風の盆恋歌
編み笠を目深にかぶった一団が、ゆっくりと踊りながら近づいてくる。しなやかにひざが折れ、すーっと伸びた手が宙を漂う。街筋に響く哀調を帯びた越中おわら節。三味線と胡弓(こきゅう)がもの悲しい旋律を紡ぎ出す。
八尾の街に、おわららしい情緒が漂い始めたのは午前1時半過ぎ。「夜流し」だった。踊り手や地方(じかた)といわれる歌い手、演奏家らは、観光客が少なくなるのを見計らって夜更けの街に繰り出した。先回りして待つと、ゆらゆら揺れながらおわらの踊りが近づいてくる。やがて胡弓の悲しげな響き、歌が聞こえ始めた。
唄(うた)の町だよ 八尾の町は
唄で糸とる オワラ 桑もつむ
小説「風の盆恋歌」では、都築克亮と中出えり子がそんなおわらに酔う。
〈その位置からは、胡弓の音も歌の声もなく、二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。どこかに操る糸があって、人形の列を思いのままに動かしているように見えた。
「あなた、これは、……ねえ、この世のものなの」
えり子は身じろぎもせず踊りを見つめたままで聞いた。〉
高橋治著 『風の盆恋歌』
都築克亮は約30年前の旧制高校時代の仲間だった中出えり子と、富山・八尾の「おわら風の盆」で愛し合う。都築は大手新聞社の外報部長で妻は弁護士。えり子には心臓外科医の夫と大学生の娘がいる。
思いを寄せるえり子から遠ざかったのは仲間と訪れた風の盆の夜の出来事が原因だった。都築の勤務先のパリで再会したふたりは、誤解が生まれたいきさつを知り、急速に近づく。えり子は「もう一度でいいから、あなたと風の盆に行ってみたい」。
八尾の諏訪町の一軒家でえり子を待つ都築。えり子が京都から来たのは4年目の風の盆だった。列車が駅に止まるたびに降りて戻ろうかと思ったえり子は、「足もとで揺れる釣り橋を必死で渡ってきたのよ」。ふたりは3日3晩、美しいおわらに酔いしれる。「おれと死ねるか」と聞く都築に、えり子は「こんな命でよろしかったら」とこたえる。翌年も風の盆で会うが、えり子は不倫を娘に知られてしまう。
3度目の逢瀬になるはずだった風の盆の初日の夜、原因不明の難病に侵された都築は八尾の家で息絶えた。駆けつけたえり子は、「夢うつつ」と染め抜いた喪服姿で都築に寄り添い睡眠薬自殺する。
上新町の方々、輪踊りで観光客も一緒に楽しく踊られました。