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本と音楽とねこと

さらば東大──越境する知識人の半世紀

吉見俊哉,2023,さらば東大──越境する知識人の半世紀,集英社.(4.30.24)

 吉見先生の『都市のドラマトゥルギー──東京・盛り場の社会史』が刊行されたのは、わたしがまだ学生だったころで、とにかくおもしろくて一気に読了したように記憶している。
 わたしの指導教官、のちに上司となった鈴木広先生もべた褒めしていた。

 その後の吉見先生の業績は、専門ちがいということもあり、あまり熱心にフォローしていたわけではないが、あらためて、吉見先生独特のドラマトゥルギー──アーヴィング・ゴフマンを参照、引用しながら議論を進める凡庸なドラマトゥルギーではなく、都市の地理、生態、表象を演劇論的な枠組みでリアルに描き出していくそれに、わたしも含めた多くの者が魅了されてきたことを思い起こす。

 ちょっと褒めすぎか?笑

 本書の白眉は、なんといっても、東大での最終講義を収録した終章、「東大紛争 1968-69」だ。

 話をまとめましょう。私はこれまで、東大紛争を〈上演〉として捉えることを強調してきました。すでにお話ししたように、この〈上演〉には時間構造と空間構造があります。時間構造では、東大紛争は四幕劇です。第一幕は〈糾弾劇〉でした。医学部を舞台に学生たちと教授会が厳しく対立していましたが、一般学生はまだ舞台に上がっていません。舞台と客席の間には境界線があって、一般学生は遠目にドラマの進行を見守っていました。ところが六八年六月一七日、この状況が劇的に転換します。一般学生が舞台の上にどんどん上がってきて、舞台と客席の境界線がほとんど消え、ドラマは〈祝祭劇〉へと転化します。ところがこの〈祝祭劇〉が続くのは、同年一〇月くらいまでです。一一月以降、全共闘と加藤新執行部の交渉は決裂、学生たちの間での内ゲバが激しくなっていく。そうすると、安田講堂を占拠していた若者たちは〈悲劇〉への道を歩み始めるのです。
(中略)
 そんなわけで、この最終講義が目指したのは、山本義隆や所美都子、あるいは丸山眞男や坂本義和、そして見田宗介の思想の深みに分け入ることではありません。そうではなくて、一九六〇年代末という転形期の歴史の瞬間にほぼ同時的に芽生えていた問いを、同時代の〈上演〉としての東大紛争の演劇的な時間と空間の広がりのなかに位置づけていくことでした。
 つまり私は、思想(=〈台詞〉)や実践(=<演技〉)には、その生成の地政学的な布置があると考えています。一九六八年から六九年にかけての東大安田講堂は、まさにそのような地政学的な〈舞台〉だったのですが、同じ〈上演〉の地政学は、同時代の東大新聞研究所の研究生室にも、「本郷」に対抗する駒場キャンパスにもあり、私自身の具体的経験では、一九七〇年代半ば、駒場キャンパスの片隅に存在した通称「駒場小劇場」にも息づいていました。東京大学の外に目を転じれば、同じ地政学が、一九七〇年ごろの新宿西口広場にも、またその東口の花園神社あたりにもあったはずです。私自身の関心は、いつもそうした〈上演〉の場の地政学的な布置とそこから発生する〈台詞〉や〈演技〉の空間時間的な関係にあります。
(中略)
 ですから私は、今日、お話しした〈上演〉としての東大紛争の最も広い意味での登場人物の一人だったのであり、私の今日の最終講義は、それ自体がある意味で「東大紛争」というドラマの長い第四幕のなかの劇中劇のひとつだったのです。今、私がその舞台の上に立っている安田講堂が、東大紛争の舞台として焦点化されていった場所だったというだけでなく、私が東大において歩んできた軌跡全体が、ある意味で東大紛争をめぐるさまざまなプロセスのなかで生み出されてきた場所だったとも言えるわけです。そして今、この講義を最後として、私は舞台から降ります。つまり、それらの場所から離れるわけです。私自身は、舞台から降りて別の劇場に移ろうと思っているわけですけれども、もちろん私がいなくなった後も、東京大学や新聞研究所というか情報学環、そのいろいろな場所ではドラマが続くのです。ドラマは続いて、私ではない別の役者がそれぞれの役を演じていく。この続いていくドラマを、私はどこか遠くの客席か別の舞台から、楽しみながら観ていきたいと思っています。
(pp.264-268)

 この最終講義は、無聴衆の安田講堂から、オンライン配信された。

 自らをも東大紛争に連なるアクターの一人として演出する、この発想の巧みさよ。
 カッコよすぎだろ。

 残念ながら、この最終講義の、東大のウェブサイトでの配信は終了したが、検索すれば、中国のウェブサイトでそのコピーを見つけることができるだろう。

日本を代表する知識人のひとりとして、非常に広い分野の著作を残し続けてきた吉見俊哉。
その業績は、各分野の研究者たちに多大な影響を与えてきた。
2023年3月に東京大学を退官するにあたり、これまでの学問遍歴を振り返る「特別ゼミ」を実施。
都市、メディア、文化、アメリカ、大学……著者が探求し続けた5つの論点を、かつての教え子たちと徹底討論。
そこから浮かび上がった、戦後日本社会の本質とは。
1か月で15万回再生を記録した最終講義「東大紛争1968-69」の完全版も収録。

目次
前口上 吉見俊哉とは誰か(吉見ゼミ門下生有志)  
序 章 演劇から都市へ―虚構としての社会  
第一章 都市をめぐるドラマ・政治・権力  
第二章 メディアと身体ー資本主義と聴覚・視覚  
第三章 文化と社会ー祝祭と権力  
第四章 アメリカと戦後日本ー帝国とアメリカ化  
第五章 都市としての大学ー日本の知の現在地  
終 章 東大紛争 1968-69


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