國分功一郎,2025,手段からの解放,新潮社.(2.10.25)
「楽しむ」とはどういうことか?『暇と退屈の倫理学』にはじまる哲学的な問いは、『目的への抵抗』を経て、本書に至る。カントによる「快」の議論をヒントに、「嗜好=享受」の概念を検証。やがて明らかになる、人間の行為を目的と手段に従属させようとする現代社会の病理。剥奪された「享受の快」を取り戻せ。「何かのため」ばかりでは、人生を楽しめない―。見過ごされがちな問いに果敢に挑む、國分哲学の真骨頂!
第一章で展開された論文を、第二章の、東大での講話で解説するという構成。
「享受の快」までもが、「目的のための手段」と化し、人間の実存が蝕まられているという指摘は、ハーバマスの「生活世界の植民地化」テーゼを想起させるが、本書では、「なにかのためにするのではなく、かつそれをすること自体が楽しい」という経験の大切さをカント哲学をとおして学ぶことができる。
依存症は、「享受の快」が「目的のための手段」に侵食される──辛いことを忘れるために泥酔する等──病であるとの指摘には、なるほどそうだなと共感した。
目次
第一章 享受の快―カント、嗜好品、依存症
生存にとっての余白
消費と浪費
楽しむとはどういうことか
嗜好品という語
ドイツ語の或る単語 ほか
第二章 手段化する現代社会
初めてのカント論
インフラからアーキテクチャーへ
浪費と消費、ふたたび
『暇と退屈の倫理学』で書き残したこと
目的に対立する嗜好品―嗜好品とは何か ほか