酒井順子,2013,ユーミンの罪,講談社.(3.18.24)
(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。)
めちゃめちゃおもしろかった!
それに、おもしろいだけでなく、深い、、、
参ったな、これは。
見田宗介、中野収等、その時代のはやり歌を素材に、時代を、社会を、人間を、鋭く分析した社会学者は数多い。
しかし、本書ほど、とりわけ、高度経済成長期以降からバブル経済崩壊に至るまでの、恋愛がらみの女性心理の変遷を雄弁に物語った類書は、ほかにない。
わたしも、つねにユーミンの歌とともに、青春時代をおくってきた。
しかし、それらの歌には、何度も聴くほどの価値は認めず、レゲエ、とくにダブ、インダストリアル、ハードコアパンク、ブラックコンテンポラリー等の音楽にはまっていた。
唯一、聴き込んだのが、「ダイアモンドダストが消えぬまに」(一九八七年)である。
松任谷由実 - SWEET DREAMS
まったく恥ずかしい限りなのだが、当時の私生活の経験とユーミンの歌の内容とが、見事にシンクロして、感傷に浸り、ときには涙した。
いまにして振り返れば、それは、若者特有の熱病と言っても良い、ナルシシズムの高揚と充足にほかならず、いや、若いというのは実は恥ずかしいことなのだ、という実感をともなった苦い記憶でしかない。
そんな熱心とはいえないわたしからすると、酒井さんのユーミン推しは、ガチもガチ、真性のものであって、そんな彼女が、ユーミンの歌をとおして、時代を、女とその人生を熱く語るのだから、はなっから、おもしろくないわけはないのである。
ユーミンは、「瞬間」を歌にする人です。ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にしていくのではなく、感覚であれ、具体的な事物であれ、一瞬「あ」と思ったこと、一瞬強力に光ったもの、その瞬間を鋭い刃物で切り取り、すくい上げる。そして「あ」という感覚や光の強さやらを薄めないよう、極度の慎重さをもって、歌に仕立てていくのではないか。
(p.12.)
こんなふうに言語化できるからこそ、ガチの推しなのだろうが、たしかに、ユーミンの歌には、一瞬のときめきを歌にしたものが多い。
刹那を切り取り、積み重ねていくことで、永遠を目指す。そんな意識が込められているような気がする、ユーミンのごく初期の歌。そしてその姿勢は、今もなお精力的に活動を続けるユーミンの中に、生き続けている気がしてなりません。
ユーミンファンの女性達は、ユーミンが提示したお洒落なシチュエーションにばかり惹かれたわけではありますまい。刹那の輝きと、永遠の魔力。両者を手に入れようとするユーミンの姿勢と時代とが合致したからこそ、彼女はスターになりました。
ユーミンは女性達にとっての、パンドラの箱を開けてしまったのです。ユーミンという歌手が登場したことによって、成長し続ける日本に生きる女性達は、刹那の快楽を追求する楽しみを知りました。同時に、「刹那の快楽を積み重ねることによって、『永遠』を手に入れることができるかもしれない」とも夢想するようになったのです。
日本の若い女性達にそのようなうっとりした気持ちを与えたのは、ユーミンの大きな卵です。刹那と永遠、両方を我が手に抱こうとした女性が大量に出現したことは、世の中にも少なくない変化を与えたのだと思う。
今思えば、ユーミンが見せてくれた刹那の輝きと永遠とは、私達にとって手の届かない夢でした。しかしその時、それらはあまりにも甘く、魅力的に見えたのです。歌の世界に身を委ねることによって、私達は今よりももっと素敵な世界に飛んで行くことができましたし、未来もずっと「今よりもっと素敵な世界」が続いていくように思えたのですから。
ユーミンに対しては、「いい夢を見させてもらった」という気持ちと、「あんな夢さえ見なければ」という気持ちとが入り交じる感覚を抱く人が多いのではないでしょうか。かく言う私も、その一人。ユーミンを聴かずにもっと自分の足元を見ていたら、違う人生もあったかもね、とも思います。
(p.18.)
合コンで出会った男と、いともたやすくセックスし、刹那の快楽を得たとしても、それを、ユーミンの歌がロマンティックに粉飾、美化してくれる。
そんな刹那的な経験ばかりをしていても、いつしか、自分もシンデレラになれるかもという、根拠なき夢想、、、それにも、ユーミンの歌はたしかな言質を与えてくれた。
しかし、現実には、多くの女性にとっては、夢想は夢想でしかなく、中途半端に経済力をつけた女性たちは、結婚することも、子どもを産むこともなく、ユーミンとともに、歳を重ねていくだけなのであった。
八〇年代は、女の時代と言われました。女性はどんどん強くなっていったのだ、と。ユーミンは七〇年代半ばに、既にその時代を予感し、先取りしていたのです。男性との交際、その先にある結婚のために、涙という手段を使わない女。そして、自己憐憫にうっとりしても、そんな自分を客観視する女。そういった女性像を、一九七四年に二十歳だった荒井由実は、描いていました。その歌詞は女性達を励ますと同時に、「男とつがいになるためには手段を選ばない」というなりふり構わない必死さを、彼女達から奪ったのではないか。「男にしがみつかない女」は、確かにダサくはありませんでした。が、客観視の結果として見えてしまうダサさを怖れるあまり私達は、野太い生命力のようなものを失った気もするのです。
(ダサいから泣かない―「MISSLIM」(一九七四年)、p.29)
そう、ユーミンは、国民皆婚の時代に、すでに女性の晩婚化、非婚化の種をまいていた。
と同時に、ユーミンは、女性が自立する芽を、ひそかに刈り取ってもいた。
ユーミンの助手席感は、その名前にも表れています。結婚後、ユーミンは荒井由実から松任谷由実に名前を変えました。「翔んでる女」という言葉が流行したのは「14番目の月」が出た翌年ですが、この時代、旧来の家父長制的抑圧から離れ、自由を求める女性像が新しく見えたわけです。そんな中でユーミンはあえて、夫の名字を名乗った。そんなユーミンを見て、「助手席で、いいんだ」と自信を持った女性も、多かったのではないでしょうか。
(女性の自立と助手席と―「14番目の月」(一九七六年)、p.54.)
男性に従属することと、自立して生きていくこと、ユーミンの歌は、聴く者──とくに若い未婚女性を、アンビバレントな価値に引き裂き、人生を迷わせてきた。
そして、女性たちは、「助手席に座る女」にあえて甘んじながらも、次第に、男を手段として自己愛を充たすという、高踏趣味を狡猾に見いだしていく。
ユーミンの歌が抱く助手席性。これは、ユーミン自身の主体性云々を示すものでは、決してありません。私は、この頃から日本の若い女性が、「○○をしている男の彼女としての私」という自意識を強く持ち始めたことを示すのではないかと思います。
それは、スキーやサーフィンをしている彼が好きというより、スキーやサーフィンをしている彼を持つ自分が好き、という感覚です。スキーやサーフィンのみならず、「スポーツカーに乗る彼を持つ私」でもいいし、「××大学に通う彼を持つ私」でもいいのでしょう。どのような彼を持つかによって自分と自分の青春との価値が決定するが故に、女性達は車種や大学名やスポーツといった、彼に付帯する状況を厳しく選ぶようになってきました。
強い助手席性を持つ女性達は、無理矢理車に乗せられたわけではありません。自分で車は運転しないにせよ、どの車の助手席に乗るかは、自分で選ぶ権利があった。恋愛と自己愛とが分ちがたくなってきたそんな時代背景を、ユーミンは捉えているのです。
(恋愛と自己愛のあいだ―「流線形’80」(一九七八年)pp.65-66.)
この時代、女は男を「見て」いました。助手席から、浜から、ロッヂから、そして別れた後はかんらん車から。しかしそれは、ただすがるように見ていたわけではない。「この男は、私に価値を与えてくれるのか」と女達は見定めていたのであり、彼女達のそんな男性を通して深める自己愛が、この先もどんどん肥大していくことを予感させるのでした。
(同上、p.68)
隷従と自立のアンビバレンツは、別れた男への感傷をも微妙に左右するようになる。
自分を冷たくあしらった男に対して、すがりつくでもなければ恨むでもなく、美しくなることによって見返してやろうという発想は、新しいものです。世の人は、恋に破れた女は、ざんばら髪でぼろぼろの服を着てやけ酒を飲んでいると思うかもしれませんが、それは男性の発想です。気の抜けた格好をしていられるのは、むしろ安定して幸福な生活を送っている女。現状に満足しておらず、「もっと私は幸せになれるはず。その機会を逃してはならじ」と思っている女ほど、買い物をバンバンして、日々気張った格好をしているものです。
(外は革新、中は保守―「悲しいほどお天気」(一九七九年)、p.86.)
元彼よりも、さらに「上」の彼を得ることが、元彼への復讐であると、この時代の女性は思っていました。この時の「上」とはもちろん、物質的な意味での「上」。この「もっと上へ」の思想は、バブルという時代のせいなのかどうか・・・・・・。
「どうしてよりによって、こんなやっすいサンダルはいてきちゃった日にバッタリ会うのよ!」
と、声も限りに叫ぶ七〇年代末の女は、可愛らしい感じがするものです。
しかしいずれにせよ、彼女達の中に何故、元彼に復讐したいという気持ちがあるのかといえば、まだ彼に対するわずかな思いが残っているから、なのです。全くどうでもいい相手は、復讐の対象にはなりません。
ふられた相手に復讐を誓う気持ちは、二層の外側、すなわち「新しい女」性を。そしてふられた相手に思いを残すところは、二層の芯、すなわち「古い女」性を示しているように私は思います。ユーミンがあの頃の女性達の気持ちを掴んで離さなかったのは、女性の立場が大きく変わっていく時代の中で、女性達の精神が、これから二つの層によって股裂状態になりゆく、その未来を予言していたからではないかと思うのです。
そして今、新しい女にも古い女にもなりきれない二層世代の女性達は、股裂き状態をとじらせています。我々が今、ユーミンの昔の歌を聞いてじーんとするのは、まだ女性の中で二層がぴったりとくっついていた時代に対する郷愁のせいでもあるのでしょう。
(同上、pp.90-91.)
ユーミンの歌は、嫉妬する自分を嫌悪する女性に、とびきりの安心感をも、与えてくれた。
対して女性の聴き方は、違います。女性達は、自らもまた心の底に抱いている嫉妬心や、自分を哀れむ心、そしてそれらが無いフリをして自分を良い子に見せようとする心を、これらの歌によって自覚し、「ユーミンはわかってくれている」と思うことができたのです。もしかするとファン達は自らが、嫉妬地獄に陥った時にこれらの歌を聴くことによって満足し、実際の行為に出るのを自制できたかもしれません。
このようにユーミンは、女性の外面および内面の醜さに対して、見て見ぬフリをしない人でした。嫉妬心など持ったら負け、とでも言うかのように前向き姿勢が礼讃される今時の歌を見ていると、「スキーって、楽しいよね」という感覚と同じくらいあっけらかんと、「嫉妬って、するよね」と表現するユーミンの歌の存在が、いかに貴重であるかが理解できます。
嫉妬がテーマの歌であっても重苦しくならないのは、メロディーやアレンジのせいのみではないのでしょう。ユーミンは、「嫉妬って、するよね」とは歌っていますが、「嫉妬って、苦しいよね」とは歌っていません。女性達が、
「そうそう」
と軽くうなずくことができたのは、その苦いけれど苦すぎないという、味付けのせい。「醜さ」という感情を扱う時も、まるでフグの肝を扱う料理人のように、決してつぶさず一塊の物体として扱う職人の技がそこにはあるのですが、「フグの肝って、食べられるのね」と思ってさらに箸を進めた結果、地獄のような苦しみを味わってしまった女性もいたのではないか、私は思うのです。
(ブスと嫉妬の調理法―「PEARL PIERCE」(一九八二年)、pp.130-131.)
最後の一段、むちゃむちゃ鋭く、秀逸だ。
酒井さんは、ユーミンの歌をとおして、シスターフッドがなぜ持続しうるのか、そんなことまで見事に説明する。
男はなぜ孤独なのか、それは同性間での身体接触の忌避の有無だけで説明できるものではないこと、そのことを酒井さんは明示してくれている。
しかし女性の友情は、もっと合理的なものなのでした。異性に夢中になっている時とか、子育てに没頭している時、元々あった女同士の友情がおろそかになりがちなのは事実ですが、女性は、「それはそれで仕方がない」と思うのです。何かに夢中になったり没頭したりする時期はやがて終わるわけで、その時に友情を再構築すればいいのだ、と。
「男の友情こそ真の友情」と信じる男性達はしばしば、老後に友達がいなくて寂しい思いをするのでした。「真の」友情を求めるあまり彼等は友達を厳選し、異性との恋愛ごときでは揺るがない濃密な付き合いを続けます。しかし厳選した友人が他界してしまうと、一気に「友達がいない」という状況に。
対して女性は、多くの方向にゆるやかな友情の紐帯を持っています。恋愛、子育て、介護や看取りといった「人生の一大事」に直面した時、一時中断する友情もあれば、共通経験を通じて深まる友情もある。そして女性は、自分達の老後には、中断をはさみながらもゆるく交際を続けてきた女友達と共に生きることになるのです。
「ガールフレンズ」は、人生の前半における友情の再構築を歌っています。「恋愛に没頭するあまり同性との付き合いを無視する友人」が、高校生の時に初めて登場した時は、私も驚きました。「人はこんなにコロッと変わるものなんだ!」と。そんな人のことを「女より男を取るのね」と、腹立たしく見たこともあったもの。
しかし、その手の恋は熱病のようにすぐ終わること、そして自分もそんな熱病状態になることがわかると、「友情より恋愛を優先させる女友達」を、「どうせ病が治まったら戻ってくるし」と、温かく見守ることができるようになったのです。次第に、「男と別れてもまたすぐ別の男と付き合うことはできるけれど、友情を形成するには時間がかかる。本当に大切にしなくてはならないのは、友情なのだな」ということにも気づく。
「ガールフレンズ」は、そんなことがわかってきた頃の女性達の歌です。
「想い出のせいじゃなく
悲しかったのは
やさしすぎるからあなたたちが」
ということで、女友達は既に、ふられて傷ついた仲間を、再び優しく迎え入れる度量を持っているのでした。
この歌は、様々な年代にあてはめることもできます。「ふられた私」の部分には、「離婚した私」「子育て疲れの私」「看取った私」など、年齢に応じて様々な言葉を入れれば、いつでも女の友情讃歌となる。
(女に好かれる女―「VOYAGE」(一九八三年)pp.150-152.)
ユーミンの歌は、「女の軍歌」でもあった。
失恋しても、雄々しく仕事に出る女を、ユーミンは力強く応援する。
サビは、とても爽やかな前向きのメロディーに乗せて、
「ときどき胸を刺す夏のかけら
きらめく思い出が痛いけど
私は夢見るSingle Girl」
というもの。そう、これは男に未練を持たない、潔い「Single Girl」を礼讃する歌であり、そんなSingle Girlへの応援歌。今までどれほど多くの女性が、男と別れた翌日にも会社に行って仕事をしなくてはいけないという時、この歌を聴くことによって自らを奮い立たせたことでしょうか。
そして私は、このアルバムが出た当時、男と別れる度に「メトロポリスの片隅で」を聴いて「仕事をがんばろう!」という気になっていた若い女性達こそが、いわゆる負け犬の源流なのではないかと思っています。仕事という拠り所がなければ、独りでいることの寂しさに負けて、彼女達はあっさり結婚したのではないか。
(負け犬の源流―「DA・DI・DA」(一九八五年)、pp.179-180.)
そう、「負け犬」は負けた時点ですでに勝っていたのだ。
男とうまくいかなくとも、仕事に逃げることができる、という圧倒的な強みをもっていたという点において。
それにしても、ユーミンの「女の軍歌」は、力強い。
さらに続くのは、
「幸せかどうかわからないけど
自分から溢れるものを生きてみるわ今は」
という歌詞。嗚呼、こんな歌詞にも、世の中で晩婚化が急速に進んでいった原因を見る私。国民皆結婚時代だった頃、女性にとって結婚は、「するしかないからするもの」でした。生活のために結婚することが、当たり前の幸せだったのです。
しかしこの歌の主人公である女性は、そんな当たり前の幸せを捨て去りました。それよりも、「自分から溢れるもの」に蓋をせずに生きるのだ、と。自分を曲げて男性に従うことによって得られる陳腐な幸せよりも、「幸せかどうかわからない」けれど、ありのままの自分を尊重する。そうそう、そうやって女性達は「自分に嘘をつかない」系の道に足を踏み入れて、次第に結婚から遠ざかっていったのだっけ・・・・・・。
この歌を聴いて励まされた人は、たくさんいることと思います。どうして男に唯々諾々と従わなくてはならないのか。私達はもっと「自分」を大切にしてもいいのだ、と。勇壮に響くトランペットは、そんな女性達の気持ちを鼓舞したことでしょう。しかし、アルバム発売から四半世紀以上たってから聴く私の耳には、そのトランペットの音色は、世の中の女性達が晩婚化への道を突き進むことを促進する伴奏のように聞こえるのです。
(同上、pp.182-183.)
そう考えると、晩婚化は、けっして悪いものではない。
時代は、バブルの狂奔へと向かう。
八〇年代は、目に見える世界を豊かにすることが大切、という時代でした。できるだけ素敵なものを、できるだけたくさん所持したい。できるだけ条件の良い素敵な人と、恋愛したい。まさにそれは物質的な時代であり、私達は物質的豊かさが与えてくれる楽しさを、疑うことなく享受していたのです。
ユーミンは、そんな物質的に豊かな社会を象徴するようなミュージシャンであると見られていました。スキー、サーフィン、ドライブ・・・・・・と、ユーミンは若い男女に「素敵!」と思わせるライフスタイルを提示し、消費を牽引すらしたはずです。
(時を超越したい―「REINCARNATION」(一九八三年)pp.134-135.)
バブルは、経済だけではなく、性の欲動にもおよんだ。
彼女達が求めていた「モテ」は、「ただ一人だけの運命の人に出会えればいい」といモテではありません。それは、「なるべく多くの人にモテてちやほやされたい」という量重視のモテだった。この時代から、女性達の食い意地ならぬモテ意地は、ぐんと発達していったのです。
男性からモテた結果として、彼女達は躊躇なくセックスをしました。結婚相手が初めてのセックスの相手というわけではなくなってきたのです。
松任谷姓となったユーミンの絶大な人気を支えたのは、そんな結婚前に性行為を行うことを、そして性行為を行った相手と結婚しないことを全く躊躇しない「JJ」「CanCam」の読者達と、そのボーイフレンド達です。彼女達はユーミンが提供する額縁に自らの顔をはめ込み、失恋したらユーミンの軍歌によって自らをふるいたたせ(「ALARM a la mode」における「ホライズンを追いかけて~L'aventure au desert」もまた、ユーミン軍歌の一つ)、傷が癒えたならば元彼ソングによってじんわりと過去を反芻して、昔の恋を思い出していたのです。
(一九八〇年代の“軽み”―「ALARM ´a la mode」(一九八六年)、pp.193-194.)
バブルの時代においても、シスターフッドは健在であった。
「複雑な気持ちよあなたがいちばん先に
結婚してゆくなんて
前の彼のときも 旅行中のアリバイ
みんなで作ってあげたのに 今度も
まとまらないと云ってたくせに
なにさひとり勝手に」
と、仲間に先んじて結婚する友達に対して愛憎半ばする感じ。女子達のグループにおいては、「みんないっしょに」「包み隠さず」というのが鉄則ですから、いきなり「結婚します」というのは、「ひとり勝手に」という行為となる。
しかし、そこに祝福しない理由は無いのです。
「オメデトウ 明日 教会で会ったなら
私の方が泣いてしまう」
と、女友達は思っている。
「なにさひとり勝手に」と、「オメデトウ」「泣いてしまう」が混在する女友達の複雑な心理は、今の時代にも共通するものです。が、当時は今よりもずっと、その複雑度合いは強かったのではないか。「いつでも、みんな一緒だった女友達が、一足先に結婚という安全地帯に逃げ込むのを見た時の焦燥は、晩婚化が進んだ今の比ではなかったものと思われます。
この歌は、
「オメデトウ 明日 晴れやかなミセス
名前変わるあなたがヒロインよ」
という歌詞で終わりますが、そこには「仕事も続けるのに名前を変えたくない」とか「なぜ女だけが名前を変えなくてはならないのか」といった、キャリアウーマン的もしくはフェミニスト的な心理はありません。名前が変わることが「ヒロイン」という感覚は、まさに短大生パーソナリティのそれ。
だとするならば、「続ガールフレンズ」において結婚する子も、その女友達も、結婚したら仕事は辞めようと考えているわけです。友達の結婚式が終わったら、週明けからはまた「月曜日のロボット」状態となる独身女性からしたら、「少しでも早く、どうにかしなくては」という思いは募ったのではないか。
(結婚という最終目的―「ダイアモンドダストが消えぬまに」(一九八七年)、pp.210-212.)
女性が、結婚=改姓=幸福という図式に囚われることを助長したユーミンの罪は重い。
しかし、まて、わたしが結婚などというバカげたことをしてしまったのも、「ダイアモンドダストが消えぬまに」を愛聴したこと、それも一因ではないのか。
ユーミン、恐るべし。
「あとがき」での総括、これがまた、すばらしい。
「ユーミンは、救ってくれすぎたんですよ」
とある四十代の独身女性は言いました。
たとえば失恋した時に「ガールフレンズ」を聴けば、そこに女友達がいなくとも、慰められているような気持ちになった。恋人に対する嫉妬に苦しむ時は「真珠のピアス」を聴けば、「自分だけではないのだ」と思うことができたのだ、と。
「本来ならばもっと落ち込んでいたのかもしれない人生の危機も、ユーミンのお陰で何とかくぐり抜けてきました。でも恋愛の数は豊富なのに今、私が独身でいるのは、ユーミンのせいで反省すべきところできちんと反省せずにきたせいかもしれない」
と、彼女は言います。
ユーミンが我々にしてくれたことは、すなわち「肯定」です。「落語とは人間の業の肯定である」と、故・立川談志さんはおっしゃいましたが、置き換えるならば「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」と言うことができましょう。もっとモテたい、もっとお洒落したい、もっと幸せになりたい・・・・・・という「もっともっと」の渇望も、そして嫉妬や怨恨、復讐に嘘といった黒い感情をも、ユーミンは肯定してくれました。それも、「感情の黒さだって、時にはシックよね」と思えるように加工してくれたので、私達は女の業を解放することで罪悪感を持たずにすんだのです。
(中略)
ユーミンはまた、女性の様々な生き方を肯定しました。助手席に座る人生を肯定すると同時に、男にしばられず生きる人生をも肯定したのです。だからこそあの頃の女性は、「なんだかんだ言ったところで、やっぱり助手席の方が幸せよね?」と思いつつも「自分でハンドルを握るのも格好いいし・・・・・・」と両者の間で揺れ、私のように揺れっぱなしで今まで来てしまった人も多いのではないか。
もちろんユーミンだけのせいではありませんが、晩婚化、少子化、社会進出に性的解放と、ユーミンの歌は、女性をとりまく様々な変化と、分かちがたく絡み合っています。日本が経済成長し、ライフスタイルが欧米化するとともに女性達が生き方を変えていく、その伴奏曲となったのがユーミンの歌だったのです。
女が内包するドロドロしたものを全て肯定し、ドロドロをキラキラに変換してくれた、ユーミン。私達は、そんな風に甘やかしてくれるユーミンが大好きでした。ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、鼻先につるされた人参のようだったのであり。その人参を食べたいがために、私達は前へ前へと進んだのです。
鼻先の人参を食べることができたのかどうか。それは今もって判然としないところなのですが、人参を追っている間中、「ずっとこのまま、走り続けていられるに違いない」と私達に思わせたことが、ユーミンの犯した最も大きな罪なのではないかと、私は思っています。
(pp.272-274.)
ユーミンの歌とともに生きてきた人には、追想と現時点での自分の人生についての総括を。
ユーミンをほとんど知らない若者には、かつてあった時代の精神を知り、これからの自分の人生に生かしていく知恵を。
本書は、きわめて優れた社会史でもあり、個人の人生の集積としての社会史を語る者が、本書を避けてとおることはできないであろう。
ユーミンの歌とは女の業の肯定である。ユーミンとともに駆け抜けた1973年~バブル崩壊。ユーミンが私達に遺した「甘い傷痕」とは?キラキラと輝いたあの時代、世の中に与えた影響を検証する。
目次
開けられたパンドラの箱―「ひこうき雲」(一九七三年)
ダサいから泣かない―「MISSLIM」(一九七四年)
近過去への郷愁―「COBALT HOUR」(一九七五年)
女性の自立と助手席と―「14番目の月」(一九七六年)
恋愛と自己愛のあいだ―「流線形’80」(一九七八年)
除湿機能とポップ―「OLIVE」(一九七九年)
外は革新、中は保守―「悲しいほどお天気」(一九七九年)
“つれてって文化”隆盛へ―「SURF&SNOW」(一九八〇年)
祭の終わり―「昨晩お会いしましょう」(一九八一年)
ブスと嫉妬の調理法―「PEARL PIERCE」(一九八二年)
時を超越したい―「REINCARNATION」(一九八三年)
女に好かれる女―「VOYAGE」(一九八三年)
恋愛格差と上から目線―「NO SIDE」(一九八四年)
負け犬の源流―「DA・DI・DA」(一九八五年)
一九八〇年代の“軽み”―「ALARM ´a la mode」(一九八六年)
結婚という最終目的―「ダイアモンドダストが消えぬまに」(一九八七年)
恋愛のゲーム化―「Delight Slight Light KISS」(一九八八年)
欲しいものは奪い取れ―「LOVE WARS」(一九八九年)
永遠と刹那、聖と俗―「天国のドア」(一九九〇年)
終わりと始まり―「DAWN PURPLE」(一九九一年)