いきなり決まった転勤だった。
バタバタと荷物を整理して、最後の日。
木曜の朝、がらんとした机に座る俺の元へ、後輩の女の子が挨拶に来てくれた。
「もう、1人でも大丈夫だね。後輩も出来たし」
そう声を掛けたけれど、彼女は黙ったままだ。
うっすらと涙を溜めて、見上げている。
新人の頃からよく知っている彼女の、久しぶりに見た少女の顔だった。
彼女の気持ちは、その目を見れば読み取ることは出来た。
けれど、遠い距離を乗り越える強い気持ちを、持てる自信か無かったんだ。
言葉をどう続けたらいいか分からなくて、外へ目をやるとどんよりとした空が見えた。
彼女から遠く離れた今、窓から見えるのは、
木々も、山並みも、真っ白に染まった景色だけ。
この空も、あの空に繋がってるのだろうか。ここにいない彼女を、想いながら見上げる空。
きみは、何を想っているんだろう。
先輩の異動が決まって、最後の日まであっという間だった。
すごく迷ったけれど、勇気を出して挨拶に行ったの。
「もう、会えないんですか」
ようやく言えたけれど、それだけで涙が出てしまった。
涙を堪えている私を、優しく見る眼鏡の奥の目が、忘れられなくて。
何を聞いても、どんなことでも、教えてくれた人。
いつも頼っていた大好きな先輩だった。
私の気持ちを、受け止めて欲しかったの。
例え、遠く離れるとしても。
受け止めてさえくれたら、どんな距離だって、乗り越えられるって思ったのに。
言葉が続かなくて外を見ると、ビルも、車の影も、冬の冷気に覆われてる。
今、窓から見えるのは、ひらひらと白い花が舞ってる景色。
寒い寒い季節の始まり、あなたのいない街で私はどうすればいいのかわからない。
遠く離れたあなたを、ずっと想ってるの。
あなたは、誰を想っているのかと。
このまま、離れてしまうのは嫌。
どうすれば、いいの。
異動後の初日の夜。
慌ただしく外回りをして、あっという間に1日は過ぎた。
その後、支社のみんなが地元のお馴染みの居酒屋で、歓迎会を開いてくれた。
去年入社した、と言う女の子もいた。
よろしくお願いしますと、挨拶に来てくれた姿を見て、彼女を思い出していた。
後輩のあの子を。
…どうしているかな。
明るい笑顔の子なのに、今思い出せるのは、涙ぐんでいる顔。
あのとき。
ぽってりと浮かんでいる涙を、拭ってやりたいと思いとっさに右手が動いていた。
自分の手が前に出ようとするのに驚いて、すぐに出しかかった手を引っ込めたけれど。
遅くにお開きになり、外へ出る。
固まった雪道をギシギシと音をさせながら、1人歩く。
すると、街頭に照らされた雪道に影が出来た。
さっきまで大勢でいたのに、もう、今は1人きり。
知らない街に来たのだと、思い知らされた。
引っ越したばかりの部屋に戻ると、部屋は冷えきっていた。
夜になって更に気温が下がったのだろう。
すぐ暖房をつけないと、いられないほど寒い。
この寒さにも、だんだんと慣れて行くのか…
部屋が暖まってから風呂に入り、ようやく落ち着いて座った。
そこで、スマホのメールに気づいた。
差出人には、松丘美幸とある。
後輩の子からだった。
「…どうして」
彼女は、俺の仕事用のアドレスしか知らないはずなのに。
メールを開いた。
「突然のメール、すみません…どうしても先輩にメールをしたくて。先輩の同期の沼田さんに、我が儘を言ってしまいました」
沼田から聞き出したのか。
あの、俯いている彼女からは想像出来なかった、強い意思を感じた。
「もし先輩が嫌でなければ、これからもメールしてもいいですか。時間のある時に読んで貰えれば、それでいいんです。どうしても、どうしても先輩とまだ繋がっていたい。」
…どうしたらいい?
彼女の泣き顔が、頭にチラついた。
さっき歩いたときの、街灯で出来た影に飲み込まれそうで、怖じ気づいている。
出来ることなら、俺だって彼女と繋がっていたい。
でも。
空は繋がっていても、遠く離れた距離は縮めようがないんだ。
中途半端なことはしないほうがいいと、決めたじゃないか。
メールありがとう。
こっちはすっかり雪景色です。
そちらでは、もう晴れているのかな。
もう、こんなに遠くなってしまったんだから、松丘さんも俺のことは気にしないで下さい。
空は繋がってるけれど、二人ともそれぞれの空があると思うから。
寒い日が続くけれど、元気で。