大正天皇は伏見宮禎子女王と婚約内定していたが解消。
貞明皇后と結婚した。
婚約解消の理由は、「肺病の疑い」
しかし、その後も健康に問題なく、禎子女王は80歳まで生きた。
㈠で書いた、家族の病気と後継者問題が、婚約解消の本当の理由だろう。
禎子女王には、兄が3人。
博恭王
邦芳王
昭徳王
伏見宮家の嫡男は、禎子女王とは母親が違う、正妃が産んだ次兄だった。
ところが、「不治の病」で、後々廃嫡となる。
廃嫡の手続きをしたのは、禎子女王が婚約解消後に新たな縁組を探して結婚、降嫁した3年後。
昭徳王も正妃の子だったが、幼くして薨去。
産んだ子供が2人共不幸に見舞われ、正妃の利子女王も病んでしまった。
大正天皇