昨日は名古屋でのお仕事が終了後、電車で高知へ帰省しました。
私が高知へ帰省する際は、羽田から飛行機を利用することがほとんどなのですが、今回は名古屋からすべて電車で高知へ帰省しました。
高知を含む四国では新幹線が走っておりませんので、名古屋からまず岡山まで新幹線で行く事になりました。また岡山で、高知方面への特急南風に乗り換えました。
この南風ですが、岡山を出て、まずは児島(こじま)に向かいました。また、道中、のどかな田園風景も見られました。
児島を出ると宇多津(うたづ)へ。本州・中国もここまでで、いよいよ瀬戸内海へ電車は向かいました。
瀬戸内海では1988年に開通しました瀬戸大橋を渡りました。また、道中では、瀬戸内海の島々や行き交う船、そして、コンビナートやドックといった景色に見とれました。
瀬戸内海を渡ると宇多津に到着しました。また、電車は次の停車駅、丸亀(まるがめ)へ向け出発しました。
丸亀駅到着前には丸亀城も見え、電車の車窓から見るお城も、なかなか風情がありました(機会がありましたら、お城見学をしたいものですね)。
丸亀を出た電車は善通寺(ぜんつうじ)で停車して琴平(ことひら)へ。琴平は、「こんぴらさん」として親しまれております、金刀比羅宮(ことひらぐう)が近くにあります。
琴平を出た電車は阿波池田(あわいけだ)で停車して大歩危(おおぼけ)へ。大歩危・小歩危(こぼけ)は珍名としても有名ですが、険しい山と四国三郎の別名があります吉野川の風光明媚な所でもあります(写真は小歩危のものです)。
大歩危駅をでると土佐山田(とさやまだ)へ。途中、上りの電車の通過待ちを行いました。また、電車はいよいよ土佐・高知に入りました。
土佐山田の次は、こちらも珍名でも有名な後免(ごめん)へ。私の目的地、高知はもはや目と鼻の先となりました。
高知駅に降り立つのは、数十年ぶりのような気がします。また、高知駅は三度目の大改修で、モダンな雰囲気となっております。
高知駅近くには、路面電車(土佐電気鉄道)も乗り入れております。また、地元の人はこの路面電車を土電(とでん)と呼び、通常、電車といえば路面電車の事を指し、JRの電車は汽車と区別しております。
私が帰省した昨日は、よさこい祭りの二日目で、高知駅周辺もよさこい色に染まっておりました。
(電車での長旅は疲れるものですが、たまにでしたら、こんな旅もよいのかもしれませんね)
私が高知へ帰省する際は、羽田から飛行機を利用することがほとんどなのですが、今回は名古屋からすべて電車で高知へ帰省しました。
高知を含む四国では新幹線が走っておりませんので、名古屋からまず岡山まで新幹線で行く事になりました。また岡山で、高知方面への特急南風に乗り換えました。
この南風ですが、岡山を出て、まずは児島(こじま)に向かいました。また、道中、のどかな田園風景も見られました。
児島を出ると宇多津(うたづ)へ。本州・中国もここまでで、いよいよ瀬戸内海へ電車は向かいました。
瀬戸内海では1988年に開通しました瀬戸大橋を渡りました。また、道中では、瀬戸内海の島々や行き交う船、そして、コンビナートやドックといった景色に見とれました。
瀬戸内海を渡ると宇多津に到着しました。また、電車は次の停車駅、丸亀(まるがめ)へ向け出発しました。
丸亀駅到着前には丸亀城も見え、電車の車窓から見るお城も、なかなか風情がありました(機会がありましたら、お城見学をしたいものですね)。
丸亀を出た電車は善通寺(ぜんつうじ)で停車して琴平(ことひら)へ。琴平は、「こんぴらさん」として親しまれております、金刀比羅宮(ことひらぐう)が近くにあります。
琴平を出た電車は阿波池田(あわいけだ)で停車して大歩危(おおぼけ)へ。大歩危・小歩危(こぼけ)は珍名としても有名ですが、険しい山と四国三郎の別名があります吉野川の風光明媚な所でもあります(写真は小歩危のものです)。
大歩危駅をでると土佐山田(とさやまだ)へ。途中、上りの電車の通過待ちを行いました。また、電車はいよいよ土佐・高知に入りました。
土佐山田の次は、こちらも珍名でも有名な後免(ごめん)へ。私の目的地、高知はもはや目と鼻の先となりました。
高知駅に降り立つのは、数十年ぶりのような気がします。また、高知駅は三度目の大改修で、モダンな雰囲気となっております。
高知駅近くには、路面電車(土佐電気鉄道)も乗り入れております。また、地元の人はこの路面電車を土電(とでん)と呼び、通常、電車といえば路面電車の事を指し、JRの電車は汽車と区別しております。
私が帰省した昨日は、よさこい祭りの二日目で、高知駅周辺もよさこい色に染まっておりました。
(電車での長旅は疲れるものですが、たまにでしたら、こんな旅もよいのかもしれませんね)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます