兄媛 

昔、呉の国から四人のはた織りめが渡来し、
裁縫、染めの技術も伝えたといわれています。

やっと京都へ

2021年12月10日 | 日記
何年ぶりの京都でしょう、まだまだ油断は出来ませんが
行ける時にと、京都に行ってきました。

織物関係の方々の環境がすっかり変わっていて
あまりのショックで夜は眠れませんでした。

大切なものがどんどん失われて行く、
やるせない気持ちでいっぱいになりましたが
伝統を守り
続けていらっしゃる方々に
敬意を表して
ブログに残しておきたいと思います。


昔ながらの奥に長い町家です 工房 下司(京都市上京区)

今回、私が訪ねたお店の一つ、日本刺繍の糸を販売されてある
工房 下司さんです。



綺麗に300色以上の糸をディスプレイされてあります。
こちらの糸は細くて、昔ながらの京縫いの糸です。
お蚕様がはく糸を3本集めたものを1本とし、それを10本合わせて
1本の糸として使う、10本どりと言っています。

今は少しだけ太い12本どりが主流です。
糸が細いと何度も縫わないといけませんし、
撚って使っても細いとなかなかボリュウム感が出ませんので
沢山の糸が必要になってきます。
舞台衣装やお相撲さんのまわしなどは太い糸で縫われていますが
この細い糸は着物などの繊細な刺繍にはとても向いています。

これからも残っていってほしいと切に願っています。




二宮尊徳と御木本翁

2020年12月12日 | 日記

渡船から相島を臨む

私からぬタイトルになってしまいました。

今日は知り合いの人のお手伝いに行ってきました。
海を渡って訪れたのは福岡県新宮町にある相島(あいのしま)。
江戸時代には朝鮮通信使が寄港した歴史のある島です。



大河ドラマ招致活動も兼ねて相島のことを書きます。
相島が位置する新宮町は柳川・立花家所縁の地です。
お城があった立花山は今もなお美しい自然が保たれています。



相島にミキモトの養殖場があります。
10代最後の記念に初めてお伊勢詣りをした時、外宮から内宮を
結ぶ御木本道路に驚き、それ以来、密かに御木本幸吉を尊敬していました。
以前のブログでも書きましたが御木本翁は晩年、絹織物に
袖を通さなかったそうです。
木綿の紋付きに山高帽が翁のシンボルでした。
貞明皇后より下賜された杖も大切にされてありました。




伊勢は今も伊勢木綿が残っています。
近くには松阪木綿もあります。
また対岸には知多木綿、三河木綿もあります。
豊かな漁場は鰯などから良質の肥料を生み、
綿の栽培が盛んに行われ
豊田佐吉氏が考案した、豊田式織機も活躍しました。
今も現役で伊勢木綿が織られています。


相島の養殖場


翁は、
何よりも伊勢、志摩を愛し、そして心から二宮尊徳を
尊敬してあったそうです。
実際、政治家や経営者で二宮尊徳を尊敬してある人は多いですが
ここからが御木本翁のすごいところで
私も資料で見つけた時は狂喜しました。

私は訪れた事はないのですが小田原にある二宮尊徳の生家跡に
建つ顕彰碑の碑文に

(略)明治四十二年三重県鳥羽町ノ人、御木本幸吉氏其ノ地
久シク堙海ニ属スルヲ憾ミトシ、貲ヲ出シテ此ノ地ヲ購ヒ、工ヲ起コシテ、
適当ノ設備ヲ爲シ(略)其ノ地籍ヲ挙ゲテ之ヲ本会ニ寄付セラレタリ。(略)

カタカナが読みずらいですが、生家の土地を買ってきれいに整備して
寄付したと書いてあります。

現代は会社組織がしっかりしていて、企業全体で取り組みますが
昔の人って個人レベルですることが大きすぎる!!




長い時間をかけて「二宮金次郎」の映画が全国を行脚しています。
主演 合田雅史 妻・なみ 田中 美里

今年二月に、福岡県ではいち早く吉富町で上映され
町の取り組みで無料でした。
コロナの影響で上映を延期されてありますが
福岡市内でも上映予定があります。

このコロナの時代にお二人が生きていらしたら、
どうされてあったでしょう。
先月、三重大学と御木本製薬をはじめとする
ミキモトグループ三社との連携があったようです。



島では漂着ごみが深刻化しています。
山口県からも有志の方が定期的に
収集にきてあります。

私も自分が出来る事で海を守って行きたいと思います。




相島は猫の島としても有名です。
国内だけではなく、海外からも観光客が訪れています。








炭を売る翁

2020年11月28日 | 日記

竹炭

「鬼滅の刃」が大ヒットとなっています。
私は今年に入って初めて「鬼滅の刃」を知りました。
きっかけは太宰府天満宮の近くにある竈門神社に誘われたことです。

主人公の青年が珍しい名前だったので兄妹に尋ねてみると
炭を売って家族を養っているとのこと。
私はすぐに昔、学校で習った白居易(楽天)の「賣炭翁」を
思い浮かべました。
薄着をした炭売りのお爺さんが寒空の下、宮中の役人に
わずかな絹ぎれで炭を買い叩かれるという
何ともひどいお話です。
10代の私には強烈でした。
私たちの年代で白居易の名詩を思い浮かべた人は
他にいるのではないかと思います。



翁が売っていた炭は竹炭ではないでしょうが
身近にとても良い竹炭がありましたので
私も扱ってみることにしました。
しっかりと焼けていて金属っぽい音がします。
臭いだけではなく水道水もやわらかくしてくれています。

しっかり使って
最後は庭にすき込みます。

私も、もうそろそろの年代に入ります。
男性ではありませんが
さしずめ「炭を売る媼」と言ったところでしょうか。



追記

沢山のアクセスありがとうございます。
白居易の「賣炭翁」の美しい旋律と勇気を讃えて
白文と書き下し文を書いておきたいと思います。

賣炭翁
炭を売る翁

伐薪燒炭南山中
薪を伐り炭を焼く 南山の中

滿面塵灰煙火色
滿面の塵灰 煙火の色

两鬢蒼蒼十指黑
両鬢 蒼蒼 十指黒し

賣炭得銭何所營
炭を売り銭を得て 何の営む所ぞ

身上衣裳口中食
身上の衣裳 口中の食

可憐身上衣正單
憐れむべし 身上 衣正に単なり

心憂炭賤願天寒
心に炭の賤きを憂え 天の寒からんことを願う

夜來城外一尺雪
夜来 城外 一尺の雪

曉駕炭車輾冰轍
暁に炭車に駕して 氷轍を輾らしむ

牛困人飢日已高
牛困れ 人飢えて 日已に高く

市南門外泥中歇
市の南門外にて 泥中に歇む

翩翩两騎來是誰
翩翩たる両騎 来たるは是れ誰れぞ

黃衣使者白衫兒
黄衣の使者と 白衫の児

手把文書口稱敕
手には文書を把り 口には勅と称し

廻車叱牛牽向北
車を廻らし牛を叱して 牽いて北に向かわしむ

一車炭重千餘斤
一車の炭重さ千余斤

宮使驅將惜不得
宮使 駆り将れば 惜しむも得わず

半疋紅綃一丈綾
半疋の紅綃 一丈の綾

繫向牛頭充炭直
繋ぎて牛頭に向かいて炭の直に充つ



最後までお読み頂きありがとうございました。



柳川さげもんと博多おきあげ

2020年01月10日 | 日記

柳川さげもん


久しぶりに自分のブログを覗いたら、一番下に新しい機能が付いていて
続き希望や応援のマークが。
応援、続き希望して下さって有難いことです。



大河ドラマ招致活動も兼ねて
さっそく柳川の織物、染物に関わることを書きます。

今日、知り合いの方が柳川まり・さげもんの展示会を
されてあるので行ってきました。

柳川さげもんは柳川の雛祭りにはかかせない
柳川まりが入った吊るし飾りです。
城下町である柳川のさげもんは江戸時代、奥女中が
着物のはぎれで琴の爪入れや子供のおもちゃなどを
作ったのが始まりと言われています。





柳川さげもんの飾りの数は1本に7個付いていて
それが7本あります。
7×7で49個。
人生50年といわれていた時代に1年でも
長生きしてもらいたいと中心に“柳川まり”を
二つ吊るして51個です。




伝承の柳川まり

現在、毬はリリアンの糸が使われていますが
伝承の柳川まりは本来、木綿の糸を
草木染めしたものを使います。
落ち着いた上品な色合いです。



まりの芯は松の木の糸状のかんな屑を丸めて
着物のしつけ糸を巻いてあります。
現代の建築材の事情ではかんな屑は
手に入り難くなりました。

飾りのさげ方は上に空中もの、中間に山のもの、
木に生るものや咲くもの
下に水の中のものが基本です。

飾りについて一部ですが。

うさぎ・・・おとなしく雪の中でも遊ぶ元気さ
海老 ・・・長寿
三番叟(さんばそう)・・・お目出度い演じもの
這い人形・・・ハイハイするようになった時の親の喜び



金色の三角形の紙はお金を表すそうです。



祝!!東京オリンピック

各国の国旗のまり


博多おきあげは福岡では押絵のことを
おきあげ(置上げ)と呼んでいます。
おきあげといえば職人さんによる羽子板等の工芸品を
イメージできると思いますが、
おきあげも奥女中や上流階級の女性がたしなみとして
小物や装飾品を手掛け、江戸時代の中期頃には
庶民の間でも盛んに作られるようになりました。


博多おきあげは幕末の頃、画家の妻が広めたとされています。

高杉晋作をかくまい島流しの刑にされた
福岡藩士の娘で幕末の女流歌人・野村望東尼(野村もと)も
京都滞在中、おきあげを作り
売っていたという話が残っています。
望東尼の作品は福岡市歴史資料館にあります。


残念ながら「博多おきあげ」は撮影の許可がおりませんでした。

柳川まり、博多おきあげは
福岡県知事指定特産民工芸品になっております。


アクロス福岡 匠ギャラリーにて 博多おきあげと柳川まり・さげもん展 1月12日(日)16時まで





音楽の力

2018年12月06日 | アート・文化
約二年ぶりのブログです。
今年も猛暑、台風、地震と前年に増して大災害の年で
気持ちはずっとブログから遠のいていました。



友人に誘ってもらったコンサートのチラシに
ふと気になる文字を見つけました。

「伊東マンショ」という名前です。
あら、この伊東は大分の方の姓では?(正確には昔の日向)。
下には天正遣欧少年使節のリーダーと書いてあります。
襞襟のついた衣装を着ている肖像画も載せてありました。
天正!?もしかして、大友宗麟の・・・。

私はこの伊東マンショという人を知りませんでした。
調べてみると九州のキリシタン大名・大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の
使者として伊東マンショをリーダーとした
4人の少年がローマへ派遣されたと。

チラシにはコンサートのプログラムに「伊東マンショ」を題材に作曲した
交響詩曲が演目に入っており
それは想像を超えたとても素晴らしい曲でした。
作曲、演奏は熊本県にある平成音楽大学。
平成音楽大学は九州で唯一の音楽大学で熊本地震の時は
甚大な被害を受けました。

演奏から2日が経ちましたが
ブログを書いてみたいという気持ちになり、
ブログのタイトルは「音楽の力」がよいと即座に思いつきました。
よく見ると演奏会で頂いたパンフレットにも
「音楽のチカラ」と書いてあります、
本当にその通りだなと思います。



今、福岡では柳川市を中心として立花家の所縁の地で
大河ドラマの招致運動が起こっています。
立花家は大友宗麟の第一の家臣・戸次鑑連(べっきあきつら)
のちの立花道雪を藩祖し、娘婿の立花宗茂と続き今日に至っていますが
大河ドラマの主人公候補は立花宗茂とその妻、誾千代です。

歴史にご興味のある方はご存じの事ばかりと存じますが、
立花宗茂は関ケ原の戦いで西軍についた為、長い浪人時代を送ります。
その時に手を差し伸べたのが熊本の加藤清正で
妻の誾千代も熊本で亡くなっています。

作家の山本兼一先生、葉室麟先生まで亡くなられガックリしていましたが
演奏中はえにしを感じずにはいられませんでした。


伊東マンショ

熊本地震 復旧・復興~がんばろう!! 音楽のチカラ パンフレットより

鹿児島 イルミネーション

2016年12月11日 | 日記
11月22日に鹿児島に出張しました。

今年は大きな地震があり、もうブログも止めてしまおうと思いましたが、
和のテイストのイルミネーションに癒され
細々と続けていこうと思います。




まず、前職のお礼参りで霧島神宮に参拝です



手水舎の水が清々しいです



境内には天然の竜胆が咲いています



鹿児島中央駅のイルミネーション

いつも日帰りなので帰りはどっぷりと日が暮れていますが、
とてもきれいなイルミネーションがありました。
帰りの新幹線まで時間があったので
どこをどう歩いたのかわかりませんが
突然、目の前に和の文様が入ってきました。
麻の葉を星に見立て大きな香水瓶のような塔は薩摩切子を模したものです。
時間で青や黄色などに色が変わります。




浮かれている歳ではありませんがローラになった気分でした。
何よりも和の文化が好きなのだとしみじみ思います。



油屋町界隈

2015年11月24日 | 日記

長崎市油屋町界隈
かなり長く石畳が続いています、朝だからでしょうか観光客は
ほとんど歩いていません。

今日は午前中長崎行でした。
長崎市内はご存じの通り大きなお祭りがあるので
染の文化が残っています。
色使いが長崎らしく、またくんちの時は
手ぬぐいの使い方が粋です。
なかなか、くんちの時は人が多いので行きませんが
衣装や町世話人の方々の礼装は目を
見張るものがあります。
着物類は京都に発注してあるそうで
礼装は紋付羽織袴に山高帽です。
特に紋付の黒さが違います。
昔は染料に含まれるタンニンが絹を丈夫にし
護身用としても使われていたそうですが
現代は化学染料と技術向上でさらに深みのある黒色です。
帯は圧倒的に博多献上が多く締められています、
激しい動きにもほどけずにいてくれますから。

長崎市内に何軒か染め物屋さんがあり、毎年のくんちのための
染物はちゃんと順番で回るそうです。
その中の一軒の染め物屋さんの近くには
長崎の豪商「大浦 慶」の墓所があり、
女性のお参りの人が絶えません。
長崎にはお慶さんの名称で女性起業者の会もあります。
私は日本茶が大大好きでお慶さんのことも
大好きですから羨ましい限りです。



油屋町から真っ直ぐ石畳を街中に歩いていくと
石畳の終り近くに「大浦 けい」居宅跡の
石碑が立っています。
現在は地元の大手銀行の仮店舗になっていました。
そのまた近くに長崎でも有名な喫茶店があります
朝9時から開いていますので助かります。
この石畳の道は朝のお散歩にはお勧めです
地元の人の為のお店が並んでいてお値段が安いです。




画像の中の写真は日本で初めての写真家、上野彦馬氏による撮影と
いわれています
ちょうど朝日が逆光で上手く撮れずド下手で
お慶さんに申し訳ないです。




長崎市の市章 港を意味する折り鶴形

前から気になっていた長崎市の市章、何で五芒星なのか?
道のいたるところにある孔の蓋に施されて
います、アジサイはわかるけど・・・。
長崎市のホームページで調べてみたら
五つの港(鶴の港を象徴して)を折り鶴の形で星状に
配しと説明してありました。
謎が解けました、イヤ私が勝手に決めつけていました。

京組紐

2015年09月02日 | 日記

京組紐の伝統工芸士の方が組まれた根付紐と北海道産 白瑪瑙

京都から帰ってきて4日が経ちました。
京都の次の日が大分行で身の周りを片づけていたらあっという間に
3、4日経っていました。
今回は新幹線に高速道路、移動移動で両足首がむくみ、
おまけに急いでいる時に何処かにぶつかった様で
アザが出来ているのにその事に気がつかないで
何日も経っていたことに年齢を感じています。


少し組紐の事を記録に残しておこうと思います。
本来、織や染物などの事を書こうと思い始めたブログです、
段々、売る方に追われ違う路線にいってしまっています。


京組紐の伝統工芸士の方に長さのある根付紐を頼んでおりましたので
引き取りにお店にお伺いさせて頂き、店主さんと少しお話しました。
閉店間際で上七軒の方にも立ち寄りたくて
私は少し気がせいていたのですが
京都の織物関係の方々はとても親切ですので
質問には詳しく教えて下さいます。
それだけ自分たちの仕事に自信とプライドを持ってあります。


坪に鈴を入れて下さってます 

根付紐はご存じの通り両端に坪(つぼ)という輪っかが付いています
これが、手がかかり作っても出ない為
あまり作られなくなったという事ですが
お話して下さった通り、身の回りには化学繊維を使って
坪のところを接着したもの
正絹の根付紐でも中国生産のもの
片方が金具にしてあり装着が簡単なものなど沢山ありますね。
私自身も正絹の根付紐は高いので5本で200円位のレーヨン製の
根付紐をつけていたくらいです。

機械で組んである正絹の紐も京都で作られているそうですが
これも安い化学繊維のものに押され時代の流れを感じます。
「機械が絹対応でレーヨンは楽ではない」と言われ、一瞬、さすが京都と
思いましたがすぐさま哀しさを覚えました。
技術的なことは訊きませんでしたが大切ものが
少しづつ失われていく気持ちでいっぱいでした。


京友禅染のがま口と正絹の根付紐
 
香典返しにアズユーライクのカタログを頂き、大切な人の香典返しなので
何か形に残るものをと友禅染のがま口を選びました。
今、皮にも染めてあるとは知っていましたが聞いた時は驚きました。

ですが、使ってみるととてもよいのです。皮が柔らかく肌触りもいい。
それに普通の長さの正絹の根付紐を付けると存在感があってこれまたよい。
太くてふっくらとしてはりがあり色も昔からある古代紫です。


北海道産の白めのう 白豆して帯飾りにしてみました

大分から戻って作りかけていた根付を仕上げました。
北海道産の白メノウを加工して白豆を炊いた感じを出し
伝統工芸士の方が組まれた紐に通して帯飾りにしました。

京都の高級そうな和装小物店には若狭瑪瑙細工が置いてあります。
昔は北海道から石を運んで作られていたそうですが
今は枯渇してブラジル産だそうです。

写真の白メノウは北海道の川を流れ、海に入り
波に晒され削られ海岸に打ち上げられ採取されたメノウです。
正絹にとてもよく合います。

上七軒

2015年08月30日 | 日記

上七軒の街並み

昨日は仕事で京都行でした。
毎回毎回、日帰りで超ハードです。
夏場は暑さでたまりません。

西陣方面によく行っているのに上七軒に
立ち寄ったことがありませんでした。
私にとっては憧れの上七軒です。
人通りの少ない夕方の通りを歩いてみました。

私は観ていませんが上七軒の舞妓さんをモデルにした映画があったとか。
花街の中でも最も古いところです。
織の文化も栄えるはずです。


上七軒歌舞練場 夏場はビヤガーデンになります


お値段もリーズナブルなので入ってみたいなーっと
思いましたが仕事中です
我慢、我慢。



方向は違いますが東山区白川の方にも行ったので写真アップしておきます
きっと後で行ったことすら忘れてしまうので。


CMやドラマによく登場する石の橋、意外に広かったです。


祝 5周年!

2015年07月18日 | 日記

銅製の雨戸の収納

今日は福岡市箱崎 ハコイチに出展させて頂きました。
5周年ということで美味しいお菓子の振舞いもありました。
私も久しぶりにマカロンを頂きました、とっても美味しかったです。

室内の様子やお菓子の写真を撮りたかったのですがカメラを忘れてしまいガッカリ。
今日は以前撮っておいた写真です。
私はこの様な銅製の雨戸収納を見たのは初めてです。
家屋の中の設えも少し違います。



明日もハコイチは開催されます。
写真は撮れませんでしたが雰囲気はとてもよいのです。

 
スタッフの皆様、周りの作家の皆様有難うございました。