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先週の日曜日はお十夜という法要がお寺でありました。
もともとは、十日十夜に念仏を修し阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要とされているようです。
お十夜では、この一年間で亡くなった方々を初十夜といって特別にご冥福をお祈りします。
おそらくは三百ほどのお檀家しかないはずですが、毎年20以上の白木のお位牌が初十夜として並びます。
初十夜というのは初めてのお十夜をお迎えすることです。
私が初めてお十夜の法要に行くようになってから十数年ほどになりますが、一緒にお念仏を唱えていた近所のおばあちゃんたちの姿は今はもうありません。昨年は一緒にお念仏した方が今年は白木のお位牌になっているというのは珍しいことではありません。
そして、今年は知人のお母様のご冥福を祈りすることになりました。
いろいろ考えると感慨深いものがあります。
「来年はもしかしたら逆の立場になるかもしれない・・・」そう思いながらご冥福を祈ってお念仏を唱えるのでした。
>来年はもしかしたら逆の立場になるかもしれない・
そうですよね。
年齢順に死を迎えるわけではないですしね。
その知人のお母さまのご年齢はわからないのですが、まず親を先に見送ってから子供(自分)というのが順番というものですから
その方にとっては大きな悲しみであっても無事にお見送りできて何よりだと思います。
子が親より先に逝ってしまうことはこの世の最大の悲しみ、残された親は身をもがれる思いですから。
人生の折り返し地点を曲がった年齢になると「死」が身近になりますね。
死後の世界はともかく、せっかく今を生きるのなら穏やかに生きたいと思うのも歳を重ねたせい(おかげ)かもしれませんね。
分別くさいことをすみません。
あ、体調がすぐれないようですしコメントのレスはいいですからね。お大事に。
私の地域でも十夜はありますが、初十夜はないようです。
地域によっていろいろなのですね。
こちらでは初十夜を迎えるのは誕生日と同じようにおめでたいこととされています。紅白のお餅でお祝いします。
もしかしたら本来の趣旨とは外れることなのかもしれません。
>なにしろ、以前はなにも考えずに参ってましたから。
浄土宗では「ただ一向に念仏すべし」というもっとも重要な教えがあります。ですからそれはそれで良いのだと思います。
私ももちろんほとんどわかっていませんので。(^^;
本当にそうだと思います。残されたものの悲しみは非常に大きいのですが、それが我が子であった場合の悲しみははかりしれないと思います。
>人生の折り返し地点を曲がった年齢になると「死」が身近になりますね。
既に同級生だった子も何人か亡くなっています。同じ歳くらいの同僚も何人かなくなっています。
周りを見渡すとあちらの世界に行かれた方の方が多くなってきました。
残された時間はそれほどないと思います。
今のうちにいろいろ体験していろいろな思い出をつくっておきたいと思います。