「新書」の粗製乱造ぶりにはうんざりさせられるが、本書もひどい。とくに、タイトルは、本書の内容とまるでかみあっていない。これでは、詐欺ではないか。
それはともかく、本書で指摘されていること、少なくともその要点については、1959年に梅棹忠夫さんが「妻無用論」として世に問うたエッセイですでに主張されていたことである。
すなわち、「専業主婦」が行っている「家事労働」の大部分は、一種の「偽装労働」であり、私見で補えば、家父長制を復活させたいオヤジたちが、女性を家庭に閉じ込めておきたいがために、家事労働を称揚し、それを女性固有の役割であるかのように言い立て、かといって、多くの家事労働がないならないで済ませられるような性格のものでしかないものだから、そこにオヤジと専業主婦の共犯関係が成立することとなり、過剰な家事労働が、あたかも、それがなくては人間が満足に生きていけないほど重要なものとしてとらえられてきた、というわけである。
冷凍食品の質の向上ぶりをみても、炊事を省力化しようと思えば、いくらでもできる。(下手に一から作るより冷凍食品の方がおいしかったりする。)洗濯、掃除もしかり、である。育児、介護となると、たしかにたいへんではあるが。たいへんだからこそ、それらを家族だけで引き受けることなく、保育所、学校、居宅介護事業所等にどんどん外注化していくべきであろう。
雑誌の連載コラムをそのまま書籍化したような書物は、たしかに手軽に読める利点はあるけれども、つくりの安直さは否定できないように思った。
多くの日本人が、丁寧な暮らしや、家事をきちんとこなすこと、配慮の行き届いた子育てをすることを理想としている。しかし他方では、日本人の「完璧家事」や「手づくり」礼賛の傾向、さらに昨今のシンプルな暮らし(「断捨離」「ミニマリズム」など)の流行は、母親への目に見えない圧力となると同時に、家族との分業を阻んだり、葛藤の原因ともなっている。日本の家事の「あたりまえ」は海外の人の目にはどう映るのか。なぜ日本では男性の家事参加が進まないのか。国や学校により「よい母、よい家庭」であるよう仕向けられてきた歴史とは。翻訳家として他国の友人も多く、家事や掃除術の専門家でもある著者が、多くの聞き取りや国際比較などを参照しながら、気楽で苦しくない家事とのつきあい方を提案する。
目次
第1部 完璧家事亡国論
日本の主婦は家事をしすぎ?
日本の家事の『当たり前』は、世界の非常識
経済成長という祭りの後で
キャリアを阻み、少子化を加速する完璧家事―2人目を産まない女性たち
家事のできない家族は滅びる
第2部 「片付けすぎ」が家族を壊す
日本の家が片付かないのには理由がある
ミニマリストは変人?
捨てられない理由は、まっとうである―「もったいない」再考
断捨離の行き着くところ
目指すは「おばあちゃんの家」の居心地のよさ
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