青木やよひ編著,1985,誰のために子どもを産むか,オリジン出版センター.(12.23.24)
青木さんは、1980-90年代に、エコフェミニズムの旗手として活躍されていた方だ。
当時は、イヴァン・イリイチ等の産業社会、学校化社会、病院化社会批判が注目され、一方で、欧米のフェミニズムのように母性、専業主婦、性別役割分業への内省、批判に徹しきれなかった日本のフェミニズムにおいて、女性性なり女性の身体性なりを否定しない、といった風潮のなかで、エコフェミニズムが幅広い支持を集めたのであった。
「男なみになる」ということは男なみに環境破壊や戦争に加担することである──そうした認識のもとで、妊娠、出産、子育て、介護といった労働を再評価する、それは、女性の身体性を肯定する価値観として受容されたのであった。
2000年代には、三砂ちづるさんの女性の身体性を全面肯定する著作(『オニババ化する女たち──女性の身体性を取り戻す』)がこれまた大いに共感を呼んだが、ことほど左様に、日本における女性性なり母性なりへの高い評価軸は、かつて、揺るぎないものであったようにもみえる。
しかし、女性の身体性の全面的受容は、権力と貨幣の分配におけるジェンダー間格差を温存することを良しとする反動にもつながる。
また、破壊と暴力に加担しないジェンダーを「女性原理」として称揚する本質主義をめぐっては、青木さんと上野千鶴子さんとのあいだで、論戦もたたかわされた。
本質主義に陥らずに女性の身体性を肯定はせずとも否定もせず、ジェンダー間平等をめざしながら非暴力の思想を紡いでいくことがフェミニズムの大きな課題であろう。
疫学者・作家 三砂ちづるさんスペシャルインタビュー 第1回 フェミニズムは女を幸せにしているか。 – salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草WEBマガジン