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本と音楽とねこと

ポルノ被害の声を聞く

ぱっぷす編,2022,ポルノ被害の声を聞く──デジタル性暴力と#MeToo,岩波書店.(11.5.2022)

 1990年代から2000年代にかけて、馬鹿の一つ覚えのように、何かというと、「自己決定、自己責任」を唱えてきた鬼畜系アダルトビデオの擁護者と、AVを性被害の温床と考えて被害者の人権擁護を実践するソーシャルワーカーの見解は、いまだに相容れないままである。
 わたしは、そのどちらも支持しない。ジェンダー間における就業上の圧倒的不平等と、自らの性を売り物にせざるをえない女性たちの境遇に配慮せず、また、AVでの性行為を強要されその行為がネット上で不特定多数の者または家族や知人に見られてしまう不安と恐怖にさいなまれる女性の心情をかえりみない、AV被害を軽視する連中は、ほんとうにクズだと思う。AV被害者の実情を知るまともな人間であれば、愚にもつかぬ「自己決定」論をもちだすことはできないだろう。ひるがえって、あたかもすべてのAV出演者が性暴力の被害者であるかのようにみなすソーシャルワーカーの考えもあまりに浅はかである。AV出演に誇りを感じている者はさすがにいないだろうが、障がい者向けの性産業に従事する女性が、ささやかな働きがいを感じているのと同様、自らの行為がAVでマスターベーションするほかない哀れな男のためになっていることを実感している女性もいるだろうし、そのような男がミソジニー(女性憎悪)の地獄に落ちるのを防いでいるのだと思えるならば、なおさらのことだろう。
 ただし、既存のAVが、性暴力を肯定し助長するものであることは否定できないし、なんでもアリの映像が野放しに売買されるのには歯止めがかけられる必要があって、そこのところで「表現の自由」をもちだすのは笑止千万だろう。出演者の「忘れられる権利」を保障すべく、ネット上にでまわった映像を出演者の意向で削除するしくみも強化される必要もある。
 欧米でのセックスワーカーの人権擁護活動は、なにもセックスワークを認容してのものではない。認容するしない以前の問題として、ポルノ出演者も含めて現にセックスワークを生業とする者がいるからであり、いるからにはその者たちの身の安全、健康、そして人権が守られるべきことは当然である。 

ポルノやエロコンテンツにきわめて寛容な日本社会。AV出演強要訴訟は、低年齢化・深刻化するポルノ被害の一端を明るみに出した。NPOに寄せられ続ける被害者の自己回復へ向けた声、それに向き合う相談員の声が重なり合い、埋もれた被害を掘り起こしていく。インターネットを通じて「性暴力の商品化」が世界規模の産業となっているいま、私たちはこの無数の#MeTooを聞き取れるだろうか。

目次
第1部 埋もれたポルノ被害者の声を聞き続けて―#MeTooがここにあった
AV制作過程での性暴力被害を掘り起こす
AV事件の裁判をどう闘うか―被害の実態と法のギャップの中で
「本当に素朴な田舎の子だった」―AV被害当事者の語りを聞く
AV出演強要問題から考える「自発的でない同意」―「自由意志」と「強制」の狭間で
第2部 インターネットに乗る性被害―量と質の飛躍的展開
インターネットが被害を無限に拡大する―相談から見えるデジタル性被害の実態
韓国でデジタル性暴力と闘う―DSOの活動から
オンライン・ポルノと性の人格権
第3部 ポルノの日本化―デジタル性被害を牽引する「性進国」ニッポン
AVカルチャーを輸出するポルノ大国・日本
「ゲイシャ効果」―欧米は日本の性産業をどのように利用しているか
座談会 苦しみへの共感から支援は始まる

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