を祈る慈悲の瞑想には、
『祈りという「行為で自分も救われる」
という「無意識にある自我」
★★★★★★「自分の思い」という
✡行為の主体から離れられない』。
これは
善行、功徳という✡「宗✡教的な自我」
が足かせになっているから。
本当の愛は
★★★★★『決して「教え」からは産まれて来ない』。
『それ』は
『思考の造る願いや行為ではない』から。
✧✧✧✧✧『命・魂に刻まれている
✡自然な想い』。
あなたが『「自分は好きにならなくてはならない」
と思うことなく誰かを愛し、恋に出逢う』ように。
【続く】