで…一方的に待たせるなんて、我儘だよね」
「我儘なんて…ちょっとした遠距離だと思えばいいと思うの。新しいドラマで、また違う陽介さんが見られるのはすごく楽しみだから、嬉しい」
自分で言って照れたのか、頬を赤くしてから俯いて、俺の腕におでこをつけた。
なんだ、今の可愛いのは!
まだ現実的なことも言わなきゃいけないのに、すぐにまた彼女をぎゅっと抱きしめたくなる。
いや、まだ言っておかなくちゃいけないことがある。
ニュースで聞くより、俺の口から言いたい。
「実はもうすぐ発表になるけど…来年の4月からの朝ドラ出演が決まったんだ」
「えっ朝ドラってあの?私好きで毎日見てるんです。あれに出るの?」
「そう。この間の本のサイン会の辺りで、聞かされた。ヒロインの相手役でってことで」
「すごい!おめでとうございます」
自分のことみたいに頬を上気させて、喜んでくれてる。
それが嬉しくて、彼女の横髪をそっと撫でた。
「ありがとう、こんな喜んでくれて嬉しいよ。でも、撮影以外にに取材や番宣がありそうで、だから…」
「もっと、時間がなくなっちゃうのね…」
「…ごめん、後…」
「大丈夫!朝ドラに出る陽介さんを見られるんだから。会えるのを楽しみに見るから」
笑顔で言ってくれてるけど、なんとなく陰りも感じる。
でも、それを言ったってしょうがないんだろうな。
それに、もう一つ言っておかなきゃいけないことがある。
彼女がどう受け止めるか…
「美海ちゃん、その…朝ドラのヒロイン役の人なんだけど…岩田さんなんだ」
彼女の目が見開かれ、一瞬、固まった。
「そう、だったの」
「彼女は女優だから。俺をどんな目で見ようと、それは演技なんだから…心配しないでね」
俺の言葉に彼女が浮かべた笑顔は、さっきよりずっと弱々しかった。
無理させてると思うと、胸が痛い。
だからって、いま美海ちゃんを手放したくないんだ。
「言ってくれてありがとう。私、ちょっとは心配しちゃうかもしれない。でも、陽介さんが今言ってくれたんだもの…大丈夫」
「ありがとう…ごめん」
「ううん」
俺の胸に体を預ける彼女が愛おしくてしようがない。
彼女をぎゅうっと抱きしめて囁いた。
「まだ、時間はたっぷりあるよ。ここは食事も出来るんだ。しばらく会えないんだから、ゆっくりしよう」
「はい」
彼女の髪を撫でながらふと窓に目をやると、白く輝く月が見えた。
「月が…きれいだ」
顔を上げた彼女の目が潤んでる。
瞬きした瞳から一滴、ぽろっと落ちた。




彼の胸に体を預けたら、私と彼の鼓動が混ざり合った。
背中にまわった手のひらが暖かい。
ふと大きな窓に目を向けたら、カーテンの隙間からひときわ輝く満月が見える。
半年。
半年、相手役として一緒にいたら。
彼の気持ちがどうなるんだろう。
怖い。
岩田さんの相手役。
たぶん…恋人役。
岩田さんの恋する瞳に見つめられたら。
岩田さんが何か言ったのかも分からないのに、そんなことばかり考えてしまうのが、嫌だった。
あの写真を見た時、胸の奥がじりじりとひりついて苦しかった。
私は岩田さんに嫉妬していたのだ。
彼を他の誰にも取られたくない。
2人だけで会うのはまだ3回目だけれど、私は彼に恋してるんだ…
「月が…きれいだ」
思わず顔を上げて彼を見た。
じっと見つめられて瞬きをしたら、目尻から滴が落ちた。
「なんで、泣いてるの」
「嬉しくて…」


この時はただ思い詰めていて、彼の仕事のことをちゃんと分かってなかったのだ。
待つことがどんなに大変かってことも。