著者の御厨さんとわたしは同じ年齢である。わたしは、親が転勤族で、御厨さんが少年時代を過ごした同じ佐賀市で、小2から小5までを過ごしている。もしかしたら、一緒に、稲刈り後の田んぼで稲株を踏みつけて走り回って遊んだり、ボーリング場の自動販売機のごみ箱をあさって瓶ジュース王冠集めをしていたのかもしれない。
本書で紹介されている、1970年代に流行した歌曲、映画、テレビドラマの数々はどれも自らも慣れ親しんだ懐かしいものばかりで、思わず、あとでウェブサイトにて再体験すべくぺたぺた付箋を貼りまくった。
1970年代は、鶴見俊輔が「共通文化」として位置付けた国民的大衆文化が一気に花開いだ時代であった。その大衆文化の作り手たちの多くが、「団塊の世代」およびその前後の同時出生集団であった。彼ら、彼女たちこそが、高度経済成長と、反戦運動、反安保運動等の主要な担い手となった。
エマニュエル・トッドやグナル・ハインゾーンの歴史人口学の知見を敷衍すれば、フランス革命、明治維新、ロシア革命、第1次・第2次世界大戦、反戦運動、学生運動、アラブの春等のできごとは、「ユース・バルジ(youth bulge)」=若年者人口の増大が一因となって、引き起こされてきた。1970年代のカウンター・カルチャーも、膨大な人口量を有する当時の若者たちが、前世代が押し付ける、ふるくさく抑圧的な価値観に真っ向から反逆した、その産物にほかならない。
現在の若者の体制迎合主義は、ソーシャルメディアの影響だけでは説明できない。わたしや御厨さんの世代は、親世代に激しく反抗する理由がまだあった。しかし、少子化によりその人口規模が縮小した若者世代には、そもそも反抗する人口学的必然性がない。現在の若者は、同世代の人口規模が縮小し、厳しい競争によるストレス、激しい社会的流動性による不安にさらされることも少ない。また、子どもたちに理解があり寛容な、「反逆の世代」の親たちに反抗する理由などなかろう。かくして、大学の入学式・卒業式の会場は、仲睦まじい親子連れで溢れかえることになるわけだ。しかし、わたしたち、「最期の反逆の世代」には、先行世代の抑圧的で醜悪なふるまいを憎む、青くさいけれども普遍的な正義感を正しく継承していく責任がある。
最後に、わたしもリスペクトしている、稀代の反逆者、PANTAさんについての御厨さんの賛辞を引用し、本書の紹介を終えたい。
歴史や政治的理由で迫害、弾圧を受けた者、そしてそれに抵抗する者、その一人一人が、普通の人間でありながら、運命に翻弄されていく。そういう「人間」にスポットを当て続けているから、私たちの心に、PANTAの歌声はダイレクトに響くのだ。
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