神輿(ミコシ)のルーツはユダヤの移動式【契約の箱】!
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つまり~越えのネの国(ココリ姫=白山姫の国)、アチハセ(白山姫の孫)が、峰越(斜めにならず/前後の担ぎ棒の高さを変えていたと考えられる)ささぐ~と記されています。然し、そのルーツは、古代イスラエルの契約の箱(移動祭祀所=幕屋の中に置かれる小さな木造の至聖所)に起因する。
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(ホツマ15章)~ココリ姫(菊理姫)、語れる事は、床立の、八方お巡りて、西の国、黒祖の罪テ、カに当る、名もアカガタ(赤縣神州・神仙の住む崑崙の地&金沙江付近~/崑崙山に発す長江上流地)の、トヨクン(豊君)ヌ、世々治むれど、年を経て、道尽きぬるお、ウケステメ(受棄姫=西王母)、根の国(北陸)に来て、タマキネ(玉杵)に、良く仕ふれば、身にこたえ、ココリ(白山姫)のイモ(妹)と、結ばせて、山のミチノク(道の奥/北陸地域?)、授けます。喜び帰る ★ウケステメ(西王母)、コロヒン(崑崙)君と、チナミあい、黒祖の積もる、御子生みて、西の母カミ(ウケステメ=西王母)、また来たり。
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★~「ウケステメ」(受棄姫=西王母)とは紀元前500年頃の事として(竹簡書/穆天子伝)、穆(ボク)王が西に巡狩して崑崙に遊び、西王母に会って帰るのを忘れたと言う事が記されている。そして、そのホツマ時代(1世紀中頃~4世紀終り頃/仁徳天皇時代頃迄)の我が国には◆「蚕の絹」の織物が生産されていました。
◆~「蚕の絹」とは、白山姫は、産湯なす、カヒコ桑に、引く糸お、ナツメが織りて、ウブ絹の、ミハ(御衣)奉る(ホツマ4章)。
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何故、物部氏族(斑鳩に天降御座された天忍穗耳の子孫)が斑鳩(奈良県)から八尾(死海文書の断片文字・ΙΑΩが八尾の語元)へ移り、その地を居住地としたかと言えば、天忍穗耳の部下だった長髄彦(謀反を企てた)の討伐を、筑紫(九州)の宮崎を統治していたタケヒト(神武の幼名)に命じたのは八尾を居住地としていた大祭司AL(アラ)ヒトだったからだった。つまり、その後の政権をタケヒト(後に言う神武天皇)に譲ったからである。そしてその後のアラヒトは丹後方面(大江山の鬼退治伝説に関連す)に移住しました。
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…【ΙΑΩ】(八尾市の語元)に始まる【日本建国創建史・発信会】より~
…古代に言う我が国の新年とは、旧暦の「立春=正月」(今年は2月4日・水曜)の事でした。従って、その前日が神道行事に於ける大晦日の【オニヤライ】(節分の鬼追祭/三笠文書・https://gejirin.com/mikasa09.html)行事、及び【注連縄】と【門松】が設置されました。因みに【春の七草粥】行事は、現在に於ける西暦年の正月(此の時期は冬の真っただ中に当たる)行事ではありません。つまり、此の行事も日本固有の行事であり、その始まりは日本(ヤマト)国家創建時に設定されていました。それで、その行事の事が書かれた文面を抜粋して次に記す事と致します。
※…以下『三笠文』(嘗事のアヤ)…
★…ツキスミの志賀の命が兄弟(ヱト)のカミ(上)、ト(弟)より祝詞の故を請う。彼にトヨケ(豊受)の嘗(ナメ)事ぞ。兄(ヱ)の嘗はネ(北)に霜の中(11月中旬)、ヒウ(1鵜)を招けばヒツメ(日詰)カミ(上)、舵をネ(北)に引き日を向かう。此の初嘗は今のノト(祝詞)。コホシ(九星)祭て、をめくりに、黒豆ヰヒ(飯)のチカラソウ(力沿う)。シワス(12月)、ハ(地)に満つ、木は根ざす。なお空寒く月末は、カヰ(戎?)皆競い、やや開く。未だ空寒く、潤えず。やや嘗造る、ハニ(地・埴)水の、ヱ(縁)に柱立つ、カミ(God=YHVH/ヤハウェ)形(Y)。年分け(大・ミソカ=30日/旧暦12月30日)の夜の豆を煎り、皆、【鬼やらう】(追儺)、カ(日)を開き。「閉め引き塞ぎ」(注連縄)、生えユズ(諭り葉)の、麦に年越へ~
★…【ヒ】(最初)の嘗は、ツサ(西南)にイナサ(東南風)の初日(正月・初日)より、フウ(2鵜)をヤワ(柔)せて、オケラ(朮/菊科の多年草)焚き。ワカメ(若女)水汲み、シトキ(粢)餅。マガリ(鋺)、カヤ(榧)、栗、ウナ(畝菜)ところ。香ぐ芋、カシラ(親芋)、【シム】(300=カミの御霊)の拠り。
★…弓月の夜はヰ(井戸)の水に、ヌエ(萎)アシモシ(葦茂し)が、ガダ(怠慢)汚穢を。…①ゴケフ(御形)、②ハコベナ(繁縷)、③イタヒラナ(仏座)。④ススナ(蕪)、⑤ススシロ(大根)、⑥スセリ(芹)、⑦ナス(薺/ナズナ)。「ナ・ミソ」(7・30)に除く芽をオエ(生え)ば、餅の明日は、ヒモロゲ(神籬/神事の祭祀)の、アズキ(小豆)の粥にヱヤミ(穢病)除け。ササオケ(酒桶)トンド(左義長)、カミ(上/God=ΙΑΩ・ヤオ)在りの、粥【フトマニ】(太占)や。
★…キサラギ(2月)は、芽をほぼ柔し、兆しおふ。種貸祭るヰ(稲荷)成るカミ(上)。乗り弓(騎射神事=流鏑馬)開き、モチ(望月)迄に、そこに吹き立つ初日風。此れカミ形。
★…【タ】の嘗は、ミウ(3鵜)のア(始)を受けキサラギ(如月=2月)の、中よりミウ(3鵜)の目をヤワ(柔)せ、人、草、育つイト(糸)、イウ(木綿)ぞ。弥生(3月)の始め、桃、柳。ミキ(酒)、ヒナ祭(雛祭)、ヱモギ餅(蓬餅)。タミ(民)、苗代に種を撒く。弥生中(3月中旬)より陰ろいて、苗オイ(生)育つ輪の中に、ミヒカリ(三光)のアシ(葦≒Y=ヨッド/yod・ iod・ jod~ ヘブル文字)、中に満つ。此れカミ(Yahweh)形(輪の中のY字形)。
★…【メ】の嘗は、鵜目のヰも水、ウツキ(5月)より、ウヲ(魚)を招きて夏を告ぐ。ミハ(御衣)綿抜きて月中ば、サ(夏)開き祭るヰ成(稲荷)るカミ(上)。末は葵のメ(女性)を祭、サツキ(5月/皐月)に諸葉成るツユ(露)を、嘗んとエモギ(蓬)、アヤメ(菖蒲)吹く。サツサはイワタ(岩田帯)、ノリ(祝詞)はヰヰ(端午・5月5日の節供)。皆、そこに付すメ(Y)の情け、此れカミ(God)形(輪の中のY字形)。
★…【ト】の嘗は、ハニミツ(埴水)閏ふ皐月中、光通ればカツメ(日詰)カミ、道を返してヒ(秘/非)を乞えば、御曳を招きシラミチ(白道)の、姫を下してハ(地)に伏せば、競い上りてサミダル(五月雨)る。青葉茂れば永らえの、夏のカ(香)お受く水無月(6月)は、ややハ(地)に満ちて戦えば、雷熱く末は尚、暑く乾けば桃祭。競い止むれば姫開く、ホゾチ(臍地)、チ(茅)の輪に抜けつくる、ミナ(6月/水無月)の祓いぞ。カタチ、ケタ(形桁/四角)、ア(天・始)のマテ(左右)の意の中に立つ。国タシ(治)成るるカミ形。ホのカミ常に嘗受けて、ハ(地)のフメ(生芽)モリ(守)て、アフミ(7月=文月)マス(座す)、フメ(生芽)に柔して風と為す。弓張(上弦の月)にウム(績む)イウ(木綿)と麻、ヲトタナハタ(乙棚機姫)の星祭。モチ(望月=満月)は御親とイキタマ(生魂)に、胞衣のハ(衣)透けて、メヲ(夫婦)会えば、仰ぎ踊りて意を受くる。ホツミ(8月)初日(8月1日)は受け回り、フメ(生芽)立つ風に、カヤ(茅・萱)を伏す。伏し荒れ、ノワキ(野分)、ゾロヲエ(連なる汚穢)は、シナト(科戸)祭に野分打つ、ホヲ(穂汚)の祓いぞ、カタチハニ(形・地)。フハシラ(二柱)立てて、むつまじく、此れカミ形。
★…【カ】の嘗は、ア(天)の明かりモル(守る)、ホツキナカ(8月中)、ミメに研ぐ月、芋の子の、サワ(多)を祝いて、ナガツキ(9月)は、大年告げるココノミハ(99の御衣)、重ねココクリ(菊栗)、ヒトヨミキ(一夜酒)、小望月には豆を添ふ。望より寒る、ヲカ(御日)祭。マトカ(円)の中のミハシラ(3柱=太占…ア・ウ・ワ)は、カ(彼)のカミ形(アメノミナカヌシ)。
★…【ミ】の嘗は、そのメ、タエ(妙=布)にて、カミナツキ(10月)。ウメ(鵜目)、退けて、シグレ(時雨)なす。ややそこに満ち、ヲ(雄)お尽くす。彼、ヲヲナムチ(大己貴命=大国主/日本書紀)。カナツキ(10月)に、ヌルテ(白膠木)を焚きて、諸カミに、モチヰ(餅・飯)施し、シモツキ(11月)は、やや目が昇、霜柱。ヒラキ(柊)、初草、蕾さす、ハニ(地)より風の人意立つ。此れカミ形。
★…ヒトセ(1年)此れ、ヱト(兄弟)にはんべるミソ(初期の倭暦は1ケ月30日/残り5日は宮清めで暦日に計算されない/5日…ヰカスリ=座間)のカミ。日々に変わりてムソカモル(60日守る)。ムワの嘗事ウツロヰ(ヰカスリ…5日に関連する)の、年越えセマエ(世前)、大晦日。初ムカ(6日)ソヨカ(14日)、サ(5月)のミソカ(30日)。スヘヒトセモル(総1年守)、嘗事ぞ是。斯く兄弟(ヱト)の、【ト】先の故は、アメ御親、ノリ(祝詞)して【ヱ】カミ、フユノモリ(冬の守)。【ト】カミは夏のゾロ(農作物・穀物)をモル(守)。長く人草、潤せば、カミになぞらえ【ト】のタマ(魂・霊)に、名付く【ヤマト】(Qumran祭祀・一巡年数価294を語元と為す)のノト(祝詞)ならば、今、サラカミ(新カミ=ΙΑΩ/八尾市の語元文字)のミコトノリ(詔)。受けて定る道説けば、シガオチコチ(滋賀命・遠近)の モモツカサ(百司)、皆、フミソメ(文染め=文書を書き写す)て帰る此れかな 。
以上…散逸書の中の【日笠文】(嘗事のアヤ)を記す~
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…【街中の達人】(登録/八尾市教育委員会 生涯学習 スポーツ課)!!
…区分項目【文化・歴史伝承】(八尾市史/九・光正寺文書…竹淵郷社縁起)…
★「日本国家とヤマト言葉(国語)の始まりについて」(死海文書断片文字・ΙΑΩ=八尾の語元に始まる日本誕生)!!
★… 日本の国語…【ヤマト言葉・設定方式】の伝承者育成(天地歌=アワの歌・ギリシア・イオニア式文字配列図表作成済)~
★… 謎【日本国家】、及び、国語【ヤマト言葉】の設定者は、浪速の河内湖に流れ込む渋川(シフ=ゲマトリア数価 350・川/ヤマアト川=日本神話設定起点数価・350)地域一体を居住地と定め、尚、創世記(BRASIT・ベラシトは命の語元文字)のGod【ΙΑΩ=ヤオ】(レビ記断片文字・天地創造主ALHIM (エロヒム) の別称/八尾市の語元文字)を祀ったサドク系大祭司の【アラ(AL=31・和歌数価)ヒト】(世襲/ホツマ伝・33章)でした。その謎解きの鍵は、『八尾市史』の【竹渕(タコチ)郷社縁起】(巻上第三段迄)です。その【タコチ】とは、【置・千木】命名以前の呼称であって、ゲマトリア数価言語【タコチ】(400+600=チΠパイ1000/ΠはAttica)式…ΠiΠi の頭音文字で死海文書…断片文字)を語元とする器具形【Χ】(xi=数価千)的物体を設置し、尚、祝詞文言に因る天界【高間(タカマ)の腹】(空海開祖真言密教・胎蔵界の語元/空海の母方は物部氏系)との交信が行われた。然し、当時(紀元前3年戊午/反逆者・長髄彦討伐4年目)の先住者達は【タコチ】(漢字表記は竹淵)の語意が理解出来ず、漢字では《多迦(高)・不知》(チ=千の語意が解らない意)と表記されました。
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★… 我が国固有の民族信仰【神道】(カンナガラの道)。そのシンボル的【ヤシロ】(社)の屋根に、交信器具【Χ】(xi)を設置するを以て、始めて【千木】と命名されました。その、我が国最初の社の建立(こんりゅう)地は、反逆者「長髄彦討伐」の戦場とする孔舎衛坂一帯を統括していた春日氏(天児屋根が祖)の地域であり、それは猿田彦に看取られた天児屋根命(日本書紀・表記)を祀る【枚岡神社】(東大阪・出雲井町/式内社・旧社格は官幣大社)です。因みに、【天の児(Χ)屋根】(アメのコヤネ/幼名は春日麿)と【置・千木】形状【Χ】の語意を同義語とするのは、「イオニア式・文字配列順」方式に対し、「ヤマト言葉・文字配列順」を「天地歌(アワの歌)・文字配列順」に並び変えて合致させ、設定していたからでした。その【置千木=Χ】(天児屋根のコ=児…少年/天使・ソラハウコ…空這児は天使エノク少年)を介し、「5・7調/定型詩和歌」文言(AL・アラ=31/基本31文字歌)に因る【フトマニ祝詞】を用いた【高間の腹】(ノア昇天値2242=大洪水阻止祈祷文版設置値)との交信教義が意味する処は…つまり、それは、【大洪水阻止・祈祷文版】(ヨベル書・天使エノクが設置)に対する祭祀契約に関連し、【年中行事】が完全に履行されたとする報告(大晦の祝詞・節分の鬼追祭/日本最初の鳥居の接地は八尾市河内の渋川添い)を以て、初めて、その天界(アメ=天)との「年々自動契約」が更新されたと定義する【惟神・教義】(アメナル道=カンナガラの道)を確立させる為であった。
※ 『八尾市史』の【竹淵郷社縁起】(九・光正寺文書)より~
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★…夫れ河内国澁川郷竹渕村ハ五ヶ郷の1にして、多迦不知の郷と旧記も見え侍る。上古、神武天皇、日向国より磐船の山(ニギハヤヒ天降時の呼称=胆駒山・イコマヤマ)へ越(日下・孔舎衛坂の戦)給ふを、当国の長髄彦が襲い奉りしに、当郷(八尾市竹渕)の大竹藪の中へ入りせたまひ、暫く皇居し給ふを、長髄が目にハ深き淵の中へ入り給ふ神変と恐れ奉りて逃げ失せける。其時、天皇(神武)、盾を並べて猛獣を防せ給ふ処を、今も盾津表(東大阪市の旧地名にもある盾津)と言いて、此の村の東(八尾市の久宝寺地域か上松町の澁川神社付近?)にあり。天皇上らせ給ふ道を神武海道といふハ、此の時よりの名、今に残れり。皇居の跡に【天照太神宮】(あまてらすだいじんぐう)を祀りて、往昔当郷の面々供奉りしを、宮座と号し(後文略す)~。明応年中迄(AD1492~1500年)は36人在しと申伝へし。永禄年中(AD1555年~1557年迄)に残るハ14人と成る。これを竹原のおとなと名つける。(中文略す)…。又、土俗(くにひと・初出は日本書紀・神代上5段)の説に、天皇(神武)藪へ入り給ふ時、士卒(しそつ…士官と兵卒)安気せしより末代の人の行きてやすらうふを、【藪入】(やぶいり/現在に言う盆休みの起元に当たる)と云い伝えしとハ、此村ニ覚えける諺也、中につき古代の実を伝ふるは、6月21日。9月9日。此両日当村におゐて竹を伐(き)ざる事ハ此処以なり。…以上「巻上」終り…
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…★【IAΩ】(八尾市の語元)に始まる【日本建国創建史・発信会】~
★… 謎【日本国家】、及び、国語【ヤマト言葉】の設定者は、浪速の河内湖に流れ込む渋川(シフ=ゲマトリア数価 350・川/ヤマアト川=日本神話設定起点数価・350)地域一体を居住地と定め、尚、創世記(BRASIT・ベラシトは命の語元文字)のGod【ΙΑΩ=ヤオ】(レビ記断片文字・天地創造主ALHIM (エロヒム) の別称/八尾市の語元文字)を祀ったサドク系大祭司の【アラ(AL=31・和歌数価)ヒト】(世襲/ホツマ伝・33章)でした。その謎解きの鍵は、『八尾市史』の【竹渕(タコチ)郷社縁起】(巻上第三段迄)です。その【タコチ】とは、【置・千木】命名以前の呼称であって、ゲマトリア数価言語【タコチ】(400+600=チΠパイ1000/ΠはAttica)式…ΠiΠi の頭音文字で死海文書…断片文字)を語元とする器具形【Χ】(xi=数価千)的物体を設置し、尚、祝詞文言に因る天界【高間(タカマ)の腹】(空海開祖真言密教・胎蔵界の語元/空海の母方は物部氏系)との交信が行われた。然し、当時(紀元前3年戊午/反逆者・長髄彦討伐4年目)の先住者達は【タコチ】(漢字表記は竹淵)の語意が理解出来ず、漢字では《多迦(高)・不知》(チ=千の語意が解らない意)と表記されました。
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★… 我が国固有の民族信仰【神道】(カンナガラの道)。そのシンボル的【ヤシロ】(社)の屋根に、交信器具【Χ】(xi)を設置するを以て、始めて【千木】と命名されました。その、我が国最初の社の建立(こんりゅう)地は、反逆者「長髄彦討伐」の戦場とする孔舎衛坂一帯を統括していた春日氏(天児屋根が祖)の地域であり、それは猿田彦に看取られた天児屋根命(日本書紀・表記)を祀る【平岡神社】(東大阪・出雲井町/式内社・旧社格は官幣大社)です。因みに、【天の児(Χ)屋根】(アメのコヤネ/幼名は春日麿)と【置・千木】形状【Χ】の語意を同義語とするのは、「イオニア式・文字配列順」方式に対し、「ヤマト言葉・文字配列順」を「天地歌(アワの歌)・文字配列順」に並び変えて合致させ、設定していたからでした。その【置千木=Χ】(天児屋根のコ=児…少年/天使・ソラハウコ…空這児は天使エノク少年)を介し、「5・7調/定型詩和歌」文言(AL・アラ=31/基本31文字歌)に因る【フトマニ祝詞】を用いた【高間の腹】(ノア昇天値2242=大洪水阻止祈祷文版設置値)との交信教義が意味する処は…つまり、それは、【大洪水阻止・祈祷文版】(ヨベル書・天使エノクが設置)に対する祭祀契約に関連し、【年中行事】が完全に履行されたとする報告(大晦の祝詞・節分の鬼追祭/日本最初の鳥居の接地は八尾市河内の渋川添い)を以て、初めて、その天界(アメ=天)との「年々自動契約」が更新されたと定義する【惟神・教義】(アメナル道=カンナガラの道)を確立させる為であった。
※ 『八尾市史』…【竹淵(タコチ)郷社・縁起】(九・光正寺文書)~
★…夫れ河内国澁川郷竹渕村ハ五ヶ郷の1にして、多迦不知の郷と旧記も見え侍る。上古、神武天皇、日向国より磐船の山(ニギハヤヒ天降時の呼称=胆駒山・イコマヤマ)へ越(日下・孔舎衛坂の戦)給ふを、当国の長髄彦が襲い奉りしに、当郷(八尾市竹渕)の大竹藪の中へ入りせたまひ、暫く皇居し給ふを、長髄が目にハ深き淵の中へ入り給ふ神変と恐れ奉りて逃げ失せける。其時、天皇(神武)、盾を並べて猛獣を防せ給ふ処を、今も盾津表(東大阪市の旧地名にもある盾津)と言いて、此の村の東(八尾市の久宝寺地域か上松町の澁川神社付近?)にあり。天皇上らせ給ふ道を神武海道といふハ、此の時よりの名、今に残れり。皇居の跡に【天照太神宮】(あまてらすだいじんぐう)を祀りて、往昔当郷の面々供奉りしを、宮座と号し(後文略す)~。明応年中迄(AD1492~1500年)は36人在しと申伝へし。永禄年中(AD1555年~1557年迄)に残るハ14人と成る。これを竹原のおとなと名つける。(中文略す)…。又、土俗(くにひと・初出は日本書紀・神代上5段)の説に、天皇(神武)藪へ入り給ふ時、士卒(しそつ…士官と兵卒)安気せしより末代の人の行きてやすらうふを、【藪入】(やぶいり/現在に言う盆休みの起元に当たる)と云い伝えしとハ、此村ニ覚えける諺也、中につき古代の実を伝ふるは、6月21日。9月9日。此両日当村におゐて竹を伐(き)ざる事ハ此処以なり。…以上「巻上」終り…
… (カギ括弧内の注釈文等は筆者記す/2020年11月12日・木曜…小島 宏・当年73歳) …
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2018年09月18日(火曜)
- テーマ:
- 竹渕(タコチ)神社
…日本語の始まり「タコチ」(タコチ神社=竹渕神社・縁起書は日本の国宝に値する)…
…八尾市【光正寺文書】(URL http://web-lib.city.yao.osaka.jp/yao/yao-archive/pdfs/117075879/117075879-k011s.pdf )…
…【GHQ/神道指令】(戦後・アメリカ占領軍政策)による「日本の歴史教育の否定」…
…「GHQ・検閲指針30項目」( http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317996.htm)により、それ迄の日本の優秀な国学者や歴史学者等の人達は【GHQ】(連合国軍最高司令官総司令部の略称)によって戦後に於ける日本の教育の場から排除されました。その後釜に入ったのがアメリカよりの人達(理由無き神代文字の否定者)で、此の人達が戦後の日本の教育現場で幅を利かせるようになり現在に至っています。従って、「或人の話」★(次に記す)として…
★…(現在)日本の歴史学者や言語学者には学問の自由がなく、学生が「神代文字」に付いて卒論を書こうとしたら止められた。
★…日本の言語学者はヤマト言葉を否定し上代語と言い換え、恬(テン/外のものに心を動かさず落ち着いている)として恥じない。
…戦後に於ける日本の国学者が書いた本…『日本語はなぜ変化するか』(小松英雄・著/笠間書院)によると、「国学とは国語学の事である」と言う。従って、日本には【日本建国・創建史学】等の歴史学は全く存在しないと言う事です。つまり、戦前(昭和20年AD1945年/大東亜戦争終結以前)の国学(日本国の起元学)と違って、今の国学は国語学(言語学)の事であり、その研究対称は奈良時代(710年~794年迄)頃の万葉仮名言語の事と言う。そして、飛鳥時代(592年~710年)以前の言語に対しては全く解らないとされている。
…戦後に於ける国学(言語学)界と同じ事が神道界にも言えます。それは、戦後の国状(政治の動向)を鑑みた神道の事典作成に当っては、そのノウハウ(方法を知る事/専門的な技術や蓄積)を良く知る人達が【GHQ】によって排除されていた事です。ちなみに、そんな事情を知った柳田国(日本民族学の長)の強力を得て『神道事典』は完成しました。
…戦後の昭和41年(1966年8月)に松本義之助(ヨシノスケ)氏が、「カミナ」(カミ字=神代文字)で書かれた『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書を再発見(明治時代に存在した神代文字文書は既に国会図書館に保存済み)し、此の『ホツマツタヱ』文書が解読された結果、万葉仮名は神代文字で書かれた和歌や文言に対し、「1語・1音」として当て字した漢字群である事が判明しています。然し、此の事は江戸後期の究理学者【鶴峯戊申】(ツルミネノブシゲ)が『嘉永刪定神代文字考』の文書を用い…「日本書紀には神代文字が存在する」。として、既に指摘していました。又、落合直澄(明治の国学者)も、欽明天皇(AD540年~AD571年)★2年条の処に、「神代文字で書かれた文書が漢字に書き換えられた」。とする記述(古字/フルキナ=神代文字)がある事を指摘しています。
★注(欽明天皇・2年条)…「帝王本紀(先代匶事本紀大成經・72巻本)、多有古字(フルキナ=神代文字)、撰集之人(撰集する人)、屢經遷易(伝え写す)。後人習讀(後の人が習い読む時)、以意刊改(意図的に削り改め)、傳寫既多(伝え写す)、遂致舛雜(違い迷う)、前後失次(前後の順序が失われ)、兄弟參差(暦の順序・間違い)。今則孝覈古今(今古い事を考え推測)、歸其眞正(マコトに帰す)、一往難識者(知り得ない事一つ選ぶ)、且依一撰而註詳其異(異なるを注釈し詳細に書く)。他皆效此(皆・此れに習え)」(日本書紀)…。
…万葉仮名に言う「マンヨウ」(万葉)の語元(語源の意ではありません)は、『ホツマツタヱ』(秀真伝・1章)に書かれている文言に言う「人の言の葉」(ヒトのコトのハ)が語元(語源の意ではありません)である。だが、何故、★「人の言の葉」に対し「万葉」の漢字が当て字されたのか?…
★注(人の言の葉=万/ヨロヅの言の葉)…「5・7調言語/昔いわくは、人はカミ(KaMi)、カミ(上/髪も同義語)は人なり、名も誉れ、道(3千)立つノリ(律法)の、カミ(上)は人、人素直にて、ホツマ行く(秀真行く)、まことカミ也」(秀真伝・40章)…
…以上の文言…「人はカミ」。その逆の…「カミは人也」。此の文言は、ヒトの言葉は【カミの息】(カミの御魂・Τ=三百/文字順数値・19)であると定義して成る【アワ(天地)の歌】(ゲマトリア数値方式/基本・24文字×2=48文字)を示唆し、尚、イオニア式数値(文字配列順数値)を取り込み初期的に造語した【カミ/ΒΚ=58】と【ヒト/ΘΒ=39】とは、神代文字言語数値(カミの息・Τ三百/文字配列順数値)【19】の介在(58-39=19)を用いて同義語と定義した文言であった。此の定義付けを以て、予め設定していた【日本建国・創建史】(初代・神武天皇~第12代・景行天皇迄の歴年史)文書、即ち、『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)文書の作成数枠数値(1160+31+3910+4900=1万)を施行する役目を受け持つとする【天御中主】(フトマニ/アウワ=370)を出現させました。それは、占い用語のフトマニ(太占)を用い…「トホカミ・ヱヒタメ」(95)+「ヒト」(39)=「134」+「236」(カミの寸法値/詩篇・147-5)=「アウワ・370」として設定されていました。つまり、「ヒト(日本人)の言葉」に対し「ヨロヅ(万)の言葉」。と言い変えが出来るのは、【天御中主】(アウワ・370/Yahwehが発する光線の数値)を【フトマニ・図】の中心に据え、それを取り囲む「基本48文字」(ヤマト言葉文字)を用いて発せられる言語(ヤマト・言葉)は…「カミ(天の歌…地/ワの段…第三番目文字・ロ=万)の息」(エロヒムの御魂の息)による【ヤマト・言語】として定義していたからです。
…戦後の日本の言語学者達が必死になって研究する万葉仮名とは、戦後に再発見(昭和41年=1966年)された『ホツマツタヱ』に起因する訓読漢字群(上記で既に説明済み)である事が解明されています。然し、【神道指令】により…「自国(日本)の歴史の始まりを知る権利」…を自ら放棄した戦後の国学者(国語/言語学者)の人達は、先述の★「或人の話」の如く、「理由無き神代文字の否定」を改める事が出来ない限り、何時迄まで経っても「元初の日本語(ヤマト・言葉/上代語)の本質」を解明する事は不可能であり本末転倒である。尚、換言すれば…「木(万葉仮名)を見て森(ホツマ文字)を見ず」(小さい事に心を奪われ全体を見通さない事の例え)…と言っても過言でありません。
…八尾市(大阪府)に唯一建立する【竹淵(タコチ)神社】(大阪府八尾市竹渕2丁目154/祭神=天照大神)…此の【タコチ】(竹渕)の語元(語源の意ではありません)も先述に説明の如く、古代地中海沿岸文化圏のイオニア式ゲマトリア数値(文字&数値転換・隠語解読方式)を用い、【ΙΑΩ】(八尾)と造語(紀元前1世紀の終わり頃)された単語であるが、それはレビ記(旧訳聖書)に記された「カミの御名」(Yahweh/ヤハウェ)の別称であった。それが地名「ヤオ」(八尾)としての初出年は、長髄彦の討開始年(紀元前7年)から「満・4年目」(紀元前3年/戊午)の時であり、それは「ホツマツタヱ」文中で暫定的に設定された「アスズコヨミ・55年」(天鈴暦・55年)として記されている。ちなみに【タコチ】(竹渕)の語元は、その【ΙΑΩ】(八尾)の語元数値(三角数・507)に関連付ける必要(次に説明)があったからである。つまり、先ず「ヤマト・言葉」としての最初の単語(造語)は【ヤオ】(祭司系レビ記・断片文字/ΙΑΩ=八尾)であった。その単語対し、同時期に【タコチ】(1000/千)を造語した目的は、究極的な完成(千木の語元)を意味付ける為である。それは、聖書的文書を作成するに当たり聖なる数値枠を設定する必要があり、そして 作成されたのが「日本人の聖書」として、尚、【日本建国・創建史】としての「ホツマツタヱ」(秀真伝)と「ミカサフミ」(三笠文)文書であった。
…初期的に造語された「タコ(463)・チ」(竹渕神社の語元)の語意が意味する処は、ヤマト国家として建国する以前(紀元前31年頃)から既に設定済みだった「ΙΑΩ/507」(八尾の語元…死海文書・レビ記断片文字)の単語。そして「エロヒムの霊」(Τ・三百)を意味表す「ネ」(190/寝&冬)のゲマトリア数値(507+190=697)に合体(697+463=1160)させる為であった。その数値言語「タコ・チ」とは、イオニア式数値「1000・千」(千木の語元数値/400+600・チ=千)と、三角数(トライアングラ-・ナンバ-)の「210+253=463・チ」(Π/アメ値点数値)とを同時に意味表す単語として念入りに考案された末に設定された単語であった。つまり、此の数値枠(枠・物語)を用いる事によって【第二・新約聖書】的、且つ、【日本建国・創建史】(日本神話を含む)としての『ホツマツタヱ』(秀真・思想国の歴史書)の作成を可能とした。ちなみに、「ホツマ国」(秀真国)の初出は…「昔、伊弉諾尊目、此國曰(イワク)、日本者浦安國、細戈千足國、磯(シ)輪(ワ)上(カミ)秀眞國(秀眞國、此伝袍圖莽句爾)←(此れ言うホツマクニ)」(日本書紀・神武天皇31年条)が初出です。
…反逆者とされる長髄彦の討伐に当たり、タケヒト(神武天皇の幼名)が「ΙΑΩ」(八尾)の地域(澁川郡/元初のヤマアト川を溯る)を経由した理由は、先ず、初代王となれる権利を有す宝璽(ジ)字入り「羽々矢」を祭祀者の長であるヤオのアラヒトから授かる事が必須的制約だったからである。そして目指した龍田越えは、道が険しく進みえず引き返す事となる。そして、日下(クサカ/東大阪市)越えを決行するが、皇子のヰツセ御子が肱を射られ苦戦する。それで、更に八尾(タコチ・地域)迄戦を退いた時の事が、唯一、【タコチ(竹淵)神社】(大阪府八尾市竹渕2丁目154/祭神=天照大神)の由緒書にだけ書き残されていました。それは当時(紀元前3年/天鈴暦55年・ヲシヱ=戊午)の人だけしか知り得ない内容が書き記されていました。従って、若しも、GHQによる【神道指令】が無かったならば、此の【タコチ・文書】(竹渕神社・縁起書)は、今頃、国宝に指定されていたかも知れません…
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…此の続きは後日と致します…
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【日本建国・創建史学】の構築(№1~3迄)
URL → http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=18 …アメーバブログ 《【日本建国・創建史学】の構築(№1~3迄)》を一括し、此処(URL)に掲載しました。…日本国歌「君が代」の歌詞は、『先代匶事本紀大成經』(72巻本)にあった…
…此処【八尾(ΙΑΩ)市に始まる日本創建史】に至る迄の過程に付いては、順次、「アメーバブログ」(URL)→ http://ameblo.jp/erusaremu464/entrylist.html ← (ドラッグ&クリック・検索)に掲載しています。
…伊勢神宮に言う【イセ=伊勢】の語元は、「τριακοσιονζ δεκακαι οκτω」(創世記 14・14/文言)の略字「τιη」(儀数値・318)に対するゲマトリア(Gematria/ 文字&数値転換・解読方式)数値であった。つまり、此の秘儀数値の「318」は、パピルス断片に記されていた『旧約聖書』の「創世記・14:12~15)文言の省略形的数値である。尚、此の秘儀数値は、初期的な神殿(後にはキリスト教の教会の意)を意味する用語として用いられていた。それで、【元始・ヤマトコトバ】(倭語)の文字配列方式(メネメネテケルウパルシンに関連する)に従って、此の数値に値する数値文字が選び出された。
…我が日本国(ヤマト)の最高神とする【天照大神】を祀る社殿の御名は【ヰセ】(造語/イモオセ・妹背→伊勢)と命名され、此の命名に辿り着くに至った経緯に付いては、「イモセノミチ」(妹背道)と言う事が、日本人の聖書として書かれた『秀真伝』文書に記されている。
…倭語【ミチ】の語元は、数値言語、即ち、「3000」(ヰモヲセのミチ/318+657+千木1000+天使エノク365+サコクシロ660=3000)であるが、此の数値は「ナチ=7000」(那智)と「ワリウルリ 」(瓜破)の関係を有す。
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第二次世界大戦時に日本軍が捕虜に対して行ったこと日本兵捕虜に対して行われたこと
朝日新聞 捏造 朝日新聞がいよいよ時間の問題www 14億円の黒字から一気に1600万円の赤字転落キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! プライドだけは高い朝日新聞の言い訳が酷いwwww
日本建国宗団の極東移動ル-ト痕跡 を検証する http://ln.is/jugem.jp/SoGgv ← (ドラッグ・クリック/検索)。以前の標題を少し変え、尚、【追記】しました。【西王母・機織方式】は、其れ迄の方式を変えた、画期的な方式としての登場(山海経・地理書)で在りました。
…【追記】(2016年=平成28年10月28日/金曜)…【日本国創建史設計図・復元】の完成(平成28年10月15日/土曜早朝6時頃解読)に伴い、今、其の解説文の作成中(現在は非公開)です。此の文書が完成したら公開の予定です…
…其のブログURL(ドラッグ & クリック/検索) → http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2 …
…【日本建国・宗団】の極東移動ル-ト痕跡 を検証する http://ln.is/jugem.jp/SoGgv …標題を少し変え、尚、【追記】しました。【西王母・機織方式】は、其れ迄の方式を変えた、画期的な方式としての登場(山海経・地理書)で在りました。
日本建国史
『日本:建国史』2015/08/23 10:39- 『日本国創建 設計図』(復元図・完成)に因る「日本建国起元」の解説-…「日本建国史」に言う漢字表記の「日本」とは、元来......
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