吉見俊哉,2021,大学は何処へ──未来への設計,岩波書店.(12.20.2021)
わたしは、いわゆる有名大学に在職したことがないので、学生として、教員として、東大に在籍し続けてきた吉見さんとは、視点の先にある大学像がまるで違う。
それでも、30年以上にわたる在職中に感じてきた危機感はそうとう強い。
まず、学生の自尊心がきわめて弱く、同調圧力にきわめて弱い、というより、自らも含めた集団によって構成される狭苦しい「世間」に安住し、そのときどきの「空気」を乱さぬよう、過剰に意識し合う。したがって、教室で、「質疑応答」や「討論」が成立したためしは、ほとんどない。
これは、大学教育の責任ではなく、日本社会特有の排他性、同質性(の思い込み)に起因しており、このままでは世界から取り残されるという危機感が希薄なのは、初等、中等教育において、いまだに軍隊式の、自由な発言を許さぬ一方向の詰め込み教育が行われていることからも明らかである。
この国では、財界にも、政界にも、行政にも、もちろん教育界にも、知恵と技能を創造していこうという意思が、まるで存在しない。まさに、沈みゆく泥船で必死で用をなさぬ船にしがみつく愚者の楽園というほかない。
それでも、少しは、学生の論理的思考力や文章表現力が向上するのを励みに(こうした能力が飛躍的に向上する学生も一割程度であるが存在する)、残り少なくなった在職期間中の教育実践に取り組みたい。
パンデミックで窮状が白日の下に晒された日本の大学。不可避の人口減、襲いかかるオンライン化の奔流、疲弊する教員、逼迫する資金、低下する国際評価―。危機の根本原因はどこにあるのか。大学の本質を追究してきた著者が、「時間」をキー概念に提案する再生のための戦略。ロングセラー『大学とは何か』の待望の姉妹編。
目次
序章 大学の第二の死とは何か―コロナ・パンデミックのなかで
第1章 大学はもう疲れ果てている―疲弊の根源を遡る
第2章 どれほどボタンの掛け違いを重ねてきたのか―歴史のなかに埋め込まれていた現在
第3章 キャンパスは本当に必要なのか―オンライン化の先へ
第4章 九月入学は危機打開の切り札か―グローバル化の先へ
第5章 日本の大学はなぜこれほど均質なのか―少子高齢化の先へ
第6章 大学という主体は存在するのか―自由な時間という稀少資源
終章 ポストコロナ時代の大学とは何か―封鎖と接触の世界史のなかで
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