四股名 錦 木 が
岩手県出身 だということを しったとき
「 錦 木 塚 」を 見に行った。
車があったころ の話 ’(かなり まえ)
今回 また しらべてみた。
南部相撲ゆかりの 四股名として特筆されるのが 錦木。
初代・二所ノ関が 錦木塚右衛門を名乗っていた。
その後、南部相撲からは
5人の「錦木」が 出ている。
(現在前頭15枚目の 錦木徹也関 も)
しこ名の由来になっている 「錦木塚」というのは
今の 秋田県 鹿角市(旧南部藩領内)に ある塚。、
男女の悲恋の物語が
多くの歌人に 筆を取らせた 歌枕の地。
錦木の 下の名前も 塚右衛門とか塚五郎が多い。
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「錦木塚」の伝説
千数百年前、鹿角が 狭布の里と呼ばれていた頃、
大海(おおみ)という人に
政子姫というたいへん美しい娘がいた。
東に 2里ほど離れた 大湯草木集落に
錦木を 売り買いしている 黒沢 万寿(まんじゅ)という
若者がいた。
政子姫の 美しい姿に 心を動かされた。
当時、男は 女を妻にしたいと思う と、
その女の家の前に 錦木をたてる。
それを 女性が 家の中に取り入れる ……
すると「嫁になる」ということに。
若者は恋した政子の家の前に 錦木を立てた。
若者は、雨の日も、大嵐の日も、吹雪の日も
毎日立て続けた。
政子姫は その様子を見て
若者に好意を抱くようになる。
父、大海が 身分の違いを理由に反対していたので、
錦木が 家の中に取り入れられることはなかった。
(この 下線 のところ 別説 あり)
そのことを 知らない若者は、
あと一日で 錦木が 千束になるという日、
降り積もる雪の中、帰らぬ人となってしまう。
政子も 若者のあとを追い この世を去る。
事情を知った 父 大海 は
二人を哀れ に思う。 若者の亡骸を貰い受け、
千束の錦木とともに夫婦として一緒の墓に葬った。
その墓が「錦木塚」と呼ばれて 今に伝えられている。
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「錦木」の話には、 つづきがある。
また