【日本建国史】は河内の八尾(ΙΑΩ)から始まった

『日本(ヤマト)・神話』が創作されたのは3世紀~4世紀頃の事でした…

【卑弥呼】のルーツと【ヤマト】の語元を解明しました!

2024年11月24日 23時26分29秒 | 卑弥呼の系図とルーツ
「卑弥呼】のルーツと【ヤマト】の語元を解明しました!
 
(紀元前2年)「復立・伊存」⇨(後年の魏略)のルーツとするのが「世襲二代目の復立・卑弥呼=世襲足」(国宝指定・我が国最古の尾張氏系図に記載在り)。
三国志『魏略』(前文略)~前漢の哀帝元寿元年(紀元前2年)博士弟子、景盧受、大月氏(ダイゲッシ)王使「伊存」口受(口伝)、浮屠経曰く復立者其人(伊存)也」(後文略)。   
★「橘=トキジクのカグのコのミ」(非時香果)のルーツはレビ記23章40節に記す「美しい木の実=エトログ」の事でした。そのルーツは、世襲二代目の卑弥呼(世襲を意味す呼称=世襲足姫)に関連します!😀
レビ記に言う「美しい木の実」とは、ヘブル語(אֶתְרוֹג)のローマ字表記【E(a)TRG】(エトログ≒シトロン )の事。その最初の二文字「エト」に対し、ヤマト国の創建者(復立・伊存=後に倭国の王となる人)は「兄弟=ヱト」と言い換えヤマト暦を作製しました。
つまり、エゼキエルの預言(極東崇拝思想)に従って極東列に移動し新たなヤマト暦(天鈴木読)を設定するに当たっては、その木読(暦)の中に60進法【ヱト=兄弟】(十進法的な干支ではありません)を組み込みました。何故かと言えば、レビ記に記す「美しい木Etrg・エトログ」の「エト」を「兄弟・ヱト」と言い換えて語元としたからである。又、柑橘類エトログに対す秘儀数価は三角数(俵積算/発見者BC6世紀のピタゴラス)に因るヤマト式カバラ数価は364であり、それは脱ユダヤ教思想のクムラン秘儀教義宗団(紀元前31年に大地震が襲い宗団集会所が破壊された/死海文書は1947年にクムラン洞窟から発見)が使用していたカレンダーの1年364日と同じだった。従って、クムラン祭祀1巡「294年」数価を用い、我が国の国称は「ヤマト」(276+15+3=294)と命名されました。
因みに、ヤマト暦=天鈴暦(ホツマ暦)は~「1ケ月30日×12ヶ月=360日+宮(神社の修理を含む)清め5日間=365日」として、その宮清めは「坐摩(ヰカ=五日スリ)神社」(大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺に在る神社)に関連します。つまりその木読(暦)は、極東列島に於ける新たな国の暦として作製され、尚、柑橘類エトログ(シトロン/仏手柑・ブシュカン)に対し、我が国の創建者は【時軸(兄弟暦数60は時間の単位)の香具の木の実」(非時香菓)と呼びました。そして、それ迄の小国連合体制に対し崇神天皇12年(ホツマ34章/日本書紀・崇神12年条)の時として、即ち~「肇(初)国知らすミマキ=崇神の代」とミコトノリ(詔)を発し、統一国家の国称を【ヤミト】と命名しました。
 
 
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