今月17(土)、18日(日)の2日間、宮城をぶらりと歴史探訪の旅に出かけました。
今回、私が杜の都・仙台に到着したのは16日(金)の17時を過ぎてました。そして、早速、ホテルにチェックインしました。また、画像は、ホテルに向かう際に見ました、大年寺山のテレビ塔です。
チェックインした後は、荷物を部屋において、ぶらぶらと駅西口周辺の居酒屋を探してみました。そして、立飲みを見かけ、サッカー観戦しながら、一杯頂きました。
翌、17日(土)の朝食はホテルのバイキングを頂きました。そして、チェックアウトした後、仙台駅に向かいました。
仙台駅のコインロッカーに荷物を入れて、いざ歴史探訪の開始。まずは仙台城跡に向かいました。そして、仙台城跡へは「るーぷる仙台」のバスに乗ることにしました。また、17(土)、18日(日)の2日間は大学入試のセンター試験があるという事で、臨時バスが出る程、バス乗り場は混み合い、試験会場に向かう道路も混んでいました。この混雑も今年一杯で、今年度中に開通予定の地下鉄東西線の開通で、来年以降は混雑が解消する見込みだそうです。
「るーぷる仙台」バスが仙台城跡(本丸跡)に着いてまず目にしたのは、宮城縣護國神社の大鳥居です。このバス停は、市営バスよりもこの神社に近いのですが、この鳥居を見た瞬間、違和感を感じました。
(護國神社は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社ですが、古くは明治維新や戊辰戦争で戦死した、明治政府軍の英霊も祀っています。しかし、仙台藩等、東北の諸藩は奥羽越列藩同盟で明治政府軍と対峙し、矛を交えました)
私は、護國神社等の横をすり抜け、仙台城(雅名は青葉山城など)跡の碑を見つけました。また、ここからの眺めはとてもよく、仙台の街を見下ろすことが出来ました。そして、眺めの良さだけではなく、仙台城が山城という事を、ここに向かう道中だけではなく、実感できました。
そして、ここで有名な伊達政宗騎馬像や土井晩翠作詞の「荒城の月」の碑もありました。政宗像の勇壮さは、改めて語る必要はないと思います。
(「荒城の月」の荒城のモデルは、会津若松城(鶴ヶ城)、仙台城(青葉城)、豊後竹田城(岡城)の3つの説があるそうですが、この中で会津若松城が一番有力だそうです)
政宗像を見た後は、少し城後を下り、大手門隅櫓とも呼ばれる脇櫓等を見ました。この櫓は復元したものですが、復元そのものよりも、近くに道路や建築中の信号等があるのは、かなり残念でした。
仙台城跡内には、護國神社だけではなく、東北大学のキャンパス、植物園、仙台市博物館等、多くの施設があります。そして、この魯迅の胸像は、仙台市博物館の近くにあったものですが、博物館は今年3月の、国連会議の準備の為閉館中で、一般公開は4月以降だそうです。
そして、再び本丸跡へ。有料の仙台城見聞館に入ってみる事にしました。
この見聞館では、在りし日の仙台城の再現CGシアターや、具足・刀・鉄砲等の史料を展示していました。
(仙台藩の具足は、実際に鉄砲で撃ってみて、貫通しない事を確認していたそうです)
仙台城跡に着いたのは9時半頃でしたが、時刻は既にお昼近くになりました。そして、雪が降り始めましたが、お城の後は大崎八幡宮に行ってみました。
この大崎八幡宮は日本最古の建造物であるともいわれ、社殿は国宝に指定されています。また、この社殿は黒地に金箔も貼られ、かなりど派手な建物でした。
私は、今回、17日だけの観光で、当日中に帰宅しようと仙台駅に向かいました。しかし、その途中、伊達家つながりで政宗の参謀でした、片倉小十郎の居城、白石城に向かう事を決めました。
とはいえ、お昼はまだでしたので、牛タンストリートで頂く事にしました。私は伊達の牛たん本舗で、厚切りの牛タンを頂きました。この牛タンは厚切りでも柔らかく、美味しかったのですが、やや塩味が強かったですね。
昼食を頂いた後は、仙台駅でお茶などをして、白石に向かいました。
※次回、ぶらり宮城 歴史探訪(白石編)へ、つづく。
今回、私が杜の都・仙台に到着したのは16日(金)の17時を過ぎてました。そして、早速、ホテルにチェックインしました。また、画像は、ホテルに向かう際に見ました、大年寺山のテレビ塔です。
チェックインした後は、荷物を部屋において、ぶらぶらと駅西口周辺の居酒屋を探してみました。そして、立飲みを見かけ、サッカー観戦しながら、一杯頂きました。
翌、17日(土)の朝食はホテルのバイキングを頂きました。そして、チェックアウトした後、仙台駅に向かいました。
仙台駅のコインロッカーに荷物を入れて、いざ歴史探訪の開始。まずは仙台城跡に向かいました。そして、仙台城跡へは「るーぷる仙台」のバスに乗ることにしました。また、17(土)、18日(日)の2日間は大学入試のセンター試験があるという事で、臨時バスが出る程、バス乗り場は混み合い、試験会場に向かう道路も混んでいました。この混雑も今年一杯で、今年度中に開通予定の地下鉄東西線の開通で、来年以降は混雑が解消する見込みだそうです。
「るーぷる仙台」バスが仙台城跡(本丸跡)に着いてまず目にしたのは、宮城縣護國神社の大鳥居です。このバス停は、市営バスよりもこの神社に近いのですが、この鳥居を見た瞬間、違和感を感じました。
(護國神社は、国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社ですが、古くは明治維新や戊辰戦争で戦死した、明治政府軍の英霊も祀っています。しかし、仙台藩等、東北の諸藩は奥羽越列藩同盟で明治政府軍と対峙し、矛を交えました)
私は、護國神社等の横をすり抜け、仙台城(雅名は青葉山城など)跡の碑を見つけました。また、ここからの眺めはとてもよく、仙台の街を見下ろすことが出来ました。そして、眺めの良さだけではなく、仙台城が山城という事を、ここに向かう道中だけではなく、実感できました。
そして、ここで有名な伊達政宗騎馬像や土井晩翠作詞の「荒城の月」の碑もありました。政宗像の勇壮さは、改めて語る必要はないと思います。
(「荒城の月」の荒城のモデルは、会津若松城(鶴ヶ城)、仙台城(青葉城)、豊後竹田城(岡城)の3つの説があるそうですが、この中で会津若松城が一番有力だそうです)
政宗像を見た後は、少し城後を下り、大手門隅櫓とも呼ばれる脇櫓等を見ました。この櫓は復元したものですが、復元そのものよりも、近くに道路や建築中の信号等があるのは、かなり残念でした。
仙台城跡内には、護國神社だけではなく、東北大学のキャンパス、植物園、仙台市博物館等、多くの施設があります。そして、この魯迅の胸像は、仙台市博物館の近くにあったものですが、博物館は今年3月の、国連会議の準備の為閉館中で、一般公開は4月以降だそうです。
そして、再び本丸跡へ。有料の仙台城見聞館に入ってみる事にしました。
この見聞館では、在りし日の仙台城の再現CGシアターや、具足・刀・鉄砲等の史料を展示していました。
(仙台藩の具足は、実際に鉄砲で撃ってみて、貫通しない事を確認していたそうです)
仙台城跡に着いたのは9時半頃でしたが、時刻は既にお昼近くになりました。そして、雪が降り始めましたが、お城の後は大崎八幡宮に行ってみました。
この大崎八幡宮は日本最古の建造物であるともいわれ、社殿は国宝に指定されています。また、この社殿は黒地に金箔も貼られ、かなりど派手な建物でした。
私は、今回、17日だけの観光で、当日中に帰宅しようと仙台駅に向かいました。しかし、その途中、伊達家つながりで政宗の参謀でした、片倉小十郎の居城、白石城に向かう事を決めました。
とはいえ、お昼はまだでしたので、牛タンストリートで頂く事にしました。私は伊達の牛たん本舗で、厚切りの牛タンを頂きました。この牛タンは厚切りでも柔らかく、美味しかったのですが、やや塩味が強かったですね。
昼食を頂いた後は、仙台駅でお茶などをして、白石に向かいました。
※次回、ぶらり宮城 歴史探訪(白石編)へ、つづく。
ついに仙台に来られましたね。夜の大年寺山のテレビ塔は幻想的で、出張帰りの仙台市民でもこれを見て、やっと仙台に帰ってきた…と思うほどです。また大年寺山には伊達家の墓所もありますが、地元の子供には遊び場にもなっています。
宮城縣護國神社の大鳥居に違和感を感じたのですか?仰る通り仙台藩は戊辰戦争で賊軍でした。創建は明治37年(1904年)で、賊軍となった仙台藩関係者は祀られていないのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%B8%A3%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
昨年私も久しぶりに仙台城に行きましたが、ここから見る仙台の街の夜景は良かったですね。ここはデートスポットにもなっています。大手門隅櫓も東日本大震災で被害を受けましたが、確かに道路や建築中の信号等が近くにあるのは景観が悪いですよね。地元にいると、それが当たり前になってしまい、気付かないのです。
あいにく17日土曜日の午後からは雪でした。観光には寒かったでしょう。牛タン店は市内に方々ありますが、観光客には駅構内の牛タンストリートが便利だと思います。肝心の牛タンの塩味が強かったそうですが、伊達の牛たん本舗に限らず仙台の牛タンは同じです。気候もあるのか、総じて東北の料理は全般的に味付けが濃く、薄味は好まれません。牛タンには、さらに七味をかけて食べる人もいます。
コメントありがとうございます。
大年寺山の伊達家の墓所ですが、ググると廃仏毀釈で荒れているとか。それに比べ、戦○BA○ARAのキャラクターは人気あるとか。移ろいやすい世の中とはいえ、複雑な思いがします。
仙台城だけではなく、福島のお城も、先の震災で被害を受けた所もあるそうです。また、江戸期でも、地震の被害を受けた所も少なくないようですね。これからも、地震や火山噴火等、あの世に行くまでは、自然災害と付き合って生きて行かなければなりませんね。
仙台城ですが、さすが政宗の城で、攻めるに難く、守るに易い山城だと思います。でも、その後の伊達家藩主が平時には不便で、新しく二の丸、三の丸を築いたのも、頷けます。
g牛タンは美味しかったのですが、やや塩辛いのは、臭みを消す意味でも仕方がないのかもしれませんね。また、今回のつけ添えの南蛮漬けも塩味が利いてましたが、美味しかったです。
また今度、仙台に伺う事がありましたら、気仙沼等からの海鮮を頂きたいですね。
(政宗公は、鮎や三陸沖で捕れた魚が好きだったとか)