カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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立っていると。

2008年09月28日 11時35分22秒 | ひとりごと
今日の私はやっと涼しくなった風の中で、なんとか、“自分の位置に立っているわたし”を感じている。
揺らいで、騒いで、崩れそうな自分をなんとか支えて、支えられてたどり着いたこの位置。
カウンセリングの学習を始めた頃は、いえ、おそらく昨年でさえも、人の話を聞くとか聴けないとか、他者を受け入れるとか、その前にはまず自分を受け入れるんだとか、そんな言葉の中で揺らいでいたこともしばしばあったと思う。もしかしたら、そんなことはこの先でさえも起こることかもしれないけれど。
でも今日は、この位置が見える。ここに立っている私がいる。
立っている私を感じたのは今日だけれど、この1、2ケ月を通じて、うすうす感じていながらも、なかなか言葉にまではならなかったことを、あえて言葉にしてみたい。

それはこの位置に私がしっかり立っていると、勝手に自由に他者が私のもとから去ったり、あるいは近寄ったりするということ。決して私が他者を動かすとか、意図するとかそういうことではなくて、一人一人が自分の意思で、自由に動いていくのを感じる。
私を必要としなくなった人は、いつのまにかちゃんとその人の行きたい方向へと去ってゆくし、(こんな好き放題を言っている私でもよしとしてか、あるいはあきらめてなのか?よくはわからないけれど)、関わりが近くなった人は、ますますその関係が太くなってきている。
自分がなんとかして動かそうという意図はないし、そんな動きをしているつもりもまったくないのにもかかわらず、現実には、残ってほしい人たちが、気付いたらそばにいる。
本当に、ありがたい。

最近読んだ“悩む力”という姜尚中氏の著書の中に、こんな文章がある。
・・・・・面白いことに「自己チュー」と言われる人には、自我に悩んでいる人は少なく、「自己チュー」と言われない人のほうに、逆に、悩んでいる人が多いような気がします。「自己チュー」と言われる人は、人のことはあまり考えていませんが、「自我」について悩みがある人は、たいてい「他者」の問題にも悩んでいるでしょう。・・・・
私はこの中にもある、「自我」について悩んでいる人たちがとても好きです。
彼らが共通にもっていると私が感じている、他者に対する愛情?ゆえに悩む、その心が好きです。

やっと今、言葉になってきたこの位置。
ただ立っているだけで、私にとって必要な物や人が近づいてきては去ってゆく。そして、本当に必要な物や人だけが太くなってゆく。そんな風が、やっと今吹いてきたのを感じている。


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私にとっての “観”

2008年09月21日 14時45分03秒 | 各種ワークショップのご案内
13、14日の2日間に亘って、宮城県白石市で二回目の『老子を読む会』が行われた。
1週間がたち、それでも今の私に強く残っているのは、“観”の一時である。

ワークの中では途中、“我”と“吾”が話題になって、さらには“我欲”、“吾欲”にまで話が進んだのだけれど、私には“我欲”はなんとなく置いておけるとして、この“吾欲”とやらがピンとこなかった。なんとも、腑に落ちなかった。
何人かの方々が、ご自分の体験を話すことで、なんとか私がこの言葉の意味をわかれたらという所から自分を提供してくれているんだろうなあ?という思いは伝わって、その姿はありがたかったけれど、それでも私にはわかれなかった。
そしてみなさんの話が進んでいくうちに私の中に浮かんできた文字は、“吾欲”という言葉ではなくて、“本能”という文字だった。どうも、その時の私は、みなさんの体験を聴いていくうちに、この言葉になら合点できたようである。
人間には土壇場に来た時に、その場面に出くわしたときに、瞬間に何かしら生きようとする、生に向かおうとする力があるみたい。そういう力が、どうも、人間なら誰にでも備わっているみたい。普段はとてもじゃないけど、あの人にそんなことができたのなどと思われるようなことでも、やれてしまうような力が。聞きなれた言葉であえて呼ぶとしたなら、火事場の馬鹿力とでも呼ぶのでしょうか?いえいえ、誰かが、生命感覚とか呼んでいたような気もする。
まっ、よくわからない。
そして、今の私ならこの力をなんと呼ぶのだろうか?“吾欲”でも“本能”でもそれらのどっちでもいいし、それ以外の言葉でも一向にかまわない。それぐらいに、もうそのあたりへの興味はなぜか薄れてしまった。今の私の関心は、一文字で言えて、それでいてまったくもって造詣の深い、ようはよくわからない、題にもした“観”である。

友田先生が、「老子読本」中、老子第1章で取り上げていた、この“観”の一字。
・・・・・私は、一人でも多くの方々に“観”の一字に注目して頂きたいと想います。なぜならこの“私”をも含めて現代人の多くが、“ほんとうにメクラになっている”ことを私は、日々痛感しているからであります。のみならず、“観て動く”とか、“聴いて動く”のではなく、“思って動く”・“想って動く”から“考えて動く”といった動きが現代の行動の大半になってしまっているように、私には思われ想われているからであります。“考える”が流行語以上にさえなってしまっている現代では、当然のことでしょうけれど、“考える”ということで、“憶測したり推測したり想像したり”から“思い煩らい思い悩む”に至るまで、余りにも“観る”や“聴く”のない動きが多発していないでしょうか?申すまでもなく“観”の一字は、今日のいわゆる“五感”を包含して、端的には、心理学のいわゆる“知覚”を意味しているのでしょうけれど。・・・・

友田をして、少々乱暴な言い方ではありますが、「カウンセラーにとって、老子第1章さえ読む(この読むことそのものが、とても難しい)ことができたなら、残り80章は読まなくてもよい」とまで書かせたこの第1章。
その中にあった“観”の文字。このたった一文字の存在が、今の私にはとても大きくなってきた。
以前、確かS世話人から聞いたことと私が思っていることに、「カウンセラーという名前で呼ばれる人の人生観が、面接場面では出るんですよ」と、ここにも観の文字。
この“観”の感覚、直感あるいはそのまま直観に結びついたときに、人は瞬時に動けるんだろうなあって、それこそ、今の私は直観で感じる。自分の府に落ちた瞬間に、“考え”の入る隙間などはない。それこそ“思って動く”や“考えて動く”にはなりようがない。
ただし直感や直観の後でなら、こんなかなあっていう程度の考えは沸く。沸いてきたものを“考え”と呼ぶとして、順番を、あえてつけるとしたらの話しだけれど。
60分の面接場面、あるいは1日、2日、3日のワークショップ、どこまでこの“観”として、私は座っているのだろうか?“観”を意識しながら座ってはいないけれど。
特に長いワークの時間、ほっとくと私は、すぐ頭の作業にばかり時間をとられて本筋がぼけていく。さらには、すぐさま自分を優位に保とうとする性(サガ)が走る。この性は、私の“吾”と読んでもいいけれど、おそらく、“観”の中には入っていないもの。いやそれさえも入っているのかな?よくわからない。
ワークの間、“観”のあたり?から思わず言葉が出たとしても、そこから検討、見当違いも含めて、みんなでワイワイ、ガヤガヤやってゆく。この時間がたまらなくいいんだろうなあ私には。
いえいえそうではなくて、わからないからこそ、それでもなんとかみんなで言葉に出してやってゆくうちに、ワイワイ、ガヤガヤ、ああでもない、こうでもないとやっていくうちに、ぼんやりと自分に観えてくるものがある、それが楽しいんだろうなあ、私には。
漠然としながら、なんとかここまで“観”を言葉にしてみました。もちろん、今の私にとっての“観”を。言葉にしたところで、やっぱしよくわかりません。

ここからは、まったくの余談。
最近、おそらく9月になってから?好きな人ができた。といっても、某韓流スターなんだけど。5年ほど前から仲間はずれにならないようにと、少しは韓流ドラマを見ていたけれど、まさかまさか、この私が人並みに韓流にはまるなんて!と思ったところで、
彼が出ているドラマをビデオに撮っては、何度も繰り返し観ていた自分に、自分が一番驚いた。
それまでも、好きな人たち(スポーツ選手やロック歌手)はいたけれど、ファン暦30年以上にもなっていたり、彼らの数字(成績)への興味が先で、存在そのものは、もう空気みたいになっていた。もちろん、何があってもいなくなるのは困る人たちなのだけれど。
ところが若干26歳のこの韓流スターに対しては、今までの誰とも私の動きが違う。何度も何度も彼のビデオを観るなんて私には、私がお目にかかったことがない。まずビデオにまで撮って観るという生活スタイルが、私にはほとんど存在しなかった。ビデオは持っているけれど。たとえ撮ったとしても、その時に見ることができなかったら、もうそれはいい、それは、(今の私には、必要としないものと思っていたかどうかはわからないけれど)、済んだことになってしまっていた。
そんな私が、彼見たさにビデオを撮り、さらには繰り返し観るなんて。これがはまったと言わずして、何をはまったというのだろうか!?
生きていると、すごいことが起きる。予期しないことが起きる。いつも午後11時には寝てしまう私が、彼の姿見たさにネットを駆使したり、ビデオを観たりで、この2、3週間は夜の12時を回っている。 眠りたいより先に、目をこすりながらも彼を観ている私に気付く。
私の五感が、いやそれ以上の何かが、彼の持っている何かに触れるんだろうなあ!!
気が付くと、ついつい彼の姿を追っている私がいる。たまらなく幸せな時間♪~♪。
こんな私にだって、訪れたのだ。かくも癒しの時間。
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わたしたちの幸せな時間

2008年09月04日 13時46分28秒 | ひとりごと
どこかでみんなが覚悟をしていた。
たとえ覚悟はしていなかったとしても、気付かないながらも、心の奥底で準備はしていたはず。突然の悲しみで心がはじき飛ばされないように。
8月31日、友人からメールが届いた。そこにはお通夜とお葬式の丁寧なお知らせがあって、実際に亡くなられたのは前日の30日とのこと。来るべき時が来てしまったという思いと同時に、私が一番気になったのは、この8月、はたして先生は大分には行かれたのだろうかということ。

生前の先生がある席で、夏の大分のワークをひとつの手がかりとして、そこでご自分の感じを確かめ、その後の9月からセンターへ復帰したいという熱い思いを語っていたのを思い出す。
結果として、私にはそのときの姿が、先生にお会いした最後となってしまった。
色白のお顔を真っ赤に高揚させながら、今のご自分の現状を踏まえながらも(白血病・・・)、未来に向かって、こう然と何ひとつ変わっていないカウンセリングに対する少年のような思いを語って下さった。私はそこに、何かをまっとうしようとして、今でも歩み続けている、人間の尊厳を見たような気持ちだった。
四年近く前の友田先生とのお別れの会でも、(やはり)準備していた原稿はやめて、今、沸いてきた気持ちを話しますと言われて語られた内容とも似ていて、いや、内容はもう忘れてしまったのだけれど、そのときに受けて今でも私に残っている、先生から伝わった思いが同じだった。
そしてそれはもっと言うなら、昨年春、「・・・真空の問題などを巡って」と題されたシンポジウムの席で語られた先生の言葉にも、まったく同じような印象を受けている。
言葉はすべて違うのだけれど・・・・・・
そしてもっとしつこく言うなら、その思いの先に、四年前に亡くなった父さえも思い出してしまった。癌告知から一年、もうほとんど仕事はできないという状態になったときでさえ、どこから話を聞いてきたのか、「○年先には、またダム工事が来るらしいから、そうしたら俺はまた昔の仲間に声をかけて、みんなが住む宿舎を建てなけければ・・・。また、忙しくなるぞ!」と。

先生のお通夜の夜、21歳年下の友人と沖縄から通夜のために上京していた友人、それに私の3人で新宿にくりだした。誰が何を話しても先生に行きついた。誰が何を話しても、私にとって初めて聞く内容ではなかった。どの話を聞いていても、かつて話してくれたときにも側にいたし、その後もう一度聞いたときでさえも、いつも傍らで聞いていたことを思い出す。
何度聞いても色あせないし、今聴いても、心地よかった。
それらの話しのほとんどすべてに先生が関わり、先生がしっかりと生きていた。
私にはこの夜、この三人で会うなどということは、想像のどんな小さな片隅にすらなかった。それでも今思い返すと、誰よりもこの三人で語りたかった。
当たり前のように奇跡が起こり、当たり前のように横に座っていた二人。
先生が起こして下さった奇跡に、いいえ素晴らしき現実に、ありがたい、とても幸せな夜でした





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