【日本建国史】は河内の八尾(ΙΑΩ)から始まった

『日本(ヤマト)・神話』が創作されたのは3世紀~4世紀頃の事でした…

…【ヒエラルキー構図・図表】(平成24…2013/12/31/火曜・完成)…「元始・日本国家創建図表」…

2014年01月20日 21時15分23秒 | [佐代姫・漂着伝承神社]

…【ヒエラルキー構図・図表】(平成24…2013/12/31/火曜・完成)…「元始・日本国家創建図表」…



…ハングル(朝鮮文字)は対馬の【阿比留文字・楷書体】をパクリ(盗む)創制(製)した文字で在る  
2013-12-08 00:32:48
テーマ:[元始・ヤマト言葉の環境考察]


 ♯ハングル  …そもそも…「ハングル(現在の朝鮮文字)」とは、古代、我が日本国の対馬に伝へられた【対馬・アヒル文字】(物部氏族文字)をパクリ(盗む)、朝鮮の下層の人達用にと作り替えられた文字で在る。

…【対馬・アヒル文字】とは、落合直澄(著)『日本古代文字考』に因ると…「天児屋根命之真傳也」。「対馬國【卜部・阿比留氏】内々傳之可秘秘秘焉(奥書在り)」…等と、又、別の奥書として…「一本云右(阿比留47文字を記せり)神世文。中古所謂肥人書也」…等と記述されている文書が、其の、我が国の神代文字の一種の中の【阿比留文字】で在る。

…然るに、私の家(手元)には…『神伝鹿占秘事記』(国選択無形民族文化財)のコピーが(9枚)存在するが、其の内訳とは…

【①鹿胛骨裏面小占兆〈找?〉畫ク図式の秘事】(1枚)…鹿骨に太線を以て2個の【ト】的記号が逆さで上下に組み合わさったような形状(直線)の、其の中心から少し上の所から右線が、乃ち、【┣ の形】に。そして、中心から少し下の左の所から線が左に、乃ち、【┫の形】に。此の形状の双方が上下に繋がった形成る太線が鹿骨に記された形状に対し、「ウラカタ・マチカタ」として「①裏表)」、乃ち【秘事…マチ(町 ? )カタ】と、読むぺしと記している。

【②鹿ト胛骨占兆方位図式の秘事】(1枚)…鹿骨に【┣ & ┫】の形が上下に組み合わさったような太線(上記の説明に同じ)が鹿骨に書かれ、其 の太線の中心と上下(上を北・下を南とする)の線頂に対し、「北・南」の方位を定め、又、左右の線先部分に対しては「東・西」の方位を定め、中央に対しては「タメ」の聖句を定め、【②方位図式の秘事】と成すが、つまり、其の方式は…《【斗(ト)は北】・【穂(ホ)は南】・【加美(カミ)は東】・【江美(ヱミ)は西】・【多米(タメ)は中央】》…の「四方位・中央」の「5つ」と成すが、元来、「ホツマツタヱ・別伝」の【フトマニ・図式】では「8文字神」として配置されていたので在る。それが、後年に於ける漢字導入の政権時代に至って、其の漢字に書き替えられる時、無理矢理、「四方位と中央の配置図」的に纏められ、間違った配置図式に書き替えられているのであります。

…因みに、此処に掲載した「ホツマツタヱ・別伝」に言う【フトマニ図表】に於いては、其の図表の外側から3番目の【輪】の中には…《【ト(斗)】・【ホ(穂)】・【カ(加)】・【ミ(美)】(4字)》…&…《【ヱ(江)】・【ヒ (美)】・【タ(多)】・【メ(米)】(4字)》…と【幾何学的形状文字】(秀眞文字・計8字)で配置されていて、此の配置図が正しい配置方式で在ります。然るに、対馬の『神伝鹿占秘事記』には、更に間違っている処が有ります。それは、元来、【ト・ホ・カ ミ・ヱ・ヒ・タ・メ】(ヱヒがエミに替わっている)であった。而して、古代、宮中の伯家神道(白川神道)に【フトマニ】が伝わる時、其の【フトマニ図式】は既に間違った方式に替えられていた可能性が在ります。 

【③鹿ト胛骨占兆名目図式の秘事】(1枚)…上記と同じ線と漢字(斗・穂・加美・江美・多米)が、鹿骨の同じ部分に配置された文字を以て、それぞれの字意に対しては、【勝・敗】に関する意訳が書かれているが、而して、其の…「勝敗無き」…に対しては中央に位置する【秘事…多米(タメ)】の字義が間違った図式で記されています。 

【④鹿ト胛骨占兆内外図式の秘事】(1枚)…上記と同じ太線が書かれ、其の縦線の中心を境に、右側には【秘事…内】。左側には、【秘事…外】と書かれている

【⑤神壇祭式図の秘事】(⑤の1枚目)…一ツの板の台には4ツの【榊】が置かれ、手前の二ツ目の台(同じ大きさの台)の右から最初の皿(平瓮の意)には【魚】を。次の皿には【菜】を。次の皿には【モチ(餅)ヒ】を。最後の左端の皿には【ミキ(酒)】が秘事として配置されている。そして、其の二番目の板の手前には、右から【水入り碗】が。其の左には【口先細器(太い徳利的形状)の鑚(サン)火入り容器】が。其の左には【ハハカ(波波加)木が4枝】。一番左側(4番目)には【サマシ(覚し)竹】が秘事として配置されている。そして、一番手前の中央には、高杯(タカツキ)的な板材作られた台の上に【鹿胛骨】が配置された図が描かれている。

【⑥板秘事】(⑤の2枚目)…「⑤の1枚目」に記された事(秘事的配置)の、各々の中の【4枝(波波加の木の枝)】に付いて、乃ち、【波波加木】(ハハカのキ)の種類に付いての説明が記されている。

【⑦木と名前の秘事】(1枚)…此処に掲載した【フトマニ・図表】(ホツマ・別伝)の、其の図表に秘められている「太祝詞事」に行く前の段階に行わなければ成らないのが【鹿胛骨・神事】で在る。其の祭事用具(鹿胛骨)の伝承者の系譜と其の御名(印)が此処には記されている。其の系譜と御名とは…【天津兒屋命十一世孫雷大臣○?八十一世神裔・対馬卜部正統同國下縣住・齋藤延種謹誌(文字印)・元禄十丁五歳十一月吉旦(捺印)】と記されている。
…【注】→…《「○?」の部分は、辞書にも無い文字(つまり「倹に人偏が無い形に近い文字)…尚…【注】→「?○」の部分は、パソコンでの抽出が出来ない古字、及び、読めない文字の意です》…以上。

以上、私の手元に置いている合計【七図・9枚】のコピー図は、或ツテを通じ、「榛名町般若坊…宮昌輔氏(故人)の方の所蔵資料の中から発見集録されたもの」で、関東の【貫神社】の「フトマニ図」と記されています。

…上記に記した【鹿胛骨…フトマニ】の【マチ(町)ガタ】の形状、乃ち、「┣」、「┫」等の形状の起元は、「町形」の形状に起元を有す。因みに、「町形」の形状は、乃ち、「条里制に用いられた地割り」(一里…6町)の形状にも関連する。つまり、其の条理に用いる形状の段階を一回り小さくした形(1町…10反)の中に生み出された形状的な図用いて、文字記号(町)が作られたとされ、其の文字記号は、「母音・子音」の意が与えられた。然るに、左右(横書)に組み合わせた方式は横文字として。又、上下にの組み合わせは縦書の文字と成り、神代から続くとされる【天児屋根・マチガタ文字】(占い文字)は、「タケヒト(後の武天皇)の東征を以て」(勝利)を以て、即位(神代暦58・サナト年)以後、つまり、此処を基点に我が国の国家暦が始まるが、其れ以前の神代時代に於ける、ウマシマジ(母は忌部系譜)の処遇に対しては、其れ迄の「タカクラシタ・ヤヒコ」が統括していた【物部職】が与えられ、此処が【物部氏族】の起元と成る。

…【物部氏族】は、【マチガタ文字】の楷書体を多々使用する事で草書体(クサモジ)を編み出した。然し、後年に於いて蘇我氏との「神仏争い」に敗れ、秋田に逃れた後の「物部文書」は秘密裏に伝えられ、【物部文字】等としての名称も隠され続け、近年(昭和58年)に成って始めて公開された次第で在るが、そう言う訳で、其の書体の文字は江戸後期迄は【肥人文字】として伝えられて来たので在る。

…因みに、戦後、公にされた『物部文書』に記されていたのが【物部文字】で在が、此の【物部文書】が世に出る迄(昭和58年以前)は、江戸後期の「平田篤胤大人」が命名した「ヒフミ文字」、及び、「阿比留草文字」(対馬にも存在した)等と呼ばれていた。然るに、此の【字阿比留草文】(アヒルクサモジ)の命名者は、江戸後期(18世紀)の国学者【平田篤胤大人」で在る。何故、此の文字が【阿比留草文字】と命名されたのかと言えば、【肥人文字】、つまり、『釈日本紀(ギ)』(卜部兼方・懐賢…弘安九・1286年の奥書有り)に記載されている記述に起因するが、其れは、「天平七・735年」の『日本紀(ギ)』の講義に於ける質疑応答の事が記載されている文中に、此の【肥人文字】の事が記載されていて、尚、其れから10世紀程の年月を経た江戸後期に於いて、ヤット、「平田篤胤」が、此の【肥人文字】は、【阿比留文字(ヒフミ文字)・楷書体】が草書体文字(クサモジ)に変化した文字で在る事を突き止めたので在りました。従って、其れ以後を以て、【アヒル・クサモジ】と呼ばれる由縁で在る。 

…「文献的【物部・クサモジ】の初出」は、「天平七・735年」(『日本紀』講義の年から14年後)の事として、乃ち、孝謙天皇期「天平勝寶(749年)」の年号が記載された文書が奈良で発見されていて、其の文書の【銅印】として【物部文字】が記されているのが初見で在る。つまり、其の文書には【肥人文字・捺印(銅印)】が記されているので在る。然るに、此の草書体文字が奈良時代頃に存在したとすれば、其の年以前、乃ち、奈良時代以前、此の草書体文字は、楷書体文字、乃ち、【物部・楷書体文字】が存在していたと言う事と成る。然るに、其の楷書体文字の原点とは【天児屋根・フトマニ文字】で在る。此の文字は、古代対馬にも伝えられていて、十五世紀(1443年)に於ける「対馬の宋貞盛」は、「朝鮮の圧力に押され、李氏朝鮮と属州的交易条約を結び」、其の年の12月に訓民正音(朝鮮文字)が創製(28文字)されたので在るが、尚、それから3年の年月を経た1446年に此の訓民正音(諺文…朝鮮文字)が領布(配布)された時は、【対馬・阿比留文字】の楷書体様式の記号と其の構造が「パクられた」(盗まれた)て創製された構造字形、乃ち、【対馬・阿比留文字】の字形構造に酷似した文字体系に成っていたので在る。従って、其の文字体系を成す ♯ハングル は、我が国の神代文字(阿比留・楷書体文字)をパクッタ(盗む)事が明らかで有ることに間違いは無い。

( http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11416358271.html )…のブログ(【神代文字(神名・字)…捺印】の存在』)は、此処「 http://amba.to/11dbR14 」をドラッグして検索すれば…「物部文字・銅印」(孝謙女帝時代)…の記事ブログが読めます。

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2 コメント

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日本人の聖書『秀眞伝』 (秀真 太郎)
2014-02-12 14:30:25
…こちらこそ宜しく御願いします。此のブログは、「Ameba Blog(アメーバ ブログ)」の中からコピーして貼り付けた文書の一つです。『秀眞伝』に関しては、「Ameba Blog(アメーバ ブログ)」の「秀真(ホツマ) 太郎のブログ」の中で、其の気になる処を抽出して書いている次第で在りますが、「4000文字」以内で書くには無理が在るので、最近(今年2月始頃から)、「パブー電子書籍」を利用して、或程度の一貫性を持たせる文書(無料・執筆中…非公開)を書いている次第です…宜しく…
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物部氏について (豊島 寛)
2014-02-12 13:44:11
ブログを拝見して感動いたしました。
秋田の唐松神社(63代物部長仁宮司)の近くに在住
しております。
5年前から不思議なご縁で、唐松日殿山の元宮の掃除
と祝詞神事を続けてまいりました。
3年前、我が家押入れから明治に書かれた物部氏の掛け軸が突然現れ、それから宮司さんとも深いご縁を頂いております。
2年前に「ほつま」の古文書に巡り会い、今東北の地の
古代歴史の検証をしております。
今春、「ほつま」記載の豊受大神が禊をして天照神の誕生を祈願した鳥海山鳳来山に登ります。
今後、なにか情報がありましたらぜひお教えいただきたいと望んでおります。
フェースブック、アメブロやっております。
マイトレで検索いていただければご覧になれます。
突然のコメント大変失礼いたしました。
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