電車の車内という小さな準社会における相互作用の観察は、社会的行為論の格好のネタであるわけだが、どの意見も正鵠を得ていない気がするな。
要するに、ごく限られた時間内のみ近接した空間に居合わせる見知らぬ人々の間では、相互に「儀礼的無関心」の配慮がはたらくわけだが、それは「無関心は装っているだけのものであなたの存在はちゃんと認めていますよ」というメッセージを前提にしている。したがって、見られて恥ずかしいはずの化粧を目の前でやられると自分の存在が否定されているように感じてしまい不愉快になるのだ。こんなところだろうか。
まあ、しかし、いずれ、化粧も「他者に見られたら恥ずかしい行為」ではなくなり、電車のなかで化粧をするのも当たり前になるのかもしれないな。いまや、携帯電話を一心不乱に操作するのはなんら奇異にとられないが、母乳を乳児に飲ませるのは異様な行為ととられかねない。時代によって、容認される行為は変わっていくものなのだ。
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