ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

婉という女 ・ 中村藩

2019年05月21日 00時56分57秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー

愛媛を過ぎて 
宿毛(すこも)に 入ったとき だった か
四万十川にそって 走っていたときだった か
忘れたが、 ガイドさんが、 
話してくれた「婉という女」のことを 書く。

1950(昭和35)年4月10日 刊 「婉という女」
は 大原富枝の 歴史小説。
大原 19歳のときに 図書館で
野 中 婉 の 自筆の手紙を読んだ、という。

初版が1960年 だから 
約 30年近くをかけて(この間 事情 あって)
この小説を 仕上げた。
そして 同年、第13回野間文芸賞を受賞。
1971年(昭和46年)岩下志麻 主演で 映画化された。

私は 映画を見ていない。
多分 この時に 原作を読んだのだろう。

内容は
江戸時代初期の 土佐藩家老 野中兼山の
娘、婉の ぜんざいの 宿毛市(すくも し)において
40年に 渡る幽閉生活 を 送った。
婚姻を禁止されていた。
眉を落とさず、歯を染めず、振袖(短い袖のもの)を着ていた。

幽閉が解かれたとき、
姉と妹は 高知県の南西部に位置する 宿毛に残る。
婉は 老母と乳母を連れて 朝倉に住む。

宿毛と、 その後に住んだ 安履亭のあった
朝倉を訪れたのは
桃山晴衣・馬場あき子・酒井和歌子など、
多くの女性が ここ土佐を訪れたらしい

わたし またまた 四国に 行きたくなった。
( 行けないだろうけれど ) 

作者が 婉(えん)の 文書をよんだ、のだから
本名なのだろう。 父親が 名付けたのか、わからないが
その訳を知りたくなった。
意味は
① うつくしい。しなやかで美しい。しとやか。あでやか。
② したがう。すなお。
③ おだやか。ものやわらか。遠まわし。

どの 意味が込められたのだろう。

xxxxxxxxxxxxx
旅行の メモ「婉という女」の
わきに「中村藩」のことが書かれてあった。
調べてみたが かかわりがあるようには 思えない。
いちおう 記しておく。

中村藩(なかむらはん)は、土佐藩の支藩。
江戸時代初期から中期にかけて 3代33年間 存在した。

明暦2年(1656年)土佐藩2代藩主・山内忠義の二男・山内忠直が
幡多郡中村(四万十市)付近3万石を与えられ立藩。
元禄2年(1689年)3代・山内豊明は 若年寄に累進したが
病気を理由に辞職。
時の将軍・綱吉の怒りを 買い蟄居とな類。
減知されるが、豊明はこれを拒んだ。そのため廃藩となった。

xxxxxxx
なんで この話が 関わり あるのか なぁ。
四国の 藩の 小説
「村上海賊の娘」 下巻 いま 読んでいる。
宇和島藩の「兎の耳」は 再読 できるかな。

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娘たちに ハガキを出した ゾウさん

2019年05月03日 00時23分08秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー 最終日

2019・3・22(土)

長女から 
「お父さんが ぎりぎりに なっても 怒らない で」
( だったかな )
いつも 待たされることを このブログに かいているので
心配してくれたのだろう。

メールが 入ったのは
2日目の 雨降りの 松山城 リフト乗り場で
ゾウさんを 待っていたときだった と 思う。
返信をする どころではなくて 
そのうち 忘れていた。

あとで ゾウさんに 話したら 
絵ハガキ 2枚買ってきて なにか 書いたようだ。
珍しい  ことだ。

xxxxxxxxx さて

この 四国一周ツアーの バス 移動 距離は 
340+ 220+ 230+ 280+ 130km
5日間で  計1200 ㌔ だった。

歩 行 は
18日  4845歩  19日  6877歩
20日  7403歩  21日  7353歩
22日  7024歩    計 33000歩 以上
xxxxxxxxxxxxx
    
旅の 仕舞は 伊丹空港から 花巻空港に つくこと。
伊丹には 早くに 着いた。
あとは 自己責任で 搭乗するのだ。。

飛行機へ 乗る時、いつもと違って 外へ

誘導された。 

面白い。



伊丹 16:45発 ~ 花巻空港 18時過ぎに 予定通り 着いた。



ゾウさんの 運転で 無事に 我が家に着いた。

xxxxxx

ブログも なんとか だした。
書いているうちに 気が付いたこと。
一周ツアー だが、
香川県には 行ってないような気がする。
xxxxxxxxx 

これから することは
高知藩の 支藩 中村藩。
土佐の野中兼山の娘の物語の『婉という女』。
これを 読むこと。

それから
ガイドさん、
尾道から 今治までの 瀬戸内海の 道。
そこを 通りながら 「村上水軍」のことを 話された。

因島・能島・来島 の 村上水軍、とても 興味があって
「村上海賊のむすめ」上下巻 を 買っていた。
こんどこそ 読もう。

xxxxxxxxxx

我が家が 一番を 感ずるために「旅」に出る …… 
ことを 今回も 実感した。
これが 最後の 「遠出」に なるだろうから
最後の 「実感」 かな。 

xxxxxxxxxx

読んでくださって 有りがとう ございました。
四国の旅 終わります。
 

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鳴門海峡は テレビで 埋め合わせて 

2019年05月02日 00時01分09秒 | 2019・3  四国 

四国一周ツアー 最終日 2019・3・22

大塚国際美術館



宗教画を 数枚とって から

なんという 絵か も 写真撮ったのだが
ぶれていて 読めず。


これ以後 洋食「最後の晩餐の昼食」という 食事を とる。
集合場所で 待っていたら
いくらか親しくなっていた方が 「違うんだって」と 呼びに来てくださった。
変更は いつ 知らされた、のだろう。
食事のときに 再度 「場所」を 言ってくれたら よかったのに。

呼びに来てくれた方も 知らなかったのだから
ワタシだけでないはず。げんに 遅れてきた方々 が いた。

xxxxxxx
伊丹空港へ 向かう。

鳴門海峡は 
こんな具合にしか 見えなかった。

この旅に出る前に NHKの ブラタモリ の「鳴門」を 観ていた。
再度 眺める。
 

その映像を 貼る。


 
xxxxxxxxxxxxxx あと 1日書いて 旅の 報告を終わる。

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美術館 睡蓮の池は 広かった

2019年05月01日 00時46分18秒 | 2019・3  四国 
四国一周 ツアー 最終日 3月22日

大塚国際美術館で 睡蓮の 池を 観る。
 
昨日の 北川村の 「モネの庭」は 雨で 歩くのが 難儀だった。
今日は とっても 良い天気。

ここの「睡蓮の池」も もちろん 外にある。



手すりがあるから 心配ない。


ぐるりと 回ると「絵」



丸椅子に座って ゆっくりしたいが



食事が 待っている。



よく手入れがされている。

睡蓮は まだ 咲く時期ではない。


入口が わからなくなる ほど 広かった。

xxxxxx
ず~~~と 考えている。
このあとに 「ゲルニカ」の写真 撮ってある。だが、私は
撮った記憶がない。思い出せない。
ゾウさんの ピクチャも 調べてもらった。ゾウさんは
1枚も撮っていない。
ここも 別行動したの かな ??? 
ボケたか。

美術館は もうすこし 書く。  旅行記も もうすぐ おわる。

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陶板つくりの名画を 撮ってきた

2019年04月30日 00時42分17秒 | 2019・3  四国 

四国一周ツアー 最終日 2019・3・22



陶器の大きな板の上に 再現した「陶板名画」をみることができる。
日本で 一番 入館料が 高い、と どこかに 書かれてあった。

大塚国際美術館の 絵は 陶版で 出来ているから?
さわっても 写真を とっても 構わない、とのこと。

古代壁画 そして
世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで、
陶板の画 1000点以上を ることができるのは、
大塚国際美術館だけ だと。

学芸員の 方が 去って 自由時間。
好きに 観て。。。と 言われると 
どこへ行けば よいのか 迷ってしまう。



観たことがある 絵を 探した。


陶器の大きな板の上に 再現している 大塚国際美術館の「名画」。
サイズ、色彩はもちろんのこと、
表面の質感や、筆遣いまで、原画を 忠実に再現してある。
半永久的な耐久性を持つ 陶板名画は
貴重な美術品・文化財の 記録保存という役割を はたしている。

「さけび」は 意外と ちいさい絵だった。

これは なんだっけ。「牛乳を注ぐ女」 フェルメール ?


真珠 の 耳飾り の 少女 

真珠より ターバンの方に 目がいく 絵。
東京に 本物が 来たとき
鑑賞に行ったの だが 
並んで ならんで この絵の前にいたのは
たった 20秒 だった。



ここから
睡蓮の 池に 行く。では 

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すべてを観るには 1日でも足りないだろう

2019年04月28日 00時02分24秒 | 2019・3  四国 

四国一周 ツアー 最終日

大塚国際美術館からの 風景。(下の写真)
昨日 曇りで 鳴門海峡 観ることができなかったそうな。 
鳴 門 公 園 (多分)の 建物が 見えた。
 
 

学芸員さん の 解説 はじまり( 多分 )


最後の晩餐     失敗。 ボケ 写真 だ~~~。
昼食は 「最後の晩餐の昼食」という 名前になっていたが
この場面の メニュー を 揃えるの かな。



モナリザ 


宗教画  

(下) 外を 撮っている。このころから 解散、
見学と なったのだろう。  多分。

 

写真をとっても 良い、とのこと、
いつもより 多く 撮ってきた。
 40枚ほど あったなかの 一部を貼っている。

次回は 自由時間になってからの ことを ……。

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5日目 ・  ゲルニカ 視れども 見えず

2019年04月27日 18時38分52秒 | 2019・3  四国 
3月 22日(金)  最終日 


ホテルから 大塚国際美術館 は すぐ だった。

美術館の 学芸員さんが 30分ぐらい 解説してくださる。
写真撮影は 発光させないければ 撮影は OK
なので いくらか 撮った。

 
鑑賞するものは 決めて望んだ臨んだはず。なのに 
ピカソの「ゲルニカ」は すっかり 忘れた。 残念。

と 思って 帰宅後 我が家の トイレにある
額「ゲルニカ」の 写真を 撮って ここに 、と。
プラド 美術館へ いくなんてことは 考えられないから
しっかり 見ておこう、、、 と思っていったのに
など 愚痴りながら 貼った。

これ みたかった なぁ。

ところが 美術館の 記事を書こうと パソコンの 
ピクチャ を 開けたら

なんと 写真が あった。 せわしなかったから だろうか。
心ここに 在らざれば 視れども見えず
なんだな。どうして ? 
ゾウさんは いないが、
同ツアーの方が くっついていたから、と 人のせいにしてもみたが……。



11時110分に 撮っている。
学芸員さんが説明を 終えて「あとは ご自由に」の
時間になってから 撮った、と。 思うのだが、
憶えていない。

ゲルニカ は 縦 3、49 メートル
       横 7、77 メートル  

ある はず。
この 写真が そんなに 大きかったら
記憶しないはずがない、と 思う のだが
その 周りの 景を 撮っていないので 考える材料さえない。

やれやれ 

xxxxxxxxxx

近所に ピカソ(picasso)の代表作『ゲルニカ』の 本物を 観た方がいた。
「プラド」に 行ったんですか、と 聞いた私に 違うよ、と。 
それから 場所も聞いたのだったが、記憶がない。
この方 5年以上は前に 亡くなっている。

ーーーー  調べてみた。
最初が MOMA(ニューヨーク近代美術館)。
その次が マドリードのプラド美術館。
現在は 
スペインの首都・マドリード、アトーチャ駅近くの
ソフィア王妃芸術センターに 展示されている、とのこと。
あの方は 此処へ 行ったのだろう。

さて 大塚美術館。
別行動だったゾウさんにピカソの「ゲルニカ」の
写真とったか 調べてもらった。なかった。
Xxxxxxxxxxx

美術館の 「絵」のことは また。

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高~~~~い ベットに よいしょ

2019年04月26日 00時02分28秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー あと1日を 書く。
 
5日目の 最終日 

3月22日(金)お天気 は まずまず。

出発 9時30なので ゆっくりできる。

ホテルの周りを 散策することにした。



ホテル入口。 これ クジラ?  イルカ ?



道には 草花が 結構 咲いていた。



手入れを してるようではない。



とても 大きな ホテル。全景は 撮れそうにない。



花だいこん かな。

部屋に 戻った。
お世話になった バスが 待機していた。



xxxxxxxxxxx 話 変わって

この宿は 布団ではなく ベットだった。
すごく 高さが あった。よいしょ・と 登った。
スケールがないから A4の紙で 
一段目、その上のマットレスの 高さを 測ってみた。
縦長の 2枚分あった。

帰宅して A4の紙 を 測った。
縦は 30センチ と いうことは 60センチの高さ。

うちのベットは 35センチだった。
60センチでは 上がり降りが 大変だったのは 当たり前 だ。
寝てしまえば どうということ、なかった、が。

まあ、最後だけでも ベットで 良かった。
xxxxxxxx
 
ここから 行く 大塚国際美術館 は すぐ そこ。

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阿波踊り みせてもらった 

2019年04月21日 00時17分52秒 | 2019・3  四国 

四国一周ツアー 4日目 徳島

午後4時頃 雨は やんだ。

バスのなかから 鳴門海峡を望むことができる公園
への階段( 多分 )のようなものが 見えた。
着いた。

私は 駐車場で待つ。みなさま 登って すぐに 
降りてきた。   ゾウさん。
霧で なにも 見えなかった、と。
xxxxxxxxxxx

鳴門温泉の ホテルに 着いた。
夕食は またまた 大ご馳走で 体重が 心配になった。
 ( 5日間 あんなに 食べたのに 体重 変化なかった )

徳島と言えば、 阿波踊り。。 
バスのなかでの ガイドさんの 解説。 
  この 踊りは 400年前
  豊臣秀吉の 家来 蜂須賀小六が 始めた、と。

阿波踊り 見る機会 なかったなぁ と 思っていたら
食事中に、アナウンス有り。 
広 間 で 公演 とか

ゾウさんは さきに 部屋にいってしまっている。……。
隣の テーブルの方 が 私が、と。



テレビで見ていた おどりを まじかに見られた。



よく身体が 動くもんだなぁ。



「みなさんも どうぞ」を 機に 部屋に 戻った。

xxxxxxxxxxxxxx
阿波踊りの 起源を 調べてみた。

精霊踊りや 念仏踊りが原形であるといわれる、
が、明らかになっていない。
徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったとされる。
天正14年(1586年)、徳島城が 竣工した際、
当時の 阿波守・蜂須賀家政が城下に
「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したこと
が発祥という説もある (蜂須賀入城起源説)。

江戸時代には、一揆につながるとの理由で
阿波踊りが禁止された 時期があった。
その令を犯して、自宅で 阿波おどりを行った家老が
お家断絶になったこともあった。
また、戦時中にも 一時 阿波おどりは 禁止された、とか。
xxxxxxxxxxx

明日は 最後の日 大塚国際美術館へ行く。
天気は よさそうだ が 
明日は 屋内だから 降っても 全然 困らないなぁ。

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赤い蓋の トイレ 利用 せず

2019年04月20日 00時16分09秒 | 2019・3  四国 

四国一周ツアー 4日目 徳島

昨夜から 降りだした 雨。 やみそうにない。



徳島県 美波町 「薬王寺」 へ 向かう。
四国八十八カ所第23番霊場の
醫王山無量寿院 薬王寺 は
弘法大師厄除根本御祈願所 である。



雨は 小降りになっていた。
お寺は そう高い処ではない。が 
坂を 上るのは 無理に思われたので
あたりを 眺める だけにした。



xxxxxxxxxxxxxx

今回の バスは トイレ付だと 書いてあった。
それが 一番 気に入って 参加を決めたのだった、が
30数人が 5日間 使うのは 無理なのだそうな。
緊急以外は 使えない、とのこと。
幸い たびたび トイレ休憩をしてくださるので、
ゾウさんも なんとか なった ようだ。

4日目になって「解禁」に なった。が
その後も 使用する機会は なかった。

このバスには 中間あたりにも 昇降口があり、
階段途中 右手には トイレ 入り口がある。
私は 2日目に その扉を 開けて
見学を しておいた。

小さめの 赤っぽい蓋を みた。 
本当に 困ったら「ありがたい」ことになっただろう。

これから 鳴門公園。 雨は やみそうにない。

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モネの池・ 雨を 喜ぶ? カエルたち 

2019年04月18日 00時06分54秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー

4日目 3月21日(木) 雨


室戸岬 から 
北川村 「モネの庭」マルモッタンへ 入る。

雨が 強いから 昼食をとる場所で 待っていたい のだが
難物がいる。
カメラをもっている上に ここは 植物の 宝庫。
ゾウさんが 自覚を持って 集合場所にくる保証は ない。
皆さまに 迷惑は かけられない。
仕方なしに ついていく。

坂を上る。



四国の 「モネの 庭」の 池が あった。
睡蓮は 時期ではないから 色は みえない。

カエル よろこんで 大合唱。
優雅に ケロケロ …… と いいたいところだが
雨に疲れている身には ケロラ ケロラと 騒々しいだけ。

いままで 来ることが なかった 四国の地を
歩いている。 その ケロラ ケロラ を
旅の なぐさめ と 喜ばねば 罰があたる、だろう。

以前 テレビで
印象派の巨匠 クロード・モネ の 睡蓮の 庭は
平な 地形だった ような 記憶。
風景 違う な~~~。
あいまいになるくらい 昔のことだから ……。




平な 道も すこし あるが、



また 坂。
皆さまの傘で ゾウさんの姿 みえない。
風がないのが ありがたい。
その 上の方も 花・花・花。

チューリップ が たくさんあるところに ついた。



雨のなか 花を植えつけている。



駐車場に 戻ります、という声。

ゾウさん カメラ 構えて、動かない。聞こえるはずないよな。

その場所は ワタシにとって は 花園ではなくて 叢。
私は 「ゾウ~~~・ おいてくよ・・・・」と 叫んだ。
ゾウさん。。。 なんて 悠長なこと いってる 場合じゃない。
2度め が やっと 聞こえたようだ。

さらに 下方に 行くらしい。
もう 面倒見る気がうせている。私は建物の中で 待つことにした。

昼食の場所を 聴いていない。
下の道から 戻ってきた方にも 聞く。「わからない」と。

売店の 隅っこの 大型テレビの前で 待つ。
トイレに 行きたくなった。
「誰かが 呼びに来る、だろうから 場所聞いておいてね」、と 
ゾウさんに 頼んで置いた。 が

戻ったら テレビに 映っている「花々」を 
しきりに撮っている ゾウさんが 一人 だけになっていた。

本館 らしきところ の フロントで 聴く。
2階へ 行く。 皆さま 揃っていた。
やれやれ。 

xxxxxxxxxx      
次は 薬王寺。雨は ますます つよくなって。

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2日目 そして 4日目も 雨

2019年04月17日 00時14分42秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー

4日目 3月21日(木) 雨

今日の予定は
三翠園 ~ 室戸岬 (散策)
北川村 「モネの庭」マルモッタン(見学)
      ・昼食 …… 四万十鶏
薬王寺 (参拝)~  鳴門公園(散策)
宿 …… 鳴門温泉・ルネッサンスリゾートナルト
xxxxxxxxxxx

雨が 降っている。
バスのなかから みている 雨は なんということなし……。



   ーーーー 余 談 ----
  この頃 夕食のあとは 
  春からはじまった 火野正平の「こころ旅」を 楽しんでいる。
  あの方も いい歳になったはず。
  雨の中を 自転車で 走っている。 
  坂を 登っているのを みる。
 この 四国の雨を おもいだしては お気をつけて、
  と 思う このごろである。
 


室戸岬。 雨。



竜馬の盟友 中岡慎太郎の 像も 大きかった。

皆さまは 岬へ 向かった。 私は バスに。

雨の中 モネの庭を 見るために 道を 戻る。
ここまで 来る前に それはあったのに どうして
と 思って 考えた。そうか 開園時間になっていない、から だな。
 


雨は やまない。

xxxxxxxxx

   働き疲れた ので 今夜は  これで 終わる。 
   4年に 1度の ガス検査が あるというので
   毎日 掃除している。
   今日は 物置の 整理。 風呂場への 通路。

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筆山・鏡川・庭園の 緑3つで 三 翠 園

2019年04月16日 00時08分11秒 | 2019・3  四国 

四国一周 ツアー 4日目(3月21日)
その朝 三 翠 園。

土佐藩主山内家歴代墓所のある 筆山の「緑」。
平成の名水百選に選定された鏡川の「緑」。
三翠園の広大な敷地にある日本庭園の「緑」。
その三つの緑を 由来に「三翠園」と 名付けた そうな。

大 門 内側


大 門 道路側から



三翠園のある 鷹匠町の一帯は、藩政時代から 藩主ゆかりの地。
山内家に仕える武士たちが住まいした町だというので
翌朝 散歩を したかったが、残念ながら 雨。

旧 山内家 屋 敷 長 屋.   道路側から 


この長屋の立つ敷地は、
幕末に 家臣7人の屋敷地を 召し上げて
藩主であった山内容堂の下屋敷がもうけられた。
長屋は その頃 建てられたのだろう、と。

屋敷は明治維新後、山内家の私邸となる。
戦後売却され、その大部分が、三翠園の所有となった。
昭和53年、長屋(建物)は 高知市に譲渡され、
昭和54年、国の重要文化財に指定された。

長屋 内側から



長屋は 旧屋敷地の西端にある。
桁行17間半、梁間2間半。
この種の本格的な 武家長屋は全国的に少ない、そうな。

これから 「モネの庭」に 向かう。
雨 強くなってきた。

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 三翠園 は 藩主の 別邸 

2019年04月13日 00時06分00秒 | 2019・3  四国 
四国一周ツアー  3日め

桂浜から 市街地へ入る。

ガイドさん 
はりまや橋は いまはない。
 〇〇が 残っている、なにが 橋柱のこと?。

どこどこ。 カメラを 構える。
ず~~と前に 擬宝珠が付いた 赤い橋の写真をみたことがある。が
左手に 赤い色 見えない。
とにかく 橋 の 柱 のようなもの ↓ に 焦点をあてる。


  
  写真 中央の下方。
  バスの中。 さっき 買った  大きな みかん。
 (名前 知らず)。 おいしかったみかん。

左手にある 親柱には、擬宝珠 は ついているが、赤くはない。
帰宅後 調べた。 
この石の色の 橋について の 解説は 見つからなかった。

この後 行った 「高知城」のことは 先に書いた。
xxxxxxxxxxx

宿に向かう。

三翠園 は 藩主の 別邸だったとか。



かつては 庭に「物見亭」があって、
大政奉還を 翌年に控えた 慶応三年、二月十七日。
薩摩藩主島津久光の使者。西郷隆盛が 訪れた。
藩主 山内容堂が 会談をした場所 だそうな。



このきれいな樹木は なんだっけ。ゾウさんに 聴こう。



三翠園 ここも 和室。 布団だ。  リハビリ・リハビリ。
明日は 雨の 予報。
また  

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お城で 優しい男性に 出会った

2019年04月12日 09時50分12秒 | 2019・3  四国 

3日目 

桂浜から 市街地へ入る。

 はりまや橋 らしきのものを 写真に撮った。
 橋のことは 後で書く。

高知城の 駐車場は 広い。
お天気は 曇り。 傘を持たなくてよいのが 助かる。
杖だけ 持って 皆さまを 追いかける。



山城だから 登り坂。きつい。



山内一豊 と 馬の 銅像。
有名な 「 良妻 」の 話を思い出す。
ガイドさんが その 話をしている ようだ。

だんだん遅れて とうとう 離れてしまった。

ガイドさんの お話を聞くことは できない。
  わたしのような 不自由なもの を 
  連れていってくれる ツアーがあることは 知っているが
  私が 希望する 場所は なかった。
ゾウさんは 耳が 悪い上に 写真撮りが 忙しくて。
ガイドさんに とっては 私たちは 不良客 だな。 



それでも 天守閣に 近づいた。 



入口で 「杖をついて 大丈夫ですよ。どうぞ」と 言われたが
先に 下城しておかないと 時間が 足りないだろう。



かわいい子が いた。



石垣 いいなぁ。これで 満足と しよう。


この門の 写真をみて 思い出した。
奥にみえる 急な石段を下りようと 
杖を 持ち直したとき
外国の男性が わきを 通った。
一人が 手を だして くださった。
大丈夫です 有難うございます。と 身振りを加えて 答えた。
英語が 出来たら 感謝 伝えられるのに なあ。
「サンキュウ」を  やっと 付け加えた。
ゾウさん より ず~~~~と 優しい方が いるんだ なぁ。
うちの 付き添い。。今日は どこまで 行ったやら~~~~。 

いくらか 下へきた。
うちの 役に立たない男性が きた。

標柱の写真 ゆっくりと 撮った。



駐車場への道、 ぐるりと 回って 堀をみた。



ここでも
ガイドさんの 説明は ほとんど 聴くことが 出来なかった。
写真を撮るのでさえ 杖が 邪魔で なかなか。
まして メモをするなんて 無理。

お城のことは これをみて 勉強しましょ。

kochipark.jp/kochijyo/about-kochi-castle/fukan-map

これから 宿へ。

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