悠仁様は故人とお別れする拝訣の儀にスーツだった。
三笠宮家に入る順番も、秋篠宮ご夫妻、佳子様、悠仁様という順番で佳子様の次だった。
本葬で服装や順番を変えるという事はあるだろうか。
天皇陛下と上皇陛下も拝訣の儀の前に訪問した際はスーツ着用だったが。
拝訣の儀という儀式には欠席され単なる弔問という形にされたからだろう。
通夜の前の弔問ではモーニングの服装。
悠仁様が成年になったら席次は佳子様の前、愛子様の前といった推測があったが、秋篠宮派の希望的観測に過ぎない。
秋篠宮ご夫妻が愛子様より前なのは、皇太子待遇の皇嗣と法律で定めたからである。
皇嗣の法律が秋篠宮殿下一代限りではなく、秋篠宮殿下に万一の事があった場合に悠仁様に適用され悠仁様が皇嗣となるように定められていれば愛子様より上だが、悠仁様に対しては何もない。
秋篠宮家のお子さんたちが未成年の時の席次は、
眞子様佳子様悠仁様
と年齢順であった。
もし、悠仁様が男子という事で女子より前なら、誕生した時から前でなければおかしいのである。