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本と音楽とねこと

毒婦たち──東電OLと木嶋佳苗のあいだ

上野千鶴子・信田さよ子・北原みのり,2013,毒婦たち──東電OLと木嶋佳苗のあいだ,河出書房新社(電子書籍版).(5.1.24)

(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。)

 わたしは、今年1月初旬から4月初旬まで、メンタルヘルスの失調──軽躁状態にあり、悪いことに、ほぼ同時期に、買春、愛人ビジネス、パパ活等を取り上げた書物を集中して読み、よけいにメンタルヘルスを失調させることになってしまった。
 もとはといえば、トラウマと自傷的行為、ケアとエロス、実存等についての見識を高めるために、あまり得意ではなかったセクシュアリティ関連の勉強をしたかっただけなのだが、強烈な生理的な嫌悪感に見舞われ、ときには行き場のない怒りにつつまれた。

 軽躁から回復した──就寝時の動悸、息苦しさなど軽微な自律神経の失調は続いている──いま、ゆがんだ性愛関係の果てに起こった殺人事件について、上野千鶴子、信田さよ子、北原みのりさんが対談した本書も、冷静に読むことができる。

 殺人の罪が免責されるわけではもちろんないが、木嶋佳苗が性虐待の被害者であったことをふまえて、木嶋の「婚活連続殺人事件」は振り返られるべきだ。

上野 手近な女の子のボディにはいくらでも手を出してよくて、代わりに小遣い銭やっておけばすむだろう、というような気持ちを持った男たちは、家族にも近所のおじさんやお兄さんたちの中にいますからね。地方都市に限らず、どこにでもね。そういうことをものすごく早いうちから、女の子たちは学んじゃうよね。
信田 それをどういう形で学ぶかですよね。相手が本当にまだ少女であったとしても、男たちは発情しますからね。性虐待された側は、まだわけわかんないですよ。これは私の想像ですけど、もし佳苗の初潮が本当に小学2年生だったとしたら、佳苗はもう大人の身体だったっていうことだから、残念ながら性虐待の意味がある程度わかったんじゃないだろうか。だから、相手に300万要求したんじゃないか。幼いころに受けた性虐待なんて本人にとっては本当に意味がわかんないし、消化不良な記憶として残るんです。ある種のトラウマにもなるだろうけど、彼女はそれを男に対価を要求するって形で解消したんじゃないですかね。
出さないなら奪ってやるって。

 「東電OL」が異様な街娼となった経緯については、水無田気流さんの無頼化した女たちにその見事な説明があるが、信田さんもそれに近い解釈をしている。

上野 「本日の目標達成」みたいに、ノートに客の人数と金額の記録をつけてたみたいな几帳面さもあったとか。
信田 強迫的な几帳面さですよね。彼女にとってセックスはなんだったのかということも、何通りも推測できますよね。ひとつには上野さんがおっしゃったように性的な値踏みされて、自分と相手に値段をつけて売買するっていう手段。同時にもうひとつ、自傷的な意味もあったんじゃないでしょうか。基本的に摂食障害って自傷行為ですから。自分をどんどん傷つけて、自分の食欲すら否定していく行為。だから、彼女に性的快楽があったとは私には到底思えないんですよ。まさに自分の身体を傷つける行為でしかなかったんじゃないかな。自傷の快楽だったんじゃないかな。

 以下についてはノーコメントにしておくが、現在のパパ活も含めて、侮蔑と嫌悪の対象でしかない。
 ほんとうに気持ち悪い。

上野 「援助交際」の語源は、宮台真司くんによればバブル期の女子大生で、それが低年齢化していったんだそうです。だから、最初の頃はちょうど佳苗と同じパターンで「学業を続けるための学費を援助してください」というパターンで、生活援助というより学費援助の名目から始まっているわけ。バブルのずっと前にも、高学歴な女をカネで性的な対象物にしたい男が一定数はいて、セックスの市場に「女子大生愛人クラブ」とか言っちゃって女子大生が登場していた。
北原 女子大生が愛人バンク設立したとかって、すごく騒がれましたよね。
上野 そう、70年代後半ぐらいから、80年代の始めにかけて。吉行淳之介の小説「夕暮まで」(1978)にひっかけて「夕暮れ族」って呼ばれてた。宮台くんが面白いことを言ってたね。援交っていうのは、バブル期にカネのかかる女子大生を相手にしていた本物のオヤジたちが去った後にそれを羨望していてできなかった次の世代のミニオヤジたちが主体だったと。だから90年代に援交をしていたピークの年代は驚くなかれ、「オヤジ」と呼ばれながらもなんと30代の男性だったのよ。バブル期のオヤジよりも一世代若いミニオヤジが、もう一世代若いギャルを小遣いで相手にする構造だから、高級なフランス料理を食べさせなくてもそのへんのファミリーレストランで喜ばせるというチープな「援助」ですんだ。そのことが、「援助交際」という言葉を普及させていった理由でもあるし、援助交際は必然的に大衆化、低年齢化していったわけ。

 援交やパパ活の背景に、壊れた家族関係があることを上野さんは見逃さない。
 さすが鋭い。

上野 さっきも話した通り、援交すること自体に対する倫理的社会的な障壁はきわめて低かったのね。にもかかわらず、援交していることは「親バレ」だけはしちゃいけないって暗黙のルールがあった。でもね、子どもの知恵なんてたいしたことないから、親は娘が何をしているかくらいちゃんと知ってたのよ。買い与えたことのない高価なバッグを持っているとか、挙動が不審になったとかで、そんなもんすぐにわかるさ。わかっていても、タテマエ上は「親バレ」してないことにするんだよね。子どもが「お友だちのところ行って受験勉強してたのよ」って言ったら、ウソがバレバレでも「ああ、そうなの」ということにしておく。ウソで固めた家庭だよね。だって、そんな親子関係ができあがる前に、夫婦がウソで固めた仮面夫婦になっているわけだから、それも全部子どもは見抜いて援交やっているわけよ。少女たちは、そういう暗黙のルールの下で援交をやって、その後、一応はまともな社会生活の中に入っていったのよね。きっと結婚や出産もしているでしょう。そしてその後、彼女たちが主婦売春をやっているかどうかは明らかになってない。どんな夫婦関係や親子関係をつくっているかもわからない。将来、彼女たちが、「私は昔、援交少女だった」と言うことはあるんだろうか。とりあえず今、それを言う人はおらず、なかったことにされている。

 「買う男」と関わって、唯一残るのが、人間不信であるとすれば、「買われる女」にとっても、なんという不幸であろうか。

北原 数年前に大ヒットした『小悪魔ageha』というキャバクラ嬢を読者とした雑誌があって、これってまさに援助交際世代から下の世代の女の子に向けた雑誌だなあと思ったんです。読んでみると、夜の街を生き抜くためのサバイバル術は書いてあるんですけど、セックス特集が一切ない。キャバクラ嬢たちが自分たちの生まれ年をちゃんと明かしたうえで、これまでどんな酷い目にあってきたかというような自分の病んだ歴史を語っている雑誌なんです。今はもう少し部数も落ちているだろうけど、一時期は、30万部も売れていたそうです。
この『小悪魔ageha』は、中條寿子さんという18年生まれの、まさに援交世代の女性が立ち上げた雑誌なんですよ私には、彼女がこの雑誌で「この世界を信じるな」というメッセージを出してるんじゃないかと、感じられたんですキャバクラ嬢たちが仕事しながら、男に「ばーか」って思っていることや、夜の男なんか誰も信じない方が良いよってことが書いてあるんですよ。この社会やおじさん達に対しての嫌悪をすごく感じる。援助交際から思想が出ないんだとしたら、彼女たちはこの社会にはもう諦めていて沈黙という形で表現してるんじゃないんでしょうか。

 売春を親に対する自傷的リベンジとして捉える視点も重要だ。
 ゆがんだ性愛の背景には、かなりの確率で、壊れた家族関係がある。

上野 売春って多くの場合自傷性リベンジだから。宮台くんが援交少女のリサーチをやったときに、少女たちの参入動機を金銭動機系とメンタル系とに分けたのね。メンタル系っていうのは自傷によるリベンジ動機。親が大事にしているものをどぶに捨てるように他人に与えるという自傷自罰行為によって、その価値を守ろうとしている自分の保護者であり抑圧者に対して、リベンジを果たす、っていうものだから。

 売春が、「実存的貧困」の果ての承認欲求充足の手段となっている事実も重要だ。
 この不幸な経路についてのさらなる実証研究が必要とされている。

信田 (前略)カウンセリングの現場で色々聞いていると、一括りにはできないんだけど、売春やそれに近い経験のある人は結構いるんですよ。彼女たちは、誰かの性的対象になることで、自分のアイデンティティを復活させようとする。アイデンティティって言うのもおかしいんだけど、性的対象にならなければ自分というものが存在しないっていう自分を持っている人たちが一定数いるわけですよ。そういう人は子どもの頃に性虐待の被害者だったってことも多々ある。
特に父親からの身体的暴力ですよね。よくあるパターンでいうと、小さい頃からお父さんから「このブス」「このアマ」とか、「テメーがいるからだめなんだよ!」みたい感じで、ボコボコにされていた娘が、年頃になっておっぱいが膨らんだ途端、同じ父親から「お前良いケツじゃん」と、性的な女性としての対応を受けるようになる自分が性的な女性としてセクシャルな身体をもつことによって、自分をボコボコにしていた父親が私を認めてくれるんだ、と感じる。こうやって、娘は性的な眼差しの中であれば自分も生きられるんじゃないかと思うようになるんです。その延長で、いろんな男の子とも遊んで、そうするとやっぱり自分を褒めてくれますよね。寝る前はかならず「可愛い」って言ってくれるし、セックスをしてお金ももらうとなると貸し借りもなく対等だと感じられる・・・・・・という形で、抵抗感なく、男たちとの性的な関係になだれ込んでいくことは多いですよね。だから風俗って、性的な暴力を受けた女性たちにとってはよい仕事である場合もあるんですよね。
上野 性的対象であることで、初めて社会的に居場所ができる。
信田 社会的というより、もっとパーソナルな居場所。

 終始、上野さんと信田さんの、鋭い、丁々発止のやりとりがスリリングである。
 陰鬱な気持ちにならざるを得ないテーマではあるが、それでも、じゅうぶんに楽しめる内容だ。

「東電OL」、木嶋佳苗、角田美代子、上田美由紀、下村早苗、畠山鈴香…etc彼女たちはなぜ殺し、殺されたのか?女たちが語る“女の殺人事件”。

目次
第1部 東電OLと木嶋佳苗のあいだ
彼女の事件に惹かれた理由
木嶋佳苗と「東電OL」の共通点
女目線で事件を語る ほか
第2部 女はケアで男を殺す
支配する女―角田美代子
角田のサティアン
脅しの社会 ほか
第3部 性と女たち
彼女たちは傷ついていたか
性的な居場所
リベンジのその先 ほか


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