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本と音楽とねこと

ほんとうの多様性についての話をしよう

サンドラ・ヘフェリン,2022,ほんとうの多様性についての話をしよう,旬報社.(7.21.24)

いろんな国の人が増えれば多様な社会になるの?
どうして学校の校則は「直毛の黒髪」が前提なの?
私も日本人なんですけど…なぜ銀行口座を作らせてくれないの?
なぜ日本では「女子力が高い」が褒め言葉なの?
左前のドレス、両手には招き猫…そんなミス・ユニバースにはNOを!
「多様性とは何でも受け入れること」ではありません!
誤解と偏見だらけのニッポンの「多様性」をみつめなおしませんか。
外国人も日本人も、障がい者も健常者も、LGBTQの人もそうでない人も、
みんなが居心地のいい社会をつくるためのヒントがここに。

外国人、LGBTQ、障がい者…みんなが居心地のいい社会をつくるには?「ほんとうの多様性」入門。

 著者のヘフェリンさんは、日本人の母とドイツ人の父をもつハーフ(もしくはダブル)。

 悪意なく発せられる無神経な発言や態度、これをマイクロアグレッションと呼ぶが、ヘフェリンさんが受けたアグレッションの数々は、その一つ一つは些細なものでも、積み重なると大きなダメージとなっていく。

 例えば、コーカソイドの外見をもつ者に、「日本語がお上手ですね」と言う。
 言った方に悪気がないのは明白であるが、これもマイクロアグレッションの一つである。

 小中高での服装、髪の色、髪質についての、とくに女子をターゲットにした校則は、理不尽きわまりないものであるが、これらは、「女性の容姿について言及する」というマイクロアグレッションにつながる。

 小学校の「体操服の下にブラジャーや肌着をつけてはいけない」というルールもじゅうぶんに理不尽ですが、もっと理不尽な校則が多いのが中学校です。中には生徒の下着の色をルール化しているところがあります。
 しかし、学校が「何色の下着を身につけてよいか」といった生徒のプライベートな領域に立ち入る背景にもまた、大人による「中学生らしさ」へのこだわりというか、勝手な理想があるように感じます。
 学校側が下着にまつわるルールを設けていることの弊害は「生徒が不自由な思いをする」ことだけではありません。
 一番の問題だと思うのは、子供たちが長年の学校生活の間で「下着などの女性のもっともパーソナルなことについて、他人が言及しても仕方ない」と思わせてしまうことです。
(pp.29-30)

 ダイバーシティ、多様性を認めるというのは具体的にどういうことなのか、ヘフェリンさんの経験から学べることは少なくない。

目次
1章 意外に大きい!?「見た目」の問題
2章 「日本人」って誰のこと?「外国人」って誰のこと?
3章 「多様性とはすべてを受け入れること」ではない
4章 「何でもかんでも外国のほうがいい」わけではない
5章 どうやったら多様性は達成できる?
6章 どんな人も包摂される社会へ


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