カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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R4年10月学習会によせて

2022年10月25日 05時33分19秒 | 学習会
 その人とは年に1、2度、市内のどこかでバッタリ会った。抜群の笑顔の持ち主であった。
学習会当日、それも開催のわずか30分前、元気ですか?のラインが来たのをいいことにお誘いしてみた。
そしたらなんと行ってみるという返事。そのフットワークの軽さにワクワクした。
いったい何の学習会?それでも彼女はやってきた。
 予定では「みちのく」を読んでの学習会のはずが、ついつい雑談となる。
さ~、今度こそ本を読もうとこちらはなるのだが、また雑談となる。
彼女の存在が実に柔らかく面白く、なかなか本にはいかない。
気がつくと午後4時、学習会閉店の時間、彼女は帰って行った。
誰も本を開くことはなく、爽やかな時間が流れた。
こういう日があってマジでいいわあって思えた、学習会?だった。
 次回の「横手しゃべりば」は11月27(日)グループカウンセリングの予定。
場所はいつものサンサン横手、突然学習会になっても、まったく問題ありませ~ん(笑)

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令和4年10月学習会のお知らせ

2022年10月06日 16時32分35秒 | 学習会
 前回の学習会はいつだったのかなとブログをめくると、R3年の7月とありました。
ということは、1年以上もの月日が流れていたということです。
なんと、知らなかったわ~❕
そこに書かれていた私の文章を読んで、確かにと思えました。
自分の書いたものにもかかわらず、とても新鮮な感覚でした。

 “ 人はいくつなっても学びたい生き物なのだ “とは誰が言ったか忘れてしまいましたが、
私自身は間違いなくそういう生き物です(笑)
。―R3年7月のブログより
そうなのです。
ここのところ私は、とても学びを欲していました。
誰でもない、自分がやりたくて言い出した今回の学習会です。

 少しだけ以前の私たちの学習会の話をしますと、
誰かがひと段落ほど本を読んだ後で、わからないところや疑問に感じたところはないか、あるいは読んだことで、急に自分のこととして言いたくなったことがあれば、そちらを話します。これが正解ですみたいな、回答的なものはありません。
場に投げかけて、自分はこういう風に感じた、あるいは理解したんだけど他の人たちはどうでしょうか?
そういう投げかけもしていたと思います。
投げかけられたからといって、応えたくない人は応えなくともいい、応えたい人だけが応じます。
どう感じているのか、どうしてもきいてみたい人がいらしたら、直接その人に訊いてみる・・・

ただしこういう流れは前回までの流れなので、今回必ずしもそうなるとは限りません。

 テキストは友田不二男氏の「みちのく」を使用する予定です。
下調べとか、そういった作業は何もいりません。どのセッションから入ってもいい。
読んだところで、万が一チンプンカンプンのときは、人の話をきいているだけでOK!
座っているだけで大丈夫です。

日 時   令和4年10月23日(日)午後1時半から午後4時くらいまで

場 所   高橋悦子宅・横手市平城町7-19(針生皮膚科医院から徒歩1分)

電話等   携帯 090-1551-0023 

参加費   500円

      ※参加ご希望の方は、電話かショートメールにてご連絡ください。
       ラインをご存知の方はそちらでもOKです。
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“考える”ということ

2022年10月03日 16時13分21秒 | ひとりごと
 多くの人たちは、いろいろなことは考えればわかると思っているらしいのですが、 “考えたらわからなくなる”と私は思います。
そういうことは昔から書き残されているのですが、みなさんはおわかりにならないらしい。おわかりにならない、というよりは気づかないらしい。
気づかないから子どもたちをつかまえては“おまえもっと考えてごらん”ということを平気でおっしゃる。私などとてもそういうことは言えない。考えたらわからなくなることにきまっているのです。
 ニュートンは考えて万有引力を発見したという伝記はどこにもない。ぼーっとしていて、りんごが落ちるのをみて発見した、というふうに書いている。
ガリレオは悪戦苦闘してついに発見した、とは書いていないのです。シャンデリアの揺れるのを見て、ふっと気がついた、と書いている。
湯川さん(ノーベル物理学賞受賞者)は、考えに考えてついに公式を展開して、結論を出して、こうなって中間子ができて、とは書いてもいなければしゃべってもいない。夜寝ていたら、夢うつつの間をさまよっている時ふっと頭に浮かんだ、と書いている。
 このような証拠を拾い集めればいくらでもありますが、そういう肝心な証拠がちっとも気づかれないものだから、″考えればわかる″と思うらしい。
わからないのは ″考えないからだ″と思うらしい。私は今まで生きてきて、人間は考えればわからなくなる、ということをいやになるほど痛感させられています。だから、考えてわかるなどとは毛頭思わない。
と云うと、またそれを一生懸命にあっちこっちで考え出すらしい。まあ、人間は考えるな、といっても考えるのでしょうが、
例えば碁打ちがよく申します “下手な考え休むにしかず” とか、 “休むに似たり”とか。まあそれも休養のうち、身を保つうちなら役割を果たしているわけでしょうが、それはそれで意味があるのでしょうが、とにかく結論だけずばりと申し上げれば、 “考えれば人間はわからなくなるんだ”ということ“考えないからわかっているのだ“と申しあげたいのです。(カウンセリング序章 ■講演記録■ 友田不二男より抜粋)


 前回掲載のBの会にて、 “癒しについて“や”無自覚の暴力について“を取り上げてくださったことに気を良くした私は、また友田先生の講演記録を載せたくなりました
先生、40代?ゆえの若気の至り的な強い口調での物言いや、ぶっつけ本番、手直しなしの講演記録ゆえの曖昧さも感じられなくもないのですが、こちらもそのまま載せることにしました。
同時に私ごとですが、㈶日本カウンセリングセンターに通い出して間もない頃のことで、思い出したことがあります。
それは、「考える」という言葉の仕様を禁止されていたことです。記憶違いを平気で言えば、確かセンターの机の上に貯金箱みたいなものが置いてあって、 “考える”と言葉にした人は10円玉を入れてたような気がします。
今、この講演記録を読み返してみて、あの時の10円玉はここから来ていたのかと気づいた次第で、一人ではしゃいでしまいました。
とはいえ、あくまで私の記憶違いでなければのお話ですが(笑)。
 さらにさらに私ごと、昨年から始めた川柳のことをば。
未だに駄作の連続で人様にお見せできるような代物などほとんどありませんが、それでもまれにこの句は我ながらよくできたなあ!などと思うのは、なぜか真夜中作。
目が覚めてしまいどうにも寝付けずにいるときに、ふと浮かんだ句がけっこうイケテルというか・・・。
なので、最近は枕元に紙と鉛筆を置いていま~す。📄
コメント (2)
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