【日本建国史】は河内の八尾(ΙΑΩ)から始まった

『日本(ヤマト)・神話』が創作されたのは3世紀~4世紀頃の事でした…

日本建国元年は「幻の西暦1年目」だった!

2024年08月17日 17時07分25秒 | 日本(ヤマト)建国元年は「幻の西暦1年目・辛酉」
★『日本書紀』の底本である『ほつまつたゑ』の基本の全てが、太占図(ヤマト言葉の基本48文字配置図)に組み込まれています。
★子の事に付いては今から四年前~2020年6月28日のFacebook「 秀真伝(ほつまつたゑ) デスカッション・グループ)への記事として~「数価236の秘密が解れば総ての謎が解明出来ると、タルムード(口伝文書)に記載」として、既に説明しています!
太占図の中心「ア.ウ.ワ数価370」は天御中主の語元として。その「トホカミ.ヱヒタメ」の秘儀数価(三角数)「848」の中の【58】は、暦のヱト(兄弟)数価として。尚、その数価は、日本のカミ(上の意)の語元として。そしてそれは神武天皇の即位元年(天鈴暦58年)の時として設定されました。因みに、神武天皇即位元年(幻の西暦1年目.辛酉)は、ユダヤ大地震年(ヘロデ王の第7年)からGodエロヒム数価の31年目として。その神武天皇から景行天皇崩御年迄の在位通歴790年を合せれば天鈴暦の終焉年数価「848」として設定されました。因みに、日本の国土形成文言オノコロの語元数価は、神武天皇から景行天皇の崩御年迄(在位60年)の数価を語元オ.231+ノ.300+コ.253+ロ.6=790として取り込み設定されました。
因みに、ヤマト言葉を構成する母音アイウエオは、ギリシア語のアエイオウの並べ変え。従って、ヤマト言葉のルーツに当る古拙期ギリシア27文字カバラ数合計2600と、イオニア式24文字の三角数合計4995を合せた数価【7595】に対し、Godエロヒムとの接近数「236」(タルムード)を乗算し抽出した数価179萬2420と、ユダヤ民族の大開放年とするヨベルのヨベル年明け50年数価を合わせた数価「179萬2470」を抽出し、年数に変換。そしてその数価は天照大神(幼名ウヒルキ)の生誕年(三百萬はミモロの語元/天鈴暦300萬年-179萬2470=120萬7531年/21鈴125枝31穂)として設定し、天照大神の誕生年から反逆者の長髄彦討伐開始年(甲寅/紀元前7年に当る)迄の年数として設定されました。😀
 
太占の祝詞歌128数価は、太占図を八分割した図形の形状(ソムヨロヤチ/16×8=128は太占の祝詞歌数価・ホツマ14章)を数価八千(八衢の語元)の意として合算(128+8000=8128)し、紀元前迄に既に発見されていた完全数(ピタゴラスが発見「6・28・496・8128」の第4番目「8128」(6と28は既に旧約聖書に取り込み済/496は開化天皇即位年として取り込む)として取り込まれた。そしてその数価は、ギリシア語訳聖書に記すノア昇天年数価2242を合せ(8128+2242)て抽出した「1萬370」の中の「370」は、言葉を司る「ア・ウ・ワ=天御中主」の語元数価として分離し太占図の中心に配置されました。残りの【1萬】は、エノク書21章5~6に記す~「1万時代が巡って来て、彼らの罪の日数が満迄である」ノア期の大洪水に関連す)~とする意(罪の年数の消滅/ノア期の大洪水に関連す)を以て、極東列島に於ける新たな国家創建構想数価としました。
その1萬数価は「1萬枠・物語」旧約聖書のヨブ記も枠物語とされるとして設定(アダム~ノア迄の生涯年計8575+Godとの接近数236=8811+ヤマト言葉助詞テニオハ語元数価1191=満1萬1はヨロヅの語元数価とする)。つまり、その最後の数価「1191」(ダニエル書5・24~25/宮中に突然現れたGodの手先文字・メネ.メネ.テケル.ウパルシン文字のカバラ数価1191)が、ヤマト言葉の助詞テニオハの語元数価です。又、ユダヤ大地震年(ヘロデ王の第7年)から31年目に当る神武天皇即位元年(西暦元年)に始まり、景行天皇崩御年迄の在位通歴年)数価として設定。残りの「370」(天御中主数価)は、天界との交信教義(神社の鳥居と千木を介す教義/師走・大晦の祝詞はpentēkostē ・ペンテコステの模倣)数価として設定されました。
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神輿(ミコシ)のルーツはユダヤの移動式【契約の箱】!

2024年08月06日 00時39分58秒 | 国称「ヤマト」の語元

神輿(ミコシ)のルーツはユダヤの移動式【契約の箱】!

神輿(ミコシ)の語元は峰越。それは、ココリ姫(菊理姫)が住む白山峰を越す乗り物(峰越)であり、その乗り物は、白山姫の孫アチハセが造ったと記す(ホツマ24章)。

つまり~越えのネの国(ココリ姫=白山姫の国)、アチハセ(白山姫の孫)が、峰越(斜めにならず/前後の担ぎ棒の高さを変えていたと考えられる)ささぐ~と記されています。然し、そのルーツは、古代イスラエルの契約の箱(移動祭祀所=幕屋の中に置かれる小さな木造の至聖所)に起因する。

ホツマ15章)~ココリ姫(菊理姫)、語れる事は、床立の、八方お巡りて、西の国、黒祖の罪テ、カに当る、名もアカガタ(赤縣神州・神仙の住む崑崙の地&金沙江付近~/崑崙山に発す長江上流地)の、トヨクン(豊君)ヌ、世々治むれど、年を経て、道尽きぬるお、ウケステメ(受棄姫=西王母)、根の国(北陸)に来て、タマキネ(玉杵)に、良く仕ふれば、身にこたえ、ココリ(白山姫)のイモ(妹)と、結ばせて、山のミチノク(道の奥/北陸地域?)、授けます。喜び帰る ★ウケステメ(西王母)、コロヒン(崑崙)君と、チナミあい、黒祖の積もる、御子生みて、西の母カミ(ウケステメ=西王母)、また来たり。

★~「ウケステメ」(受棄姫=西王母)とは紀元前500年頃の事として(竹簡書/穆天子伝)、穆(ボク)王が西に巡狩して崑崙に遊び、西王母に会って帰るのを忘れたと言う事が記されている。そして、そのホツマ時代(1世紀中頃~4世紀終り頃/仁徳天皇時代頃迄)の我が国には◆「蚕の絹」の織物が生産されていました。

◆~「蚕の絹」とは、白山姫は、産湯なす、カヒコ桑に、引く糸お、ナツメが織りて、ウブ絹の、ミハ(御衣)奉る(ホツマ4章)。 


何故、物部氏族(斑鳩に天降御座された天忍穗耳の子孫)が斑鳩(奈良県)から八尾(死海文書の断片文字・ΙΑΩが八尾の語元)へ移り、その地を居住地としたかと言えば、天忍穗耳の部下だった長髄彦(謀反を企てた)の討伐を、筑紫(九州)の宮崎を統治していたタケヒト(神武の幼名)に命じたのは八尾を居住地としていた大祭司AL(アラ)ヒトだったからだった。つまり、その後の政権をタケヒト(後に言う神武天皇)に譲ったからである。そしてその後のアラヒトは丹後方面(大江山の鬼退治伝説に関連す)に移住しました。

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