ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

遺 跡 探 索 ⓷ 恥ずかしがらずに 聞きまわる

2020年03月19日 00時00分14秒 | 金丈丸=赤頭2017~
2016年(平成28年) 発刊の
大船渡市教育委員会資料「長谷寺遺跡」には
3・11の被災者のための 住宅再建の前に 
2013年 (平成25年)に 
ここを 発掘をすることになった、とある。 

右の 左も 向かい側も 立派な 住宅。。

ここで 疑問。
被災者のための 公営住宅公営で あれば
こんな 様々に個性的な形になるとは 信じられない。
発掘が おわったあと、
被災者住宅 以前の 持ち主が 
自前の 家屋を 建てたのだろうか。
まあ これが 本題ではないから 置いといて、

  もうすこし 坂を上ってみよう。

峠状の みぎてに 公民館があった。
車が登って行くので 着いていった。
車を降りた方に 遺跡のことを 聞く。
わからないから 聞いてくる、と 中へ入って行った。
そこへ 徒歩の 方も みえた。
その方に 地図などを 見せて 遺跡を 聞いた。
私が歩いてきた方向の 白い家を 指さしてから、
私の広げていた 資料の裏に 案内図を書いてくれた。

  白い家から 3軒ぐらい 行ったところを 
  右横にはいると おおきな 桑の木がある。 
  そこらへんが 「遺跡」だと。
その案内図に 「桑」と 書き足して 戻った。


数軒行ったあたりで 敷地裏へ 行ってみる。
これは 「桑」じゃないな。それに 大きい とは 言えない。
更に もどる。

さっきの新しい住宅の あたりにいた 方に
大きな桑の木のあるところを 知りませんか、と 聞く。

こっち こっち と 案内してくださった。
さらに曲がる。   大きな木が見えた。

ここらが 遺跡、だと。 
これ 「桑」ですか。 手をいれないと こうなる、のだそうな。

やっと わかった。 1時間 経っていた。

アテルイの時代。
金丈丸が ここで ~~~~。


勉強しなおして。
また 

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遺 跡 探 索 ⓶ 素敵な 住宅群

2020年03月18日 12時00分00秒 | 金丈丸=赤頭2017~
昔の金山「今出山」入口の標識を 左にみて
小さい中井橋を 渡った。 次 小さな神社の鳥居。  
そして 並んで このような 林をみながら 歩いた。
 
ここまで 前回。



裏手へ回る道 見つけた。  ↑  左へ 斜めに はいる。

右手 枝ぶりのよい 桜 ?


道左手。 奥に 桜。 
その右わき。石塔がある。 「長谷寺遺跡」の 標柱かな ?
もしかして、 は 当たらなかった。
 先祖代々の墓。

元の道へ戻る。


右も左も 立派な 住宅地。
ここで
2016年(平成28年) 発刊の
大船渡市教育委員会資料「長谷寺遺跡」を 広げる。    

3・11の被災者のための 住宅再建の前に 
発掘をしたのは 2013年(平成25年)のこと、
だとあった。
 次回へ

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遺 跡 探 索 ⓵ お祝い食は パン

2020年03月17日 00時10分51秒 | 金丈丸=赤頭2017~
誕生日だから 自分の好きなところへ行く、
と ゾウさんが言う。
すこし前の3月生まれの 私のときは 
何もなしだった、よ と 言ったら 
お鮨を ご馳走する、という。

xxxxxxx
ゾウさんが 椿館に いる間に
近くの 博物館へ 行こうかな、と 思って 検索していた。
やはり 「ウイルス休館」になっていた。

長谷寺遺跡は    ↓ 赤い〇 あたり 

それで 「長谷寺遺跡」を さがそうと 計画を立てた。

長谷寺遺跡は ↓ このあたり。

椿館からは 少し 離れている が
夕ぐれ が おそくなった から 
暗くならないうちに 帰宅できるだろう。
まずは 昼食。 
回転寿司屋さんにも 入りそこねてしまった。
遺跡に 近い処の コンビニの パンで すませる。
ゾウさんは 「疲れたから 寝る」と 車の中。
私は 口を動かすのも 気もそぞろに、
杖と 地図 資料を 持って 車から 出た。

まずは 現在の 長谷寺の 方向を 確かめに行こう。
2度 行っているから 間違うことはない。

 
すこし行くと 「大船渡高校」入口の 標識。
それより 大きい標識 「長谷寺」 も 並んである。
今日は そこへは 行かない。

反対方向へ 向かう。
 
中井川を 渡る。 左手を まっすぐ行く。


3・11の 標識。 
「津波 ここまで来た」の 
到着位置の線は見つからない。
湾口から 8・8 km とある。
この女性の家は 波かぶったのだろうか。
しばらく 周囲を 眺めた。



神社、、、 ここを 登ろうと 思った が
かなり 急なようだ。 一人では 不安だ。

神社に 並んで この森がある。
地形を みる。 間違いなさそうだ。 裏手へ回ろう。
xxx 今日は ここまで。


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浜には 春  はる ハル が 来ていた~~~

2020年03月16日 00時39分06秒 | 金丈丸=赤頭2017~
ゾウさん誕生日の 昨日(15日)は ご希望の
大船渡市 「世界の椿館」行きになった。
予定の 8時に 家を出た が 
海辺に 近い地域に なった。 

ゾウさん
道 途中で 花をみつけると 写真を撮るので

なかなか 進まない。

着いた。 10時近くになっていた。



椿館。 ゾウさんは 飛んで行った。

私は 近くの 博物館へ 行こうと 思って  昨夜
検索 やはり 「ウイルス休館」 を 知る。

車の中で 午後にいく 予定の 
長谷寺遺跡までの 道順を 再 検索。
資料 と 地図を 突き合わせる。

それから 読書。
湯たんぽを 温め直して 足もとに置いているが
必要ないくらいの あたたかさ。


右手の 「羊羹合戦」を 読み終えた。
左の 東日本の 震災のはなし 
に 入ろうとしたら ゾウさんが 戻ってきた。
行ったことがない遺跡探し 時間がかかるだろうから 
早く 来てくれるといいな、と 思っていた。

道路に沿って 昼ごはんを 食べるところ を さがす。 
ラーメン も 牛 も ダメな 私の せい
いや 和定食の店では ゾウさんが 入ってくれず、
とうとう コンビニ で パンなどを 食べることになった。
ここから 私の 時間になる。
続きは 次回に。

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勝者は 都合悪いことは 消す

2019年02月12日 18時36分50秒 | 金丈丸=赤頭2017~

アテルイのころ 
気仙に 金の犬の 金犬丸(きんけんまる)という人がいて、
中央に逆らった、と 話してくださった方がいた。
赤頭とも 言った、と。

そのときから 金犬丸 気になって
時間を かけて 調べてきた。。

金犬丸 = 金丈丸 ⁼ 赤頭
大船渡図書館で 探す。
地元の図書館から 貸し出してもらう。

  東北の古代探訪  司東 真雄 
  アテルイと東北古代史  熊谷公男
  気仙庶民史談  西田耕三

地元の 図書館からは
  黄金(きがね)の在処と行方  産金遺跡研究会 
など は 必要な場所を コピーしておいた。
ようやく 読み終えた。
どの本でも
残念ながら アテルイのころに 一緒に戦ったかは わからない。なかった。
文献は すべて あちら側からのもの。
敗者の歴史は 消されたり 
勝者に 都合よく 修正されて (いるように思える) 
腹立たしい。

長谷寺遺跡 平成26年緊急発掘調査報告書
これは 別の観点で 勉強できそうだ。
長いから 気をいれて 読もう。
xxxxxx

阿弖流為がわ 
からのは 小説に 表されているもの が わかりやすい。
「火怨」 上下は よくよく わかった。
逆らった歴史、 これは 気にいっている。

長谷寺遺跡 平成26年緊急発掘調査報告書
これは 別の観点で 勉強できそうだ。
長いから 気をいれて 読もう。
xxxxxx
 
ほかに 
「 まほろばの疾風 」と 「 荒蝦夷 」を 見つけた。
ペラペラと めくってみたが
「 まほろばの疾風 」は
アテルイの相棒・モレは 女性(大巫女)として 描かれていた。
「荒蝦夷」は 呰麻呂と アテルイが親子だ、と。
小説だから 文句は 言えない。
本当に 暇ができたら 読むことにしよう。
マタギの 生活を描いた「邂逅の森」は 途中で やめた。
棚のなかに うずもれている。
最近、筆者は「 芦 東山 」の 連載をはじめた。
きっと 今の 私と 合わないのだろう。
もすこし 年がいったら 読むのかもしれない。
余談が 長くなった。
今日は これで。

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阿弖流為を 知らぬは も ぐ り

2019年02月11日 18時00分07秒 | 金丈丸=赤頭2017~

田植え踊りを 観にいったときのこと

会場に 早めに入ったので
準備しておいた 蝦夷かかわりの本を 読んでいた。
アテルイの 本も 膝に あった。

隣に座った 同年代の女性
「ここでは アテルイを 知らない人が 多いですね」と
話しかけて きた。

   この 岩手で 阿弖流為を 知らないなんて もぐり でしょう。 
   私の 友達は 詳しい人ばかり だけれど……
と 言ったら 

その女性。。。東京から 移住してきて 10年ばかりになる。
いま 滝沢に 住んでいる。
そこで アテルイのことを 話題にしても「 それ何 」と
と 言われるんです。

   それに 対しては 「はあ~~~」としか 言葉がない。

   話題を変えて 滝沢 ?? って 盛岡の方から来たんですか。

いいえ 一関市の 滝沢。

   ああ、大船渡線の 真滝駅の 近くですね。

ええ そこから タクシーで きました。6000円 超えました。
 
    そうでしょう とも。 大船渡線に乗って 千厩駅で おりる。そこから
    タクシーにすれば 半分以下で すんだ、と 思う、、、と 言ったら

地理を知らないから……。
 
     近くの方から聴けば よかったのに。

に たいしての 返事は     憶えていない。
xxxxxxxxxxx

田植え踊りの 舞台はじまる前に 
トイレに いっておかなくては、で 話しは 終了させた。
裏手へ 歩きながら 
   岩手に 10年も すんでいるなら 知人の 一人やふたり
   いるだろうに。。。 なんで 場所 聴かなかったのかなぁ。
   真滝駅から 千厩駅までは 一直線なんだから、
    ああ、ネット検索すれば 即 わかるのに。
       P C やらないのか、な。

そんなことより
阿弖流為について 話をすれば よかった
とか 思った。

友人は アテルイを 知っている人ばかりと 私は
言ってしまった が 
知り合いと いっても ご近所の あの方は 
阿弖流為 しらない かも、、、と。
その他の 数人を 思い浮かべた。
阿弖流為など 歴史の話は 乗ってこない方もいる。
こんど 聴いてみよう。   知らない??? かも ね。

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 「火怨」 気仙地方はでているか 

2019年02月08日 17時12分41秒 | 金丈丸=赤頭2017~
阿弖流為の時代に 朝廷から 派遣された
坂上田村麻呂に 逆らったという
気仙の 金犬丸 = 金丈丸 = 赤頭 を。
その 戦い方を 調べている。
いろいろの本を読んだが、戦についても
何もわからない。 

それでは 小説は どうか。
『火怨 北の耀星アテルイ』( かえん きたのようせいアテルイ)
が 一番だろうと 読みだした。
むかし 読んだ気もするが。




いつもの 家系図を かきながら 読み進んだ。
思い出してきた。 読んでいた。
その時は 目的がなく、だだ 読むだけだった から
いま 探していることは 記憶に残らなかった のだ。

気仙という 地名は 出てきたが 棟梁は
金犬丸 = 金丈丸 = 赤頭 ではなくて 
棟梁 の名前は 八十嶋 となっていた。
   火 怨 の なかでの
阿弖流為 側の 談合の場には 八十嶋は でてはくるが
気仙は 合戦の場には なっていない。
八十嶋の 家来の 光人(みつんど) が 
阿弖流為らの 行く 東日流 (つがる)へ同行する。
そこへ 東日流の 棟梁として
なんと 赤 頭 が 出てきた。

これは 小説だから そいうことも あるか。
さらに 勉強が 必要、、、 だな。



この本は
高橋克彦の長編歴史小説。
平安時代初期の 東北地方を舞台にした 坂上田村麻呂とアテルイの戦いを、
アテルイ・そして 蝦夷の視点から描いている。

『河北新報』など 数紙に 連載された。
1997年1月から1999年9月。 翌10月に発行。
2002年に 講談社で文庫化。
第34回吉川英治文学賞受賞作品。
『炎立つ』『天を衝く』とあわせて、高橋克彦の「陸奥三部作」と呼ばれている。

 天を衝く は 九戸城の戦い
この 文庫版 4冊をよんで
九戸政実に ますます 興味をもった。

炎立つ は 安倍貞任から 平泉に つながるはなし。
おおまかな 内容はわかるが まだ 読んでいない。
単行本 5冊が 本棚で まっている。 

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大船渡 長谷寺  金丈丸

2019年02月01日 23時06分50秒 | 金丈丸=赤頭2017~
12月27日に書いた 
大船渡 の 長谷寺にかかわる 金丈丸について 
だいぶ前のことなので 再度  記す。
それから 調べてきたことを 記す。
xxxxxxxxxxxxx

かな~~り 前のこと
ガソリンスタンドで「カードをつくりませんか」と言われた。
ネームプレートには 金〇〇 となっている。
そして 自分の出身地に 長谷寺がある。
アテルイのころ そこに 
金の犬と書く 金犬丸(きんけんまる)、またの名を 赤頭とも いった。
その人が 中央に 逆らった、と いう。

その時から 「金犬丸」 気になって 気になって。

その後 ネット検索、
犬ではなくて 「金丈丸」だと わかった。
( 調べていったら 金犬丸も あった )
 
疑問は、 
アテルイと 手を組んで 戦をしたのだろうか。
単独で 戦ったのか 知りたくなった。

いままで 20冊ほどの 関係書類を 読んだ。

まとめて 書きたい。 その力が なくなった。
xxxxxxxx

今年になって 2度目の「長谷寺」行きを した。
大船渡図書館へも 参考書を 探しに行った。

それらを 順不同になるが  かいていこう。
今日は ここまで

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犬ではなくて 丈 ・・・・金犬丸 →金 丈 丸

2018年12月27日 17時25分34秒 | 金丈丸=赤頭2017~
かな~~り 前のこと
ガソリンスタンドで「カードをつくりませんか」と言われた。
ネームプレートには 金〇〇となっていた。
カードのことより「河崎の柵の コンさんと 関わりあるか」の方が 気になる。
そんなこと なんで知っているのか、、、という。
河崎の柵の 近くの 生まれなので……。
それが 気に入ったのか
河崎の柵に 関わりのある 
「気仙地方の キン」さんだと、答えてくださった。

その方 自分の出身地に 長谷寺がある。
アテルイのころ そこに 金の犬の 金犬丸(きんけんまる)という人がいて、
中央に逆らった、という。 赤頭とも 言った と。
それから 金犬丸 気になって仕方ない。

ネット検索で、犬ではなくて 「金丈丸」だと わかった。
疑問が 発した。 
アテルイと 手を組んで戦をしたのだろうか。単独なのか。
今年になって 2度目の「長谷寺」行き。
掃除をしていた方が、昔の長谷寺は 赤崎だという。
それを調べればわかるだろう。

ゾウさんが 「椿館」へ行く と 言う。
ついでの「図書館」と 「下船渡貝塚」行きを 決めた。
大船渡立図書館で 
下船渡貝塚遺跡の 発掘調査報告書を 見つけた。
あとで 地元の 図書館から 借りてもらうことにした。
( 内容は また あとで )

そのほかには ないか、と 探った。 あった。

xxxxxxxxx
ながくなるので また。

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気仙地方の寺・貝塚③ 赤頭?。。。金丈丸。。。

2018年05月09日 00時16分35秒 | 金丈丸=赤頭2017~

陸前高田市から 北上して 大船渡高校の前を 通った。 

この景色 記憶がある。

あれ 八阪神社。 あれあれ 長谷寺 だ。

xxxxxxx

先に 帰宅してから 調べたことを 記す。 

2016年9月25日、

えさし郷土文化館の ツアーで ここ長谷寺に 来ていた。

(それで 記憶があったのだ)

その時の 写真 

xxxxxxxxxxx 

長谷寺 に きているのだから

金犬丸のはなしを 聞いていた だろうに

ゾウさんは もちろんのこと、 私も 憶えていない。

どうしてかな ~~~~

この写真の 右方向に 縄文晩期の遺跡があった、

ことを 聞いた 私は 大好きな「縄文」と聞いて

気持ちが そっちへ いってしまった のだろう。

金犬丸の ことを はじめて知ったのは 2014年。

それなのに 長谷寺という 名前を 忘れたのは なぜ かなぁ。

聞いたときに 別の寺を イメージして いたから だと 思う。

もう ボケが はじまっていた ようだ。

xxxxxxxxxxxxx 調べた。

 龍福山 長谷寺 …… 気仙三十三観音霊場第22番札所

岩手県大船渡市 猪川町字長谷堂。。真言宗智山派の寺院。

伝承によれば、

大同年間(808~810)坂上田村麻呂が 東夷東征の際、

気仙地方を支配していた「赤 顔」と称していた「金犬丸」を 討ち取った。

首を刎ねられた「金犬丸」は 埋められた。

その上に 御堂が 建てられ、十一面観音を祀った。

天慶9年(938)に 当時の 気仙郡司だった金氏 が 開基となる。

…… …… 続きは あとで

xxxxxxxxxx

赤 顔 ??? 赤 頭 ではないのか ? 

金犬丸 …… 金丈丸 ? 

xxxxxxxxxxxx

境内には 沢山の板碑、 安置されている。

元の地(赤崎町小田)には まだ 板碑が 残っている そうな。

歴史を 感じに 行きたい ものだ。 

これから 調べておいて、 いつか を 狙おう。

xxxxxxxx 説明の 続き

中世に入って、、、 地頭職であったのは 江刺氏。

寛永2年(1625)に 現在地へ 移転。

宝永2年(1705)に 現在の本堂が 建立。

大同年間(808~810)坂上田村麻呂が 東夷東征の際、

気仙地方を支配していた「赤 顔」と称していた「金犬丸」を 討ち取った。

首を刎ねられた「金犬丸」は 埋められた。

その上に 御堂が 建てられ、十一面観音を祀った。

平安末期の作と言われる如来坐像(カツラ材、一木造)

鎌倉時代作と言われる 十一面観音菩薩立像(カツラ材、一木造、3躯)

が 岩手県指定 有形文化財。

十一面観音菩薩立像、不動明王立像、聖徳太子立像、如来仏頭部が

大船渡市指定有形文化財に指定された。

xxxxx

今日は ここまで 


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