クォン・ミジュ(バーチ美和訳),2024,非婚女性──けっこう上手く生きてます,KADOKAWA.(10.24.24)
「この社会は女性たちに、あまりにも長いあいだ、あまりにも厳しく妻として、母親として生きることにのみ意味を与えてきた―」世界トップの少子化が進み、独身税の導入までささやかれている韓国。そんな社会で、かつて結婚に期待を抱いていた著者はひとりで生きる選択をする。カウンセラーとして働き、自分の時間を過ごす中で気付いたのは、内なる声に耳を傾けることの大切さだった。非婚女性たちに優しく寄り添う、温かいエッセイ。
ミジュさんは、フェミニズムの言葉を語らない。
ミジュさんは、婚姻制度を否定しているわけでなく、恋と別れの果てに、結果的に「非婚」になったのだという。
おそらく、日本より韓国の方が、婚姻圧力は強いのであろう。
ミジュさんは、そうした圧力をかわしながら、ひたすら内省的に言葉を紡ぐ。
孤独を飼い慣らすということ。
それができなければ、結婚したとしても「寂しい」という感情を抑えることはできないだろう。
自分を理解するということは、自ら意識できずにいる内なる傷や痛みに向き合い理解していくプロセスだ。これは自分を、また自身がもつ傷を客観的に見つめることだ。抑えつけてきた寂しさ、愛する人が去ってしまうのではないかという恐れや不安、こうした感情が原因であるのがわかるようになる。
そうした原因や実態がわかったからと言って、あらゆる寂しさが一瞬にして消えたり、二度と寂しさを感じなくなったりするわけではない。幼いころから長い年月をかけて刻まれてきた生活習慣から生まれた感情だからだ。私が感じている深い寂しさは、横に夫がいても、家族がいても、友人がいても解消されない。よい関係を築けている人たちがいて、その人たちときわめて健全な関係が保てれば良い。しかし、もともと寂しいという感情に振り回され心がつらい人は、ひとりでいても寂しいし、家族をもつようになると、その家族のなかにいても、自分が捨てられるのではないかという不安から寂しくなる。
結局、寂しさという感情は、内なる自分に出会っていないために生まれる感情なのだ。心の奥底でしんどいと言っているのに、私を見てと言っているのに、それを無視したまま他の誰かと出会おうとするだけなら、内なる自分は満足できない。
パズルと同じだ。ピースのかたちが合わなければ全体の絵柄が完成しない。三角形の部分に四角形のピースをはめようとしても役に立たないのと同じだ。
寂しさを紛らわそうとしてする結婚は、間違ったピースをはめることかもしれない。寂しさに苦しめられ、また寂しさによるつらさや不安を味わっている人たちがすべきことは、慰めてくれる配偶者を探すことではなく、気づいてほしいと声を上げている内なる自分に出会うことだ。そうすれば、結婚とは関係なく、自らを友にして生きていける。また、結婚したとしても、内なる自分と友でいられる成熟した個人と個人が出会う結婚ならば、結婚生活も安定したものになるだろう。
(pp.138-139)
ミジュさんは、配偶者よりも、こころの支えになる友人の大切さを説く。
フェミニストであれば、それをシスターフッドと呼ぶのであろう。
淡々とした文体に染み出る非婚者の思いに共感する人は少なくないだろう。
目次
第1章 私たちはなぜ、結婚に夢を抱かなくなったのか?
第2章 ひとりの人生、自分を見つめる私の目
第3章 「ひとり」でいる私の時間の点検
第4章 ひとりでいるから?二人でも同じ
第5章 本当に独立した人生を生きる
第6章 不安はあるけど一緒だから楽しい私たちのゆるい連帯