水俣と福島、このあらゆる生命が傷つけられてきた土地において、災禍前にあった、人を包摂し限りなくゆたかに響きあう自然のありようを、石牟礼は実に美しく表現している。それを聞いた藤原は、ときとして、人間なんか滅亡すればよいのだと怒りをつのらせる。
二人は、生命を削られ、土地を奪われた人々の絶望の先にある、人智を超えた自然への畏れと賛美に、かすかな光明をみいだす。
「わたしたちはほかの人たちの代わりに病んで(追われて)いるのだ」という被害者たちの自己肯定の思い、これもあまりにも重い。
目次
ふたつの歴史にかかる橋 藤原新也
花を奉る 石牟礼道子
一日目(2011年6月13日)
滲む紙/猫好き/減る猫/兆し/データ/国の嘘/リアリティ/鳥山/敏感な植物/排水/近代化/光/会社
二日目(2011年6月14日)
女水男水/石山/金肥/カーバイド係/脱田舎/共生/山のあの人たち/命のざわめき/憎しみと許し/滅びの過程/ボランティア/光明
三日目(2011年6月15日)
書/もてなし/石牟礼家の食卓/手仕事/お遍路/海洋汚染/商売下手/草の祖/大地の息/目/表現者/『苦海浄土』第四部
あとがき
野苺の記憶 石牟礼道子
石牟礼道子の歌声 藤原新也
いま語られる水俣と福島。時を経ていま共震する二つの土地。その闇のかなたにひらく一輪の花の力を念じつつ目撃者ふたりは語り合う。
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