この歳になれば、そりゃ墓場まで持っていきたい秘密のひとつやふたつ。
主に親を心配させないため、ついで社会的な立場での制約の上。
自分にとって必要な道のりで後ろめたいことがなかったとしても、
周りの迷惑や心配を考えないわけにはいかない。
正直に言うばかりがいいことだとは、我が道を行く私だって、思っちゃいないわけだ。
自立すると、媚びる必要がない。
甘えたくない相手に甘える必要もない。
妥協してやりたくもないことに我慢する必要もない。
自分が自分であろうとするとき、自立はどうしても身につけなくてはならないことだったと思う。
誰に育てられていようが、どんな環境で育とうが、あたしはそうやって自分自身になったと思う。
理解したいと思うことがあれば、人は自然と努力するものでしょう。
単に与えられるよりも、自発的に手を伸ばした方がより早く吸収するのだから、
無理にお尻を叩くより、好奇心を刺激する方が能率的。
いかにその状態に持っていけるかを自分で知っていると、楽しく早く学ぶことができるよね。
かなり辛辣なことを言っても患者との信頼関係が崩れない人もいれば、
ちょっとした言葉をとられて反感をかう人もいる。
はたで見ていて気付く違いは、相手の尊厳を傷つけていないかどうかに尽きると思う。
話の合間に少しでも相手のことばに耳を傾ける瞬間があるかどうか、
真剣なまなざしで応えているかどうか、
たとえ理屈に合わない訴えを相手が繰り返しているとしても、
馬鹿にする素振りを見せずにいられるかどうか。
あたしにだって、ゆるせないことはある。
一生懸命やってる人を、どんな理由であれ小馬鹿にして鼻で笑う人。
話し相手がそれを好きか嫌いか確かめもせずに、、人や物の悪口を言い続ける人。
人ではなく、自分を守るための嘘をつく人。
1回2回ならともかく、度重なれば距離をおく。
距離をおく前に口にするかどうかは、
その人の度量を量ってから決める。
人を好きになる気持ちが生きるエネルギーになっているということは、
好きになる誰かがいなければ生きる意欲が失われてしまうということ。
いつもどこかで支えになっているあなたの存在が、
誰かのものになったり、
運命に奪われたりしてしまったら、
あたしはその時いったいどうなってしまうんだろう、と考えてしまう。
かたちは変わっていっても、あたしの基盤はすべてあなたの姿にあるのに。
あたしはここにいるの。
双子のように、離れていても心はずっと寄り添って生きてるの。
D嬢のつぶやき