明日の朝刊には、いんちき精神科医やら社会学者やらのもっともらしいコメントが掲載されるんだろうが、動機は「高層階から人を投げ落として殺したかった」、それ以上でも以下でもない。理解できない動機を、「快楽殺人」だの「こころの闇」だの「精神異常」ないし「人格障害」といったそれこそわけわからん言葉で粉飾することで気休めしていったいなんになる?
鬱病をこじらせて飛び降り自殺した姉歯のワイフもかわいそうだったが、この容疑者の家族も不幸のどん底に落とし込まれたまま人生が終わらないか心配だな。
下記こぴぺは、容疑者がカーテン屋店長だったときの自己紹介。
子供の頃はお祭りというとワクワクして(今でもそうですが)、 フンドシにさらしを巻き、ハッピを羽織ってよく神輿の 上に上がらせてもらっていたのを記憶しています。
そんな幼少時代を過ごした私の両親と兄弟は、母いわく遊び人だったらしい 神田生まれの父と、しつけには非常にきびしかった名古屋出身の母、私とは 正反対でとてもまじめで神経質な兄(現在、銀行員です)の4人家族です。
私は中学生の頃からヘアースタイルに大変興味を持ち、行き付けの床屋の マスターと話をしているうちに、将来は理容師になりたいと思い始めました。 高校生の頃にはぜったいになるんだ・・・という思いがより強くなり、 卒業後晴れて理容師になる事ができました。 そして数年間の修行の後、埼玉県東岩槻市(人形の町)で念願の独立開店 するまでに至りました。 小さいお店ながらスタッフと共にがんばっていましたが、開店から2年程 で腱しょう炎の為、ハサミを持つことが出来なくなってしまいました。 それから3ヶ月間、毎日朝晩通院しましたが回復の兆しも無くやむなく 廃業する事となりました。
これからどうやって生活をしていこう?と悩んでいた時、床屋の時のお客様 から、ある会社を紹介されました。 その会社で初めてオーダーカーテンを扱う事となり販売から取付に至るまで 基礎からしっかりと教えて頂きました。
ヘアースタイルが変わるとその人が違って見えるように、1枚の生地で部屋 の雰囲気ががらりと変わってしまうことに驚きと楽しさを感じる仕事です。 特に悩まれた末にお選び頂いた商品を納品させて頂いた時のお客様の感激の ひと言は感無量です。
この10年間で、6,100軒以上の新築のお客様のお手伝いをさせて頂く事が できました。
これからも今までの経験を生かし頑張っていきたいと思います。
最後に、私の家族を紹介します。1つ年上で百合丘出身の忍耐強く 美人(?)の妻と、高校生の長女・中学生の長男と、同じく中学生の 次女の5人家族です。
住まいは、お店から歩いて10分ほどの賃貸マンションです。
近い将来、今まで拝見した皆様のお住まいを参考にしてこだわりの ある我が家を建てることが今の夢であり目標です。 お会いできるのを心から楽しみにしています。
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