代議制を補完する討議デモクラシーの重要性を痛感しながらも、その実現可能性にほとんど絶望せざるを得ない状況にあって、熟議を、「動物」としての大衆、その情念、無意識、データベースにより補完するアイディアは、とても魅力的だ。ルソー「一般意志」の大胆な読み替えと、Web 2.0の動向をふまえたコミュニタリアニズム、リベラリズム、リバタリアニズムの再考もなかなか読ませる。
民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が下手だと言われる。だから日本では二大政党制もなにもかもが機能しない、民度が低い国だと言われる。けれども、かわりに日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちは、もはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。そして、もしその構想への道すじがルソーによって二世紀半前に引かれていたのだとしたら、そのとき日本は、民主主義が定着しない未熟な国どころか、逆に、民主主義の理念の起源に戻り、あらためてその新しい実装を開発した先駆的な国家として世界から尊敬され注目されることになるのではないか。
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