ネオ・リベラリズムの浸透により、人々が業績主義に依拠する絶えざる自己監視をとおして社会体制に自ら服従する「生政治(Bio-politics)」(ミシェル・フーコー)が強化されるなか、脆弱でありながら自律する個人を前提とした「ケアの社会」を構想する意義は大きい。
短いが、内容も装丁も美しい本だ。ジョン・ロールズを超える政治哲学の書として、また哲学の貧困著しい社会福祉学の理念を提示する書として、一読を勧めたい。
目次
日本語版への序文 私たちは、だれもが個人である。
序論 個人からなる社会
第1章 現代の個人と国家のジレンマ
フランスの個人主義とは?
多様な生活様式の社会
私的幸福と公的不幸
コーポラティズムと国家主義
市場における個人
市場外の個人
福祉国家の脱市場化
民主的個人化とは?
第2章 個人を支えること
具体化される個人
個人の基盤
二つの近代(モデルニテ)
第三の近代(モデルニテ):支えること
保護すること、あるいは付き添うこと
支えること、すなわち承認すること
ジェンダーによる個人化
第3章 能力ある個人
「社会問題」
人間開発(ヒューマンデベロップメント)
スティグリッツ委員会
自律する能力をつける
達成する自由
どのような平等を望むのか?
ケイパビリティに関わる政治とは?
公共の政治と教育
社会事業とエンパワーメント
第4章 脆弱な個人
脆弱性の状況
ニーズの主体
「配慮する」国家
ケアの社会
人へのサービス
結論 支えと個人の開花
訳者あとがき
参考文献
私たちは、だれもが個人である。しかし、私たちは、個人であるために、他者からの支えを必要とする。「ケア」をめぐって、フランス哲学の中枢を担う著者が、社会国家と市民社会との新たな関連を構想する。
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