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本と音楽とねこと

【旧作】老人介護とエロス【斜め読み】

三好春樹・芹沢俊介,2003,老人介護とエロス―─子育てとケアを通底するもの,雲母書房.(3.30.24)


 「あること」(being)と「すること」(doing)、この区別をもとにした人間論は、ドナルド・ウィニコットやエーリッヒ・フロムの学説の中心にある重要な論点である。

 人間は、自らの存在そのもの(being)を肯定、承認してほしい、という止みがたい渇望を抱く。

 しかし、競争原理が支配する業績主義の社会では、なにをなしとげているか(doing)によって、人間は値踏み、評価されてしまいがちになる。

 本書で言うエロスとは、自らのあるがままの存在を、無条件で肯定、承認される関係性のことを言う。

 「家族のエロス」というのは何かというと、子どもとの関係において、子どもを受けとめる力ということなのです。とくべつ何かを「する」必要はありません。ウィニコットはビーイングマザー(being mother)と言います。つまり「いる」だけ、「ある」だけの母が、家族のエロスの核になります。受けとめる主体としての母のいる場所が、家族であると言えます。家族にとって、血縁は関係ないということがおわかりいただけると思います。受けとめ手がいる空間であれば、そこはもう家族なんだと考えられます。
(芹沢、p.98.)

 さて、受けとめる主体である母との関係性があり、母のいる空間が家族であり、そういう家族には「エロス」があると私は考えてきました。家族のエロスがあるところでは、子どもは伸び伸びとできるのです。伸び伸びとできるということは、「安心して、安全に、安定的に自分が自分でいられる」ということです。自分が自分でいられなくなったとき、子どもは伸び伸びできません。
 母性を、動物的な自然性をいうだけではなく思想にまで広げて言えば、「ある」ということの、基盤をつくるような関係性のあり方というように定義できるかもしれません。
(芹沢、pp.99-100.)

 ただし、ここで言う母とは、かならずしも子を産んだ女性のことだけを意味するのではなく、子どものあるがままの存在を無条件で肯定、承認する人間、ジョージ・ハーバート・ミードの言う「重要な他者」(significant others)を意味する。
 例えば、養父母、里親、乳児院・児童養護施設職員等も、母役割を果たすことができる、ということである。

 人は、いつしか、老い、心身が衰え、要介護状態になる。

 そして、そこでは、老人は、doingという評価軸を免責され、子どもと同じ、beingとして肯定、承認されるようになる必要がある。

三好・・・「退行」というとネガティブな響きがあるから、私は「回帰」という言い方をしているんです。痴呆が深まると、もう一回、口唇期に返っていく、あるいはもう一回、赤ちゃんの心理に回帰していくように見えます。そういう母子関係を基本にした関係というのは、エロス的関係ですね。そこに回帰していく。
 訪問看護婦をやっていた方の話です。ぼけがかなり進行しているおじいさんでしたが、訪問したときだけでもトイレに誘導しようと、両手を持って廊下を歩いていたら、そのおじいさんがパッと立ち止まった。そこで彼女が手を離したら、両手でパッとおっぱいをつかまれたそうです。ハッと思って顔を見ると、子どもの顔だった。ああ、お母さんだと思っているんだなと気付いて、すべて了解したという話をしてくれたことがあります。
 ところが、都会のヘルパーや看護婦さんだと、こういうことがあると「セクハラだ」と言って、大問題になります。私は、セクハラというのはちょっと違うと思うんです。セクハラというのは、権力を持っている側がそれを利用していやらしいことをするということです。専門職と痴呆性老人とどちらが権力を持っているかといえば、これは明らかに専門職が持っているわけです。だから、女性のみなさん方がおじいさんにセクハラをするということはありえますから、これは気をつけてください。入浴介助をしながら、「あら、ちっちゃいわね」なんて言うのは立派なセクハラですが、逆はセクハラじゃないですよ。単なるスケベじじいですから、「何するのよっ」とピシッてやればいいんです。
(pp.187-188.)

 介護やセックスは、doingであるが、それらの根底に、beingとしての肯定、承認がなければ、人間は自らの尊厳を傷つけられてしまうだけであろう。

 本書は、エロスとケアについての洞察に、また一つ光をあててくれた。

なにが子どもと老いを追いつめているのか…。母、養育、ケア、痴呆をキーワードに、その正体を挟撃する。

まえがき (三好春樹) 
・母と痴呆と少年犯罪
1章 実感的〈向老期〉論 (芹沢俊介)         
〈向老期〉に立って
子どもと老いの接点
「ある」に戻る老いのプロセス
介護の価値観
動物的生命と植物的生命
死と接触している「ある」
「歎異抄」の思想
娑婆の煩悩と安養の浄土 
2章 介護のもつ力 (三好春樹)           
介護保険の誤算
現場が求めているのは「いい介護」
具体、個別的な「介護関係」
自己決定という幻想
特養の全室個室化に異議あり
夫婦関係からの離脱
最後に求めるのは〈母〉
介護職の最後の仕事とはなにか
具体的なものへの視力
介護のもつ力 
3章 実感的子育て論 (三好春樹)          
近代医療の枠をはずす
世代間の断絶
時間に追われる子ども
日本独自の子育て
男の介護・女の介護
フェミニズム再考
母性的かかわりの奥義
〈聖なるもの〉の可能性
遺伝子と共同幻想 
4章 エロスの不在と少年犯罪 (芹沢俊介)      
ウィニコットの考え方
イノセンスの表出と受けとめ
子どもの「暴力」の発現
受けとめ手としての「母」
長子育てのアポリア (三好春樹・芹沢俊介)
構えの脱構築
子どもと老いの退行
減少している少年犯罪
老年期の危機と老いの受容
「家庭的」という差別
引きこもるという情熱
「自己受けとめ」ということ
老人に振り回される快感 
・補遺
1章 深沢七郎と〈老〉 (芹沢俊介)
2章 個人主義と〈老〉 (三好春樹)        
あとがき (芹沢俊介) 


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