確かにすべての物事に対して「神様の言う通り‥」と受け入れることはできます。
でも一つだけ、「やっぱり、どう考えても理不尽ですよ」
と言いたくなることがあります。
赤ちゃんから、学生期、成人期、中年期と精一杯生きてきて、全ての人が高齢期を迎えます。
どの時期も、自分なりに嬉しいこと、悲しいことに心動かされて、一生懸命に生きてきました。振り返ってみると、その時々の自分が心身共に元気で、活力に溢れていたと思います。
そして、元気だった姿を思い出しつつも、決して自分だけのことを考えて、生きてきた訳ではないと‥。
高齢期の全ての人(?)が、そう思っていると思います。
子どものために、家族・親族のために、周囲の人々のために、地域社会のためにと力の及ぶ範囲ながら、一生懸命生きてきたと思います。
それなのに、その活力が衰える高齢期に待っている人間としての姿に、納得がいきません。
私が、神様だったら‥
そうです、私が神様だったら、高齢期はご褒美の溢れた期間とします。
生まれてから始まった「自分育て」、「子育て」、「社会貢献」等々、まっとうに生きるには、大きな努力が必要でした。
これほど多くの責任を果たして迎えた高齢期は・・・・
”豊かで、喜びの溢れた、生きることが楽しい時期”
として、神様に作り直して欲しいと強くお願いしたいと思います。
私が神様だったらしたいこと・・・
●長期間に渡って体力は衰えていき、本当に体が動かないの晩年の数年だけ。
●生活習慣病という病気はなく、高齢=病気という認識のない社会。
●能力の低下はあっても、認知障害という症状はない。
●高齢期は、食べることにあくせくしていない。
ああ、やっぱり難しいなあ‥神様だったらしたいことさえ、思いつきません。
それでも、周囲の高齢期の人々の寂しい生活風景や嘆きは、神様の力で、拭き取って欲しいものです。
「高齢期は、誰もが通る道」と表現されますが、その道を歩くようにならないと、理解できない、実感できないことに溢れています。その溢れるものが、楽しさや幸せ感であって欲しい‥ そんな高齢期を誰もがご褒美として過ごせますように!😇
😊 すっかり秋らしくなってきました。
水彩画教室の木下先生の絵も秋の雰囲気です。