菅野久美子,2022,ルポ 女性用風俗,筑摩書房.(3.8.24)
(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。)
孤立死問題のルポルタージュで論壇レビューを果たした、菅野久美子さん。
本書を読めば、ルポの名手としての手腕が、さらに磨かれていることがわかる。
ほんとうにすばらしい。
女性用風俗、女風が大人気なのだそうだ。
利用者の中には、「やらみそ女子」、ヤラずに(セックスせずに)、三十代 (三十路) になった女性もいる。
山田美里さん(三三歳)は、女風での経験を経て、その先にある、ガチの恋愛の深みを知る。
「女風を利用して処女喪失したら、きっと私は楽になれると思った。でも、それは間違いで、本当の苦しさって、その先があったんですね。実際は、セックスよりも恋愛の方が比べ物にならないくらい難しかった。それでも恋愛にハマっている最中は、どっぷりハマりきるしかないと思うんです。
私の場合心を持っていかれたから、それは新たな苦しみでした。でも、よく考えたら人生自体の苦しみって終わりがないですよね。今も彼氏との関係で悩んだりもするんです。それでも処女の頃のような一人で思い悩んでしょい込んでいたときよりは、誰かと正面から向き合うほうが全然いいって思えるんです」
(p.41-42.)
美里さんが言うように、愛にはドロドロしていたり、ひりひりしたりするような人間の 営みがあって、でも時にハッとするような美しさがあり、その両面があるからこそ、輝き を帯びるのだろう。彼女は自らの人生を通じて、その輪郭を摑みつつあるのではないだろ うか。それは、とてつもなく素敵なことではないだろうか。
女性用風俗は、美里さんにそんな人生の問いを突きつけ、それと向き合うことの豊かさを教えてくれたのかもしれない。
(p.44.)
女風が、そんな、あらたな人生のゆたかさへの扉を開く契機になるとすれば、それは、とても素敵なことだ。
女風は、女性にセックスのすばらしさを体感させ、これまた、その先の、恋愛と性愛のゆたかさに気付かせてくれることもある。
夫のモラハラ、粗暴なセックス、女遊びに傷ついていた、三浦明日香さん(仮名・五三歳)は、女性用風俗を利用する。
「その時初めてイクという感覚を知ったの。これまでイケないのは私の体に欠陥があるからだと思い込んでいた。でも、そうじゃなかったんだと思いました。ようやく目覚めた感じですよね。女風で知ったのは、気持ちよくなると、太ももを無理にグイって開かなくても、自然に開くんだってことなの。それはびっくりしたね。
世の中にはこんなに女性の体に詳しい人がいるんだってことに、まず驚いたの。めちゃくちゃうまいと思った。それと同時に、なんで私は旦那さんからその快楽をもらえないんだろうって、虚しさが襲ってきた。それを思ったら、すごく悲しくなった」
これまでに味わったことのない圧倒的快楽の世界。まるで体中に稲妻が走るかのような、 イクという感覚。自分の体に起こっていることが、にわかには信じられなかった。明日香さんは、その日何度も何度も絶頂に達した。この快楽を夫に与えてもらったらどんなにいいだろう。そう頭の片隅で思いながら――。
一度スイッチが押されて目覚めた体は、止まることを知らなかった。
(pp.102-103.)
「今の彼氏は、セックスの後にギューッと抱きしめてくれるの。セックスの後のハグがめちゃ気持ちいいと思ったのは、人生で初めての体験なんだ。彼氏にギューッとされてるときにね、私やっぱり快感だけがほしかったんじゃないんだって思ったの。本当は私、ずっと男の人とちゃんと人と心を通い合わせるセックスがしたかったんだって気づいたんだ」
彼氏とのセックスは、セラピストとの刹那的な快楽とはまるで真逆だ。それは心の底から自分を包み込んでくれる温かくてポカポカしたものなのだ。
(p.106.)
女風での性愛は、人間の根源的な、他では得がたい、自らのあるがままの存在をまるごと承認される、という経験にもなりうる。
女性用風俗店、「シェアカレ」のオーナー、Oさんは、次のように言う。
「何も着ていない自分自身を必要としてもらえると、人は満たされる。あなたはそのままでいいよ、と言ってほしい。妻だから、母だから、そんな枠でガチガチに縛られた女性って多い。だから、あなたのままでいいと言ってくれる存在が必要なんです。
女性は、承認欲求を抱えて女風に来る。たとえるなら、占い師に会いに行くような感覚に近い。 占いで打ち明け話を聞いてもらえて、前向きになれたら、また社会に戻れる。素の自分を受け入れてもらえることは、セクシャルな欲求を満たすことに近いと思うんです」
(pp.114-115.)
「ホテルなどから戻ってきたセラピストには、まず「女性に優しくしてくれてありがとう」と言うの。私は、彼らは女性たちの中に鬱積した感情を浄化してくれる尊い存在だと思っている。だからすごく感謝している。セクシャルな欲求を満たすだけでなく、限られた時間かもしれないけれど、運命共同体になって人生を一緒に考えたり、共感したり、女性の魅力に気づかせたりしてくれる、そんな存在でいてほしいと思ってるんだ」
今も、生きづらい社会であることは変わらない。しかし、Oさんは女風を通じて楽になる人が増えてくれればいいと感じている。セラピストは、その手助けをしてくれる心強い存在なのだ。女風を通じて、Oさんが女性たちに一番届けたいものは、性欲解消のツール としての役割ではないという。
「現代の人たちってとにかく孤独で、寂しさを抱えているって感じるよね。男も女もね。 だから最終的に私が女性たちに届けたいものは、単なる男の肉体だけじゃないの。そうじゃなくて、人から受ける優しい視線とか、信頼関係なの。「心配してたよ。大丈夫だった? 無理するなよ」という言葉だったりもする。本心では、人はそういうモノを渇望している気がするんですよ。それもあまり知らない相手に言われたからこそ、響くということがある。それってね、親やお兄ちゃんとか、そういう人たちが向けてくれる目線なんだよね。セラピストを通じて女性たちに私が一番贈りたいのは、性欲を超えたところにあるものなの」
(pp.119-120.)
女風など利用せず、自らの生活圏のなかで、性愛の欲望が充足されれば、それに越したことはないのかもしれないが、そこに立ちはだかるのが、「まともな男がいない」、という、身も蓋もない問題である。
菅野 その問題、本当によく分かります。女風に女性たちが乗りだしていった理由のかなりの部分を占めるのも、実社会に「まともな男がいない」ことでした。だったら買うしかないよね、ということになるのも自然なことですよね。
(pp.216-217.)
都内の女風のセラピスト、クールなイケメン、タカシさん(仮名・三〇歳)は、こう言う。
「セックスが嫌いという女性によくよく聞いてみると、挿入が嫌いと言ってるだけのこと が多いんです。 多くの男性は勘違いしがちなのですが、女性からすればデートの瞬間から、前戯に入っている。そして、通常私たちが前戯だととらえているものも十分セックスの一部だと言える。ただその表現が難しいから、漠然とセックスが嫌いという言葉になる。それで男性から遠のいてしまう。
そもそも僕は、挿入だけがセックスだと捉えてはいないんです。挿入がないセックスもあっていいし、もっと自由であるべきだし、たとえ挿入しなくてもゆっくりことを進めていけばいいと思うんです」
(pp.172-173.)
数々の女性経験を経たタカシさんだが、同性である男性に時々怒りを覚えることがあるという。性的なことにおいて圧倒的に男の能力不足であるにもかかわらず、男たちはあの女はよくなかった、フェラが下手だなどと、男同士で陰口を叩く。そんな男たちの傲慢な 態度を見るにつけ、悲しくなり日々うんざりさせられるのだという。
「これだけイケない女性が多いのは、一〇〇%男の責任なんですよ。これって日本の大間題だと思いますけどね。セックスって性質上、女の人は受け身にならざるをえない。そういう構造なんだから、男の人がコントロールしないと楽しくなるわけがない。 女の人が一人で楽しくしようとしても限界があるんです。
だけど、今の男たちは女性たちのせいにしていることが多いように思うんです。船が沈むのは、船のせいじゃない。自分たちが舵を持っているのに、その自覚がないのが問題なんです。それなのに操縦をミスって結果船を沈めてしまい、しまいには船のせいにしている。それはないだろうと、世の男たちに言いたいですよね」
タカシさんは一呼吸置くと、少し遠くを見つめる。男たちへの静かな憤りとあきらめにも似た感情が伝わってくる。これまでの取材において、ずっと一貫して優しい話しぶりを変えなかったタカシさんだが、この場面においてのみ口調がやや強くなったのが、やけに 印象に残った。
(pp.177-178.)
ほんとう、わかってない男が多すぎる、よね。
SMプレイを得意とする、女風店舗のセラピスト、ミサキさん(三二歳)は、トラウマや生きづらさを抱えて苦しむ女性のこころを解放する名人だ。
「僕のもとに来るのは、人間をやめたいという人たちです。人ではない存在に堕ちたいという女性たち。純粋に性欲だけの目的で来てくれれば、ある意味、俺も救われるんです。でも、ほとんどがそうじゃない。ポジティブな理由で来る人はほとんどいない。いじめてほしい、いじめられることですっきりしたい、頭が真っ白になりたいという女性たちなんですよ。それほど、この社会が辛くてしんどいんだと思います。でもよく考えてみてください。この社会を生きてきて、人生楽勝だぜって奴って、なかなかいない気がするんですよ」
(pp.186-187.)
SMバーのオーナー、蒼月流さんの見事なショー、惚れ惚れする。
女性は冒頭からショーの世界観に没入していて、苦痛と快楽をいったりきたりしながら、 人間の形が失われてただの肉になったような、抽象絵画の時間を漂っているように思えた。 女性は一〇〇人ほどの観衆の目の前で、蒼月さんの攻めを受け、ひたすら下半身をガタガタと振り、震えながらも激しくイキ続けていた。
ステージに立ち快楽に打ち震える彼女は、本当にただただきれいだった。
堕ちることで、人の心が体から解き放たれる姿は、ぞっとするような美しさがあった。それはまさしく解放であり救済であった。
ショーのクライマックスとなり、最後に蒼月さんに顔を踏みつけられた女性は、無我の境地に達したような恍惚の表情を浮かべていて、まるでその瞳は菩薩のそれであった。人が解放される瞬間というのはこんなにも美しいのか──。その女性の姿を見つめていると、涙が溢れてくるのがわかった。観客席には男性だけではなく女性も大勢いたが、皆薄暗がりの中で目を潤ませていた。
(pp.203-204.)
女性のこころをここまで解放させることができたら、それだけでも生まれてきた価値がありそうだ。
巻末の宮台との対談、これがまた、めっぽうおもしろい。
宮台
(前略)
違うところは、女風で女が自己価値を回復できるのに対して、トー横界隈―─今はビブ 横界隈 (横浜)やグリ下界隈(大阪)に拡散しましたが――を含めたパパ活と周辺界隈では、女がむしろ自己価値をますます失うこと。理由はこの界隈では男が「クズ」過ぎるからです。トー横の未成年から女風の中年まで含めて、女はやはり恋がしたい。なのにトー横界隈の男はヤッて貢がせる系のクズだらけだし、パパ活と周辺界隈にもガチ恋の対象になるような男はほぼ皆無。
(中略)
そんな界隈に二年もはまっていれば自己価値は回復困難なまでボロボロになります。そんな中で、お金が必要なサービスだけれど、女風が今出てきたのは、とてもいいことだと思います。パパ活と周辺界隈を含めて、男を相手にした風俗とは、ニーズが違うと感じます。最終的には「ガチ恋に向かうためのステップ」として考えているからです。性愛に対 して最初の一歩を踏み出すことができないから、まずは女風での経験で勢いを付けたい。 非常によく分かるんです。
(p.221-222..)
恋愛、性愛は、自己の価値、尊厳に深く食い込んでくるものだけに、実に厄介だ。
わたしが、「パパ活」してる若い女みると腹立つのは、会話する、ごはん食べる、買い物する、セックスする、こういったどの行為をとっても、そのときそのときを、好きな男と、楽しみ、謳歌でき、それらが自己価値、尊厳の横溢につながるというのに、金銭を得るというさもしい動機で、せっかくのそれらの機会を放棄しているからでもある。
The Clash - All the Young Punks
The Clash - All the Young Punks (New Boots and Contracts) (Remastered) [Official Audio]
All you young cunts, live it now♪
宮台
(前略)
社会化とは、定住化して規模が大きくなった社会で、社会を成り立たせるのに都合がいい「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」を作り出す洗脳です。だから、社会に過剰適応すると、「同じ世界」に入る力が失われるのです。人々がそれに気付いていたからこそ、定住社会には定期的に祝祭がありました。 祝祭は、複雑な大規模定住社会における計算可能性にそぐわないので次第に周辺化されていきますが、それでも最近までは性愛が祝祭と等価な機能を果たしました。
(p.228.)
宮台
(前略)
「社会」は「交換」が原則。「性愛」は「贈与」が原則。だから「社会」の時空と「性愛」の時空は排他的です。ただし先に話したように、定住以降に生まれた「社会」よりも 「性愛」の起源の方がずっと古い。だから「社会」での地位獲得よりも「性愛」における充実の方が、人の尊厳(自己価値)に直結します。なのに、今は「性愛」の方が困難だと感じられています。 「交換」 原則の「社会」に適応し過ぎて、「贈与」原則の「性愛」が非合理に感じられるからです。
(p.230)
一度きりの人生、もっとゆたかに生きたいと思わないか?
「買う女」たち、「買われる男」たち、そして店の経営者への取材を通して、多種多様な欲望や風俗に通う動機、社会的背景を探る。巻末に宮台真司との対談を附す。
女性の社会進出が進む中、男女ともに未婚率が上がり、性交未経験の割合も増加している。そして女性たちの性のありようも多様化している。「30歳になって処女は重かった」と語る女性会社員、DVに悩みセックスレスの既婚女性、SMに魅了される女性、ストリップに号泣する若い女性たち。利用する女性たちだけでなく、サービスを提供する店や人々への取材を通して、性に対する多種多様な欲望や風俗に通う動機を探り、女性たちが求めているもの、そして手にしたものは何だったのかを探る。
目次
まえがき 買う女たちの背景に何があるのか
第1章 処女と女性用風俗
第2章 妻として母としての人生では満たされない欲望
第3章 女風を提供する人々の思い
第4章 セラピストたちの思い
巻末対談 「同じ世界に入る」ことの享楽(宮台真司;菅野久美子)