京都•左京区 フェルデンクライス/アート/ダンサブルな暮らし

身体と芸術、社会とのつながりを実践しながら研究活動を行う。
発達教育学/ソマティクス教育/表現文化

良い動きの定義?

2008-12-17 | フェルデンクライス事典1~5

フェルデンクライス的 よい動きの定義

12月上旬にシリーズでお送りしたフェルデンクライス事典。その事典5で少しだけ触れたフェルデンクライス的 よい動きの定義。今日は、おまけの付け加え事典6です。

定義は、こんなものでした↓

動きは、いつも

 ① 自由な呼吸で

 ② 最小限の努力(エネルギー)でおこなえ

 ③ まき戻し可能な動きで

             おこないます。

 ① は、事典5でお話したとおり。

 ② は、事典3で触れたとおりです。

では、③まき戻し可能な動き、、、。これは、いったい何のことでしょう?

 この逆の言い回し、もしくは別の言い回しを2つ以上考えてみてください。

 :::::::::::::::::考え中::::::::::::::::::::

 答え:

言い換えれば「もう一度やりたい動きか?」どうかということでは?

管理者が昨日この動きに、あら!?と気づかされた瞬間は、

1)踊りの振り付けを頂いた時点で⇒この回転の入り方はかなりきつい、できることならば違うポジションからであればありがたい(かなり身勝手!?)

又は、動き=行動ととらえて

2)雨降りそうだけど、傘なくて大丈夫かな? と傘なしで出かけた後ずぶ濡れで帰宅(だからいったでしょ!(母)大人なんで自己処理でお願いします?)

さらにさらに 動き=行為ととらえて

3)この人とは、氣があうわ~話しても楽しいし、言葉を交わさなくても気が楽。 もう少し、一緒にいましょ。 (あ~ら素敵!)

例 1)では、

振り付け自体がやりつらいのか、私自身の技術がないのかその理由は、先ず置いといて、動き自体が上手く行かない。これが違うものであればと感じる=現在のやり方に満足していない⇒他のやり方を見つけたほうが良いということです。その解決法は、振り付け自体を変えることかもしれないし、私の回転と次のステップへの入る方法を調整することであるかもしれません。 いずれにしても、入りつらくて、かなりきついと感じる。ということは、もう一度繰り返したくないと思う⇒良い行動や動きではないのかもしれない。

又、逆を返せば、例 3)のように

 あの経験は何度でもしたいと思う。この行為は、繰り返しても疲れないし、無理がない、いつまで繰り返しても苦にならない。という状態です。 つまり、行為自体に無理がなく、楽で快適だと感じる。

皆さんは、もう二度と体験したくない思い出や行動を感じたときは、どんな環境下にいましたか?そのとき、自分はどんな状態だったでしょう? また、あの体験は何度しても構わないと感じられる感覚って、どんな場所にいて自分はどんなひとでしたか?

 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

その動きがスムーズに行なわれていようが、居心地わるい状態だろうが、その理由は自分自身の使い方や、まわりの環境であったりするわけです。フェルデンクライスのレッスンでは、これを動きを通して体験させてくれます。

 良い動きの定義を考えるとき

自分自身の使い方を変えるか

自分に影響を及ぼしている環境を変えて自分を変えるか

自分自身の使い方を変えて環境を変えるか  

                  なのかもしれません。

また、

無理なくことが進んでいるとき、

無駄なくことが進んでいるとき、

無意識のうちにすんなりことが進んでいるとき、

それは、最高に質の高い 自然体で 道理の通った フェルデンクライスの言う“機能的”な動きがおこっているときかもしれないですね。

 

事典に関するコメント・質問は↓

 felcafe@mail.goo.ne.jp (件名に:フェルデンクライス事典コメントとご記載ください)



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