★【指導者・最重要理学講義】!☆『救い道と目覚めの道の「クロスロード」が AMS愛の錬金術・TAO』!
目の前の現象世界で、苦しんでいる人達を
『「救う」愛をキリスト教やイスラム教では「目的としている」』。
これに対して初期仏教では
『※「結果的にそうなっている」
「救う・救われている」ために、二元価値・
時間世界の現象に「※目的の眼を向ける道ではない」。
『根本原因である「苦しみを産む」
☆☆☆☆☆幸・不幸循環を超える教え』だから。
『それ』は、
例えば、ホームレスや貧困生活を送っている人々や、
ストレスや不摂生を繰り返し病になられる人達に対し
ただ
『目の前で苦しんでいるから「食料を施し、病を治すという」
★★★★★単純な対症療法の救い』ではない。
ゴーダマ仏陀は子供が死んだ母親に
★★★★★イエスのような「死者を蘇らせる対症療法」の
救いではない
☆☆☆☆☆『幸・不幸循環を超えた根本療法となる救い、
目覚めの道』を示された!
しかし、これは
★★★★★現象世界の「即効性がある物理的な救い」を
求める普通の人達からは、なかなか理解されない。
だから
救いの道を示すキリスト教やイスラム教が
世界中に拡がり、後に大乗仏教も誕生した。
大乗仏教の中でも日本の禅宗『南方禅は特に
✧✧✧✧✧「意識進化の段階的な悟りではない頓悟」を重視している』。
実は
禅宗には日本に伝わらなかったが、
上座部仏教のような✡『段階的な意識進化の悟り・
★★★★★「漸悟」を強調する北方禅』がある。
ホームレスや病の人達に食料やお金を与えるなど
例え★★★★★「物理的に一次的に救っても」
自分で働く自立方法を示し、病を造る原因を取り除く
★【最重要】☆☆☆☆☆「根本的な解決に繋がる道」を示し、
導かない限り「真の救い」とはなり得ない」』のに。
『幸せに「なり」救いに「出逢う」水飲み場となる
場所は示す(根本療法)』が、
水飲み場に行ける人に「あえてその場で水を与える
行為(対症療法となる物理行動の救い)」は、
★★★★★「幸・不幸循環を永遠に繰り返す」だけだから。
しかし、「目の前の人を苦しみを助けたい」という気持ち
☆☆☆☆☆『慈悲心・愛が自己超越・悟りに出逢う鍵』で
あることに変わりはない。
要は
これまでの宗教には☆【最重要】『救い道と悟りの道の
「クロスロード」(交差点)となる道』が明確に示さていなかっただけ。
アブラハムマズローは人間の意識段階を示した。
人々は『「生きるために必要な」生存欲求が満たされて初めて、
マインドエゴの愛情・承認欲求に進み、これを経て自己実現に至る』。
この☆☆☆☆☆『自己実現欲求を満たし、
★【重要】ほとんどの人々は初めて意識の眼が
「マインドの自分以外、自分を超えた本質・真我」に向かう』もの。
だから
「世界で最も悟りを概念※(キリスト教エッセネ派やイスラム教スーフィは
悟りの「現象はあるが言語概念は存在しない」)として
整理・体現している」禅では『✡「頓悟漸修」』という、
✧✧✧✧✧『段階的な意識の目覚めである覚醒・漸悟と
☆☆☆☆☆「無段階的の悟り・自己超越である頓悟』が
※並立する概念を新たに産んでいる。
これは「救われている自分の立場を
※自覚することで、
やがて、「結果的に」救う立場・悟りに自然意識進化している』。
『量子物理学の「波動粒子二重性説」観察者効果に符合する
「とちらでもあり、どちらでもない」観察者の意識で
変わる宇宙視点』。
ただ『現実の肉体時間の問題・苦が
☆☆☆☆☆「一時的なもので必ずこれを超えられる」という
【最重要】強い想い、一念力(プラシーボ力、理学理解の確信)』を
持つ(※菩提発心)から「道なき道の道になる」。
AMSは『現象世界で★★★★★目覚めに繋がらない
「物理的な救いとなる行為」の提供はない。
まず、目の前の苦を消す。具体的に幸せに「なり」 救われる方便方法を提示し、
次に
『「幸・不幸の循環原理を理解(釈迦が子供の死を悲しむ
女に誰しもが死を逃れられないと教えたように)する」
ことで、「これを超えていく至福の道の方向」を示す』。
☆☆☆☆☆『現象世界の救いが目覚めに直結する
クロスロード・中道の「救いなき救い」』のTAO。
根本療法だけでは、あまりに
『目の前の★★★★★「現象世界を※リアルに感じる痛み、
苦しみ」に救いを求める「普通の人達では、耐えがたく苦しい」』ので、
★★★★★『「目の前の苦しみを取り除く」対症療法を