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本と音楽とねこと

当事者は嘘をつく

小松原織香,2022,当事者は嘘をつく,筑摩書房.(電子書籍版有)(11.8.2022)

 本書は、現時点で、今年読んだ本のなかで、もっとも考えさせられ、学ぶところが大きかった作品だ。
 小松原さんは、性暴力の被害者であり、と書こうか逡巡してしまうのも、被害をカミングアウトした時点で、その人は、被害者カテゴリーに回収され、勝手に、「回復」へのライフヒストリーを語ることを期待されるからだ。そこには、「回復」することができずに自死した者への想像力が欠落してもいる。このような視点も、本書であらためて確認させられた、とても大切なことである。

「誰かの語る経験の中の細部に、思わぬ形で自分の経験と共通するものを見出してしまうことがある。
 そういうとき、私はいつも胸の奥が震え出すような感覚を持つ。ある経験を語っている人の言葉だけではなく、その人の見た景色や味わった感覚が、直接流れ込んでくる。こうした誰かの語りに対する自己の動揺を「共振」と呼んだりする。
「私はそれを知っている」
 その強烈な感覚が自分を揺さぶり、「あのひとは仲間だ」という想いが体の奥から突き上げてくる。勝手に目から涙が溢れ出し、嗚咽が堪えられなくなる。その共振が、自分の中に埋め込まれたトラウマを熱で溶かしてくれるような感覚も湧いてくる。」(pp.55-56.)

 大学院に進学した小松原さんは、「性暴力と修復的司法」をテーマとして研究をすすめる。そのなかで繰り返し自問自答され続ける問い。「わたしは性被害経験を捏造しているのではないか」。この問いは、「当事者は嘘をつく」という本書のタイトルに連なるものである。実際に、虐待や暴力の被害者は、被害を受ける際に「解離」を引き起こし記憶があいまいになることが多い。そして、「わたしは加害者を赦せるのか」という、自らをさらに痛めつけてしまうような問い。さらに、性暴力被害者に、勝手に、「回復」へと至るドミナントストーリーを語らせようとする「支援者」の欺瞞への激しい怒り。

おまえたち非当事者に当事者の苦しみがわかるわけがない。

 しかし、この怒りの矛先は、小松原さんが、水俣病被害者たちを研究対象とした際、自らに突きつけられることになる。
 当事者とは誰のことか?答えの出ない堂々巡りの問いが最後まで繰り返されていく。
 いくつもの重い問いが読む者にも突きつけられる。深い思考で立ち向かうしかない、エッジが効いた鋭い刃物の感触がする作品である。

「私の話を信じてほしい」
哲学研究者が、自身の被害経験を丸ごと描く。
性被害ほど定型的に語られてきたものはない。かねがねそれでは足りない、届かないという思いを抱いてきた。本書には、当事者と研究者、嘘かほんとうかをめぐって幾層にも考え抜き、苦しみ格闘したプロセスが描かれている。これこそ私が待っていた一冊である。――信田さよ子
ジャック・デリダ、ジュディス・ハーマン、田中美津、渡辺京二らのテキストを参照しつつ、新しい語りの型を差し出そうとする試み。

目次
第1章 性暴力と嘘
第2章 生き延びの経験
第3章 回復の物語を手に入れる
第4章 支援者と当事者の間で
第5章 研究者と当事者の間で
第6章 論の立て方を学ぶ
第7章 私は当事者ではない
第8章 再び研究者と当事者の間で
第9章 語りをひらく

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