【 本当のクリスマス 】
「彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」(マタイ1:20)
夢は時に神様の御心のご計画を人に示す手段として重要です。
「夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。――主の御告げ。――」(エレミヤ23:28)
エレミヤは夢見る預言者を公認してこう述べましたが、いかなる啓示の夢も御言葉以上に重要なものはなく、麦が御言葉なら夢はあくまでわらのようです。しかし、夢を通じた神様の啓示に従ったがゆえに多くの人民を救った主の僕らの武勇伝も歴史中、多々あります。
「夢見る者」(創世記37:19)と悪口雑言された旧約ヨセフはその夢を解き明かす賜物をうまく使ってエジプトを中心に飢餓に悩む全世界の人民を救うことになりました。
ダニエルもネブカデネザル王の見た夢を解き明かすことによりバビロンの知者をすべて殺害するよう命じられていた魔の手から彼らを救い出しました。後に当時のバビロン地域からヨーロッパ文明が開花し、優れた西洋文明の恩恵を受けながら全世界が、先進諸国として繁栄を謳歌できるようになりました。もし当時のバビロン知者すべてが殺害されていたならば、知者は知者を産み、知者は知者を育てるものですが、現代の繁栄ももう少し発明、発見が遅れた発展途上国になっていたことでしょう。ダニエルの夢を解き明かす不可視な能力は想像以上に今日の私たちに大きな祝福をもたらしています。逆に神様からの夢を軽んじて滅亡した人もいます。ポンテオ・ピラトです。彼はイエス様の十字架を前に妻からこのような助言の言葉を受けていますが、それは神様からのものでした。
「ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」(マタイ27:19)
ピラトは妻の夢の話をたわごとのように思って無視し、大罪を犯すこととなりました。この御言葉は教訓的に常日頃、妻を軽んじてその意見を無視する夫は大きく成功できないともいえます。
また、身ごもる内定の妻マリヤを姦淫の罪ゆえと考えて内密に去らせようと考えていたヨセフに彼女を受け入れるよう、マリヤは聖霊によって身ごもっていると啓示された神様の手段もまた、夢でした。もしこの夢が重視されず、マリヤを内密にさらせれば、ダビデの子孫から救い主がお生まれになるという預言がくつがえされてしまう危険さえありました。
すべての夢が神様からのものではありませんが、神様から来た場合は、重要で旧約ヨセフ、ダニエル、新約ヨセフのように後日、非常に多くの人々に影響を絶大に与えている場合があります。
イエス様がユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。聖書に彼らの人数は書かれていませんが、「博士たち」と複数形であることと「黄金、乳香、没薬」という一見関連性のない全く異なる三種類もの贈り物がささげられたことから三人であったと考えられます。彼らはおのおの博士であると同時にこれら貴重で値の張る高価な贈り物をこの時代に入手でき、大胆にささげられるほど裕福だったことから、当時の特権階級である王でもあったと考えられます。伝承でも王だったと伝えられています。これは象徴的にイエスこそ三人の賢い博士兼王様から礼拝を受けられた、まことの「知恵者中の知恵者」であり、「王の王」であるという意味があります。
三人は国家の命運を背負う王であるがゆえに決して危険な冒険的単独行動はとりません。力ある護衛兵たちと執事による道中の食事係、医療班とラクダを管理する運搬係、雑用係。その他いろいろな利害関係者が王を取り巻き、その一行は大きな群れとなったことでしょう。幼子イエスを目標に各国の各方面から三つの大きな群れが集合するさまを想像するならば、当時のヘロデ王とエルサレム中の人の恐れ惑いも理解できます。ことにヘロデ王は純粋なユダヤ人ではなくエドムであったことから「ユダヤ人の王として、お生まれになった方はどこにおいでになりますか。」との問いかけには敏感に反応し、恐れが増大したはずです。きっとヘロデ王はこう考えたでしょう。「血統を重んじるユダヤ人社会、いつかは同胞の王を立てた革命で私を追放するかも知れない・・・」加えて三人の王が幼子イエスについての詳細情報を伝えてくれずに自分の国にこっそり帰ったことから、裏切られ取り残されたような錯覚の中、王としての孤立感と将来への不安を強め、怒り狂ったヘロデ王は人をやってベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をすべて殺害するという新約時代最初の殉教者を大量に出すこととなりました。人は誰でも自分の誕生日は特別で良き記念日のはずです。しかしイエス様においてはこの点でも迫害され、御心の痛みとなりました。子供たちを殺害された母親たちにとっては、その日すなわちイエス様の誕生日周辺のその季節こそ、出来れば、なければよかった最も忌まわしい喪に服する悲しみの命日となったからです。本当のクリスマス、それは実にイエス聖誕の大いなる喜びと裏腹にその後のイエスの生涯を預言するかのような苦難の始まりでもあったのです。
「また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。」(黙示録12:1,2)
使徒ヨハネが見た「ひとりの女」とは、原語で十二部族からなるイスラエルのことですが、霊的には母マリヤのことも当てはまります。マリヤが叫び声をあげる程までひどく難産だった理由とは、イエス様出産にあたって若く初産だったこと、加えて処女だったことです。
イザヤもマリヤの処女出産についてこう預言していました。
「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。この子は、悪を退け、善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。」(イザヤ7:14,15)
『インマヌエル』(神が私たちと共におられる』イエス様は「悪を退け、善を選ぶことを知るころ」である生後、三年半は幼子には強すぎてふさわしくない非常食である「凝乳と蜂蜜」を食べていました。非常食を食べる幼子とは、珍しくその意味は生後すぐに迫害されてエジプトの避難生活に導かれるという暗示的な預言でした。徹頭徹尾、苦難に満ちた救い主です。
ここで彼ら三人の王たちは互いに無連絡のはずですが、同じ一つの聖誕の日を目標に超自然的に出現した星に誘導されて幼子イエスの所までいっせい集合できたのかはまさに注目です。
この東方で見た星の特徴とは「彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。」とあり、移動する不思議な星です。しかし流れ星のような瞬間的な光ではなく、76年ごとに地球に接近しながら移動するハレー彗星の光でもありません。この時期のハレー彗星再接近はAD10年です。ではこの星は何でしょうか。実にこの超自然的で不思議な星こそ、天から遣わされた聖霊様を象徴する星なのです。聖霊様は夜空のごとく暗かった私たちの心に突如と輝き昇り、いつもイエス様の方角へ先導します。
「聖書を読みたい。教会に行きたい。イエス様をもっと知りたい・・・」
すべてこれら突如として心に生じた良き願いこそ聖霊様の先導の賜物です。そして聖霊様はイエス様の真上を目標にとどまり、暗闇の世界でイエスだけを照らす唯一の啓示の光となって、イエスのことを分かりやすく証しするスポットライト的役目を果たしたいと願っておられます。
聖霊様は非常に大切です。どうしても聖霊様の導かれる先導の賜物とイエス様を照らす啓示の光がなかったら暗闇の砂漠人生をさまようばかりでイエス様を知ることは出来ません。
聖霊様をもっと認め、歓迎して、受け入れましょう。
「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」
聖霊様は喜びの霊です。現状、喜びがあるか否かをバロメーターに霊的状態は判断できます。
聖霊様に満たされた信者はたえず清らかな喜びがあり、霊的に悪い霊をかぶっている信者には清さと喜びがありません。
「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」(マタイ2:10-11)
贈り物には霊的意味があります。第一に王たちから黄金がイエス様に捧げられた事は、イエス様こそ黄金にふさわしい「真の王の王」であるという意味です。第二に祭司が礼拝に使う乳香をイエス様に捧げられた事は、イエス様こそ「真の大祭司」であるという意味です。第三にミイラが朽ちないよう防腐剤に使う没薬がイエス様に捧げられた事は、イエス様こそ御自身、何度も預言された通り、朽ちない復活の主として「真の大預言者」であるという意味です。ハレルヤ!
三人の王たちは何も受けず、見返りも期待せず、ただイエス様が神なるがゆえに神を神としてひれ伏し拝みました。純粋で真実な礼拝者です。本当のクリスマスとはプレゼントを受けるよりも、むしろ捧げる時です。
ですから私たちもこのシーズン、彼ら純粋で真実な礼拝者に学び、「心」という「宝の箱をあけて」三つの贈り物を捧げましょう。
それは第一に黄金が王に捧げられるようにイエス様を信じ、人生の「王の王、主の主」として心の王座に迎え入れましょう!イエス様に心の王権を明け渡したら必ず幸せになれます。悪い独裁者の王国は国民を餓死させ戦争まで起こします。知恵ある指導者の王国は国民を豊かに富ませ平和を実現します。そのことを端的に表わす事例として同じ朝鮮半島に住む韓国と北朝鮮。彼らは同じ民族で同じ言葉と食文化、地理的にも同じ資源保有と思われますが、その経済格差は数十年とも言われます。豊かさと背中合わせに寒さと飢えで苦しむ民族、その主たる相違の原因は国を支配して民を導くリーダーの違いしかありません。リーダーがどの主義、思想を受け入れ実践するか、誰が実質王であるかという問題は重大です。人は誰であれ自分の魂の支配者なる王をイエス様とするか、サタンとするか、生きているうちに決めなければならないと聖書は教えています。多くの人が自分はいずれにも所属していないと固く信じていますが、現実、中間状態はありません。神様チームか悪魔チーム、二つに一つ。人は必ずいずれかに所属しています。
勇気ある決断を下して愛と平和と正義の王なるイエス様を受け入れましょう。
人間の本当の姿は例えると、大型豪華客船に乗船して、そこで盛大なパーティーを開いている人のようです。しかしその船は癒しがたい深い亀裂があり、徐々に浸水しやがては必ず沈没する運命です。人々はこれに気付いていません。いや考えようとしていません。否定的なことや難しいことはできるだけ避けたほうがいいと思い、目先に置かれた数々の楽しみを満喫する自由な時間こそ人の幸せだと思っています。船の中にいることも忘れさせる豪華なご馳走と飽きさせない次々と続く音楽と多くの余興、ある人は船内プールへある人はギャンブルに夢中、という具合です。人間は本当に生まれたときから確実に死に向かっています。どんなに健康でも幸せでも、最後は死ぬ体です。死後の備えをする人が本当に賢い人です。自分の人生を自分の私利私欲達成目標に生きるなら必ず生涯の最後の時、後悔します。あなたの本当の魂の支配者であり、管理者であるイエス様にゆだねて人生の主権を明け渡してください。イエス様はよい王様です。より頼むものを決して見捨てません。信じてください。イエス様の中には十字架で血を流し命を捨てた本物の愛の救いがあります。永遠に続く天国も地獄も現実のことです。やがて、乱れた世界の有様は終わりを告げます。先延ばしせず、本気でイエス様を今日のうちに信じてください。