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実存的貧困とはなにか

原田和広,2022,実存的貧困とはなにか──ポストモダン社会における「新しい貧困」,青土社.(1.20.24)

 本書は、物質的・経済的貧困の概念だけではとらえきれない、人間の根源的な生きづらさの原因について、「実存的貧困」の概念を鍵とし、主として性風俗産業で働く女性たちのインタビュー記録をまじえて、論及したものだ。
 まず、「実存的貧困」という概念が、従来の「経済的貧困」のそれと接合しえないものであることを指摘したい。povertyには「欠乏」という意味もあるし、existential povertyという用語は、英語圏の社会福祉学でも使われ始めている。しかし、「貧困」は「貧困」であり、また、「(経済的)貧困研究」には、経済学、社会学、社会福祉学等にわたる膨大な研究の蓄積がある。原田さんの、経済的貧困と実存的貧困を接合せんとする、理論的な検討には、そうとうな無理がある。「実存的欠乏」とでもすべきであったろう。それから、人間の社会化の過程を、「重要な他者」、「一般化された他者」という概念を中心に論じたのは、マーガレット・ミードではなく、ジョージ・ハーバート・ミードの間違いだ。(p.115.)
 しかし、これらのことを除けば、ほぼパーフェクトといって良い内容である。総713ページにおよぶたいへんな力作であり、優れた見識と類い希な情報収集力がひかる傑作である。
 以下、とくに印象深かったところを引用しよう。

 性風俗産業に従事する女性達が異口同音に指摘する「最低の客」は、行為が終わった後に「こんなことはするべきじゃない。早く止めた方がいいよ」と説諭を始める厚顔無恥な男性(所謂「説教客」)であるが、男性のこの行為程、女性の「物象化」とその後の「再人間化」が分かりやすく示されている事例はない。恐らく、割り切って「自己物象化」を必死に徹底しようとしている女性にとって、行為が終わった瞬間に自分に突然「共感」を示す男性は、侮蔑の対象であると同時に、自己を「承認」する存在でもあるため、必然的にダブル・バインドが発生する。この状態は、女性にとっては心理的に逃げ場が無い極めて厄介な状態である。最後まで、男性が女性を「モノ」として扱ってくれた方が、彼女にとって「自己物象化」は遙かに成功しやすく、感情労働の負担も少ないのだ。ところが、「悲惨」を感じないように都合良く防衛機制を発動していた男性が、性欲の収まりの後に、今度は更に自身の罪悪感を掻き消すために、別の防衛機制を発動して来るのだ。それが、「打ち消し(Undoing)」による説教か突然の共感的態度なのであるが、この男性が用いる二重の防衛機制は、卑怯なまでに男性の側の「性的搾取」に対する心理的負担を軽減する一方で、女性は逆にベイトソン的なダブル・バインド状態に絡め取られる。だからこそ、彼らは「最低の客」なのである。
(pp.403-404.)

 男はどうしようもない生き物である。
 勝手に、女を、「聖なる母なる女性」と「ビッチ」の二つにカテゴライズし、前者を「妻」として囲い、後者をカネで買い徹底的に侮辱、陵辱する。
 幼稚にして卑劣きわまりないマザコン。てめえの母親とファックしてろ、ゴミ。
 こうした男目線を内面化した女にも腹が立つ。
 両方ともたのむからいなくなってくれ。

「(前略)私、カラダ売るしか能がないとか言われると、すごくイラッとする。援デリでやってた時も、私キモい客とかでも絶対に手ぇ抜かなかったよ。鈴木さん、ウリやってる女がセックスで感じてないって思ってるでしょ?」
「苦痛に思うこともあると思ってる」
「だからさ、それが差別なんだよ。ウリのセックスだって、感じんだよ。ていうか、客が満足するためだったら、自分が感じてなきゃ駄目じゃん?それでビッチって言われても、私は全然気になんない。むしろ本当に馬鹿でなんの仕事もできない子だって、セックスだったら客のこと満足させられるって分かったら、それって誇りに思っちゃ駄目なの?今の店は本番NGだけど、そのこと私、物足りなくなく思ってるからさ」
里奈さん(19歳)
(pp.408-409.,鈴木大介.2010,援デリの少女たち,宝島社.pp.211-212.)

生きがい・・・えー、でも、一番はお金とかでもなくて、なんか・・・自分を・・・風俗だったら自分を呼んでくれて、自分に会いたいと思ってくれている人がいるっていうのとか、必要とされてるとか、会いたいと思ってくれるとか‥。
A7さん
(p.441.)

 おいこら、ブルシットジョブしかしていないくせに、性風俗に従事する女の子をクズ扱いするおまえのことだ、クズはおまえの方だ。
 彼女たちの方が、おまえたちより何倍も何倍も尊い。

ホネットの承認論で言えば、客とのやりとりからは、たとえ疑似的であったとしても愛の領域の「承認」を、そして、新自由主義における努力の対価である獲得した金銭からは、不十分であっても連帯の領域の「承認」を得ることができるだろう。セックスワーカーとしてきちんと確定申告を行い、納税している人間は、法の領域の「承認」さえ、手に入れることができるのである。(中略)その場所を「不浄」であるとにべもなく切り捨てるならば、そこに救いを感じている女性達の尊厳を著しく傷付ける可能性がある。
(p.446.)

 心配なのは、まじめで性根の優しい子が、自分の稼ぎをプライドにしてしまうことだな。
 自己の尊厳は、そこじゃない。
 どうか、ネオリベから自由になってほしい。

(前略)自傷行為と違うのは、性行為の場合は、必ず相手がいる以上、他者からの強い「承認」が得られる。それは、自尊感情が低い女性にとっては、仮に一時的な偽りのパートナーや刹那の出会いであっても、一種の救いになり得るのである。(後略)
(p.503.)

 「愛着資本」(Attachment Capital)が欠乏している女の子に、僕ら、大人はなにができるのだろう。
 原田さんが主張するとおり、社会福祉学が、こうした女の子の存在をなきものにしてきた責任は重い。
 海外、とくにオーストラリアでは、セックスワーカーもソーシャルワークの重要な対象となっている。
 わたしたちは、猛省し、原田さんが指摘した問題に真摯に取り組むべきである。

 この本の存在は、「痛みに共感できる存在」(p.693)である友人に教えてもらった。とても感謝している。どうもありがとう。

従来の貧困理論を再検討し、大きな物語が喪われた時代の実存的不安を質的調査で明らかにする。真のソーシャルワークを行なうために「実存的貧困」という新しい貧困概念を提唱する気鋭の一冊。

目次
序章 はじめに
社会的排除論の陥穽
第1章 「貧困理論」の再検討
「実存的貧困」
新たな貧困概念の提唱
社会福祉の新しい支援対象としての「性風俗産業従事者」
第2章 研究の背景
「大きな物語」の喪失と「実存的不安」
ポストモダン、新自由主義、そして消費社会
フェミニズムの限界
「可哀想な被害者」と分かりやすい性的搾取の構図
性風俗産業従事者と社会的排除
「廃棄された生」
質的研究 五二人のインタビュー+アンケート調査のまとめ
最終章 研究の総括
ホネットの承認論に基づく新たな「貧困理論」の構築
社会福祉の支援対象としての「性風俗」
結論 「実存的貧困」概念による「貧困理論」の再定義

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